フェリクス・J.・パルマ / 宙の地図


【 フェリクス・J・パルマ / 宙の地図 / ハヤカワ文庫NV (上474P、下463P) ・ 2012年11月(130102-0106) 】

EL MAPA DEL CIERO by Felix J. Palma 2012
訳:宮崎真紀



・内容
 1829年、地底への入口を発見すべく南極探検船がニューヨークを出港した。だが南氷洋で船は氷に閉ざされてしまう。折しも奇妙な飛行物体に乗って現われた怪物が探検隊を襲い、死闘が繰り広げられる。そして約70年後の1898年、小説『宇宙戦争』を発表して大好評を得たH・G・ウエルズのもとを、ロンドン警視庁特殊捜査部の特別捜査官クレイトンが訪れる。小説と同じ飛行物体が出現した現場に来てほしいというのだが……


          


「あなたにこれから起こることは、もう私に起こったことなのです」― 快心作『時の地図』の続篇が登場。H.G.ウェルズ『タイムマシン』をもとにした前作同様、今回は『宇宙戦争』がモチーフ。ウェルズが書いた小説のとおりに本当に火星人がロンドンを襲撃する、というストーリー。
例によってサービス精神あふれる饒舌な語り手に導かれるままに読み進めるのだが、前作とは少し様相がちがう。『時の地図』では先が読めず、煙に巻かれ翻弄されるのも無条件に面白がれたのだが、今作にはそこにあったメリハリやスピード感が感じられない。一度ならず「長いな」と思ってしまうと、ほとんど一気読みさせた前作ほどのリーダビリティを感じられなかった。

 ウエルズのやつ、もっと単純な形にしてくれればよかったのに……。こんな進化したタコみたいな生き物、再現不可能だ。ロンドンに来るまでは朝飯前だと思っていた。エマを一生この腕に抱きつづけるための、ちょっとした手続きにすぎないと。だが実際は超のつく難問だった。いっそ火星に飛んで一匹捕まえてくるほうがよほど楽かもしれない。


まず、導入部の南極探検のパートが長い。ここに登場する怪物が七十年後のロンドンで目覚めて……と後の本筋につながっていくのだが、この作家のことだから何か仕掛けがあって、とぼけた調子で「実は…」と種明かしがされるのだろうと思っていると、そうではなかった。
探検隊の船が氷山に囲まれて座礁する。閉じこめられた船員が無人のはずの氷の原野にシロクマの惨殺死体を発見する。南極にシロクマはいないはずだからこれは嘘なんだろう、劇中劇の創作話として語られているのだろうと思っていたのだが、話はそのまま進行して凄惨な連続密室殺人事件のホラー・アクション劇に発展する。



いよいよウェルズが登場する十九世紀末ロンドンのパートになってもムードは大きくは変わらない。前作でも印象的な役回りを演じていた役者たちが再び集まってくるのだが、時間旅行社の‘主犯’ギリアム・マリーはキャラクターが変わって恋ボケしているし、大好きだったあの‘救世主’シャクルトン将軍には活躍の機会が与えられない。
まあ、熱線を放射して片っ端からロンドンを焼け野原にしていく巨大な火星人たちを現実に相手にしたら人間に為す術などないのだろうが、なんというか、期待していたチープなお気楽さは影をひそめる。世紀末ロンドンの猥雑でいかがわしい雰囲気は薄れて、かわりにハリウッド調のドタバタ劇になってしまった。
イギリス人なら絶対に広げない風呂敷を、このスペイン人作家は悠々と広げてしまったように思える。

 「私がこの本の著者だというのか?」
 「あなたがコピーした人間です」 ブレナーは正確を期した。 「H.G.ウエルズ。イギリスじゅうから尊敬を受ける有名作家です。頭のなかに情報がないんですか?」
 「じつは、この男の脳みそには、なんというか……いらいらさせられてね」


凶暴な火星人襲来をなかったものにするためにはウェルズ万能説とSFでは「禁じ手」である方法に頼るしかなかった(たとえば、コニー・ウィリスが歴史上の分岐点には絶対に飛ばせないというような鉄則はここにはない)。
現在の自分が存在するこの現実とは別のパラレルワールドがあって、もしかしたらその世界は宇宙人に侵略されているのかもしれないと想像するのは楽しい。
でも、もし「なかったこと」にできるのなら、2011年3月10日以前に戻してほしい。重い現実を忘れさせてくれる本のはずなのに、素直にそういう気分で楽しむことができなかった。ああ、これはSFではないんだなと、わかってはいたものの、ちょっと落胆を覚えながら読んだのだった。
前作を知らずにこれだけ単独で読んでいたなら、そこそこの作品だったとは思う。前作に続いての宮崎真紀さんの翻訳もすばらしい出来だ。
無条件に没入できなかったのは こちらの気分のせいでもある。再び続篇があるのなら、もちろん読むつもりだ。