莫言傑作中短編集 疫病神


べつに「ノーベル文学賞シリーズ」をやっているわけではないが、久しぶりに莫言先生。


莫言 / 莫言傑作中短編集 疫病神 / 勉誠出版(310P)・2014年7月(150114-0117) 】


・内容
 ノーベル文学賞作家が描く、中国の農村を舞台とした奇想あふれる物語たち ―「中華全省われが一番“狂"なり」(莫言)
疫病神と呼ばれる整形“美人"が饒舌に語る、国境沿いの村で繰り広げられた己の出生譚とは―。結婚の日に空を飛んだ嫁を巡る村をあげてのドタバタ喜劇「嫁が飛んだ!」、標準語を村に広めようとする女教師の奮闘と悲哀を描く「普通話」、三年に一度必ず炎上する楼閣とそれに立ち向かう市長の物語「花籃閣炎上」など、初邦訳作品を含む全11篇を収めた日本オリジナルのアンソロジー

訳:立松昇一


     


大先生の本を読むとなると、体調を整えてスタミナのつくものを食べておかないと追いていけないという先入観があるので、巻頭のタイトルそのままの掌篇「嫁が飛んだ!」で拍子抜けした。軽くて短いファンタジーで、へヴィー級の長篇しか読んだことがない自分には、これホントに莫言?と思われた。
革命前の抗日戦の名残を感じさせるものから現代物まで、年代もテーマもヴァラエティに富んだ(不均一な)作品が集められている。目次を一覧しただけでもそれぞれの作中場面が目に浮かぶ。笑っていいのやら泣いていいのやらな不条理のオンパレード。おかしくて、やがて悲しき奇譚集。
とりわけ強烈なインパクトがあるのは(いつものことだが)、挿話として語られる、貧しいが骨太い先人たちの姿である。

祖母が母のお尻を一捻りすると、母はキャーと声を上げた。母のお尻はソ連製「ミグ」戦闘機の尾翼のように上を向いていた。こんなお尻はいつまでも垂れさがることがなく、子供を十人産んでも変わらない。お尻の上がった女はシカのようによく走り回る。戦乱の時代に長い距離を走り回れることは若くて美しい女にとって何よりも大切よ。祖母は母の尻を軽く叩いて、満足そうに言った。「よし!」


湯浴みしている娘たちをこっそり観察して息子の嫁を決めてくる「疫病神」の祖母。妹を交換条件に村一番の醜男に村一番の美人を娶らせようとする「嫁が飛んだ!」の両親。現代と結婚観が異なるとしても、ある日突然「お前は明日からあの男と一緒になれ」と強要される娘はたまったものではなかっただろう。飛べるものなら飛んで逃げたくもなろうというものである。
莫言作品にはこうした非近代的な滑稽にして野蛮なエピソードがいくつも出てくるから、しばしば彼が超現実的手法を用いて小説を書いているように思い込んでしまうのだが、しかし現実として強引なのは作家の筆というよりも、彼より上の世代の奇怪なる処世術なのだ。彼が育った山東省の辺鄙な農村には革命以前から風習や慣習の中に階級闘争が厳然とあったし、貧しい農民がさらに貧しい者を虐げるのも珍しいことではなかったのだ。


そして莫言は、不条理には不条理を以て対抗させる。彼の国は孔孟、老荘思想の国だったはずだが、理も義も礼も道もあったものではない。孟母三遷の教えとかいうが、そんな悠長な故事はここでは通用しない。生きるためのリアリズム、ひたすらリアリズムに徹するしかないのだ。
病んだ母のために夜を徹して駆け続け、やっと手に入れた一包みの薬草を持ち帰ろうとする少年を木に縛りつけて立ち去ってしまう農夫。訳も分からず必死に助けを求める声を無視する人々。やがて憔悴しきった少年が拘束を解くためにとった手段とは…(「指枷」)。
本書には他にも自分の覚悟を示すために、あるいは儀式として、自傷を厭わない人物が登場して慄然とさせられるのだが、それはぎりぎりに追いつめられた者の悲壮な決意というより、ほとんど本能的な知恵のように見えた。

 持っていきな。そういい終えると、老父は背後に倒れて、すぐに息途絶えた。
 持っていきな。そういい終えると、老大は、すぐに息途絶えた。
 持っていきな。そういい終えると、老二は、すぐに息途絶えた。
 持っていきな。老三は言った。
 娘は月の光をつかむように刀をつかみ、一番下の息子に言った。私と一緒に行こう。


標準語の普及を指示された若い女教師の奮闘と挫折 「普通話」。厳しい監視下で纏足を引きずって石臼を轢き続ける赤貧の母が子のために穀物を持ち出そうとする 「命」。少年の目に映った苛酷な現実をノスタルジーとともにリリカルに描こうとして、理解できない場面に出くわす。その強固な壁を突き破ろうとして莫言は舞い上がり、血を滴らせながら幻視する。
体制や思想は時に理不尽な無形の暴力となって庶民の自由を奪う。黄色く波打つ麦畑を眺めながら野垂れ死んでいくことを拒んだ「指枷」の少年の姿は死への衝動的な反発力を鮮やかに象徴していたが、かといってそれは反体制的な英雄行為だったわけではない。
1955年生まれの莫言にとって、その強靱という他ない想像力のルーツは彼の一つ二つ上の世代から濃厚に受け継いだものであることは容易に知れる。彼の仕事は近代中国を透過した‘語り部’なのでもあろう。近年、アメリカに亡命して祖国を描く中国人作家が活躍しているが、やはり大地に根ざした下半身の強さは莫言の比ではないと思われる。日本流にいうならまさしく「横綱」の称号がふさわしい貫禄を感じさせる。