S・J・ボルトン / 毒の目覚め


【 S・J・ボルトン / 毒の目覚め / 創元推理文庫 (上310P、下300P) ・ 2012年 8月(130125-0128) 】

AWAKENING by S.J.Bolton 2009
訳:法村里絵



・内容
 その夏、英国の小さな村では蛇が異常発生していた。獣医のクララはある老人の死に疑問を感じる。死因は蛇の毒だが、1匹に咬まれたにしては毒の濃度が高すぎるのだ。さらに近所の家で、世界で最も危険と言われる毒蛇を発見する。数々の事件は、何者かの策略なのか? 言い知れぬ恐怖と謎に挑む女性獣医の姿を圧巻の筆致で描きMWA賞受賞に輝いた、壮麗なゴシック・ミステリ。


          


真冬に読んだのは失敗だった。頭寒足熱はいいが、肩までこたつにもぐっているのに首筋がすーすーしてしょうがない。
毒蛇が出てくるから怖いのではない。書き方が怖いのだ。主人公・クララが(よせばいいのに)扉を開ける。部屋の中は暗いものの戸口に立った彼女は瞬時に内部の異変に気づくはずだ。なのに彼女の目線を追ってカメラがゆっくり移動するかのように家具や窓の状態を細かく描写して異常なさそうと思わせておいて、ある一点を凝視させる。暗闇がさらに暗転し、静寂を破って脳内のBGMが不協和音をガーンと鳴らす。
この作品は夜の場面が多いのだが、真っ暗闇でかすかな物音や生き物の気配に気づくのが、ことごとく彼女だけだなんてずるい。可愛いメンフクロウの雛なんか育てている人間がよりによって蛇がらみの事件なんかに首を突っこむべきではない。
迷いこんだ暗がりでだんだん目が慣れてくるあの感覚。目と耳が鋭くなり、さっきまで見えなかった黒い粒子の濃淡や凹凸がぼんやり見えてくる。何か長いものが床をうごめいているような気がする…… なんというか、この文章にはちょっと催眠効果みたいなのがあった。「やめとけやめとけ…」と頭の中で念じつつ、「ああ、やっぱり!やめてー!」のパターンの連続。催眠効果とはいっても、眠くなるどころか逆に目が冴えて困るくらいの吸引力があって困った。
なるほど本作には読者の脳を痺れさす蛇の毒みたいなのが確かに効いているのだった!

 「また蛇? いいかげんうんざりだわ!」


獣医のクララは英南西部、ドーセットの侘びしい小村で一人暮らしをしている。ある日、近所の家から赤ちゃんの寝室に蛇がいるという連絡があり、駆けつけたクララはそこでクサリヘビを捕まえた。その事件を発端に立て続けに蛇騒動が起こり、死者も出る。自然現象なのか、それとも何者かによる策謀なのか? 五十年前にその村で起きた忌まわしい出来事との関連をかぎつけたクララは次第に事件に深入りしていく。
日中は野生動物を保護する病院に勤務しているから、彼女が事件に関わるのは夜ということになる。村のはずれには火事で廃墟となったままの教会と無人の荒れたコテージがあって、そこが‘蛇の巣’ではないかと彼女は疑う。夜中に一人でそんな所にのこのこ出かけていくなよと舌打ちすること数度。
事件の終結までほんの数日間の物語なのだが、この間クララはろくに食事も睡眠もとらず、森に囲まれた寂しい村でひとり奔走する。孤軍奮闘だが孤立無援。一般市民なのに何もそこまでと思うのだが、事件の行方とは無関係なクララの個人事情がこの物語のもう一つの太い骨格になっているのだった。



クララに親しい友人はいない。まだ若い彼女がなぜそんな辺鄙な土地で一人暮らしをしているのか? どうして野生動物を救う仕事を選んだのか? 人づきあいが嫌いな理由は? 人との関わりを避け、母の容体が悪いというのに家族にも距離を置いて、自宅と職場だけの生活圏から出ないクララの頑なに孤独な内面が一人称の語りによって徐々に吐露される。
毒蛇に襲われる恐怖を描くサイコホラー、ミステリのジャンルの作品ではあるのだが、他人との接触を断じて拒む主人公の自意識が傷ましいまでに書きこまれていて、ただ恐ろしさだけで読ませるのではない。ファッションに無神経で「中年女でも死んでも着ないような服」を平気で身につけるのに、下着だけは通販で高級なものを買っているというエピソードに、なんとも寒々しいリアリティを感じた。
彼女は警察に頼らず男に頼らない。少しも勇敢ではないのに、頼ることができない。そういうクララは変わり者で異端者とみなされる。ちょうど蛇という不思議な生き物が人間から先入観を持ってそう見られるように。

 「そこらじゅう蛇だらけ!」 彼女が叫んだ。「家じゅうに蛇がいる。ニックが咬まれたの」


物語は狂信的な悪魔払いの儀式を行うキリスト教分派集団の過去を明らかにしつつ、クララにも絶体絶命の危機が迫る。全体的に湿度が高くダークなイメージが強いのだが、そこは英国の小説らしく豊かな自然描写がほっとさせてくれる。
カラヴァッジョのメデューサ、キリストに蛇を踏ませるマリアの絵を思い出したのだが、聖書に表れる象徴としての蛇の解釈は一つではないことが語られる。太宰治『斜陽』で卵を焼かれた母蝮が巣からなくなった卵を探して庭先にさまよい出てくる場面も思い出した。
クララは爬虫類についても詳しく、毒蛇の種類や蛇によってそれぞれ違うという‘毒のカクテル’の機能なども知ることができて、ゴム製ヘビ人形でいたずらするのが好きな者としてはちょっと嬉しくなった。調子の乗って受け売りの蛇のうんちくを語りすぎないよう気をつけたい。
見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる。クララが感じるだろう恐怖に先んじて、読者にそれを意識させる。それどころか、こちらは先走りして書かれてないものまで見えたり聞こえたりして勝手にビビっていたりする。不安が的中して予想していたとおりの成り行きになるのに、慄然とさせられてばかりだった。この毒の効き目はけっこう強い。やはり蛇がいないこの季節に読んで正解だったのかもしれない。