ブルース・チャトウィン / 黒々丘の上で


アリス・マンロー『愛の深まり』の翻訳者が栩木伸明さんの奥様・玲子さんだと書いておきながら、そういえばその伸明さん訳の本が図書館にあったのを思い出した。どうして一緒に借りてこなかったのか…… おつむが不調な今日この頃である(いつものこと?)。


【 ブルース・チャトウィン / 黒々丘の上で / みすず書房(412P)・2014年9月(150121-0125) 】

ON THE BLACK HILL by Bruce Chatwin 1982
訳:栩木伸明


・内容
 ウェールズ/イングランド境界の寒村に20世紀の到来と同時に生まれた双生児ルイスとベンジャミン。二度の世界大戦、飛行機や自動車の発展、辺境にまで忍び寄る近代化と消費社会…… そのなかで村という小宇宙を時間を止めて何も変えずに二人は生きてゆく。名作『パタゴニア』で彗星の如く登場し圧倒的な筆力で多くの評価と読者を得ながら、わずか十年でこの世を去った伝説の作家チャトウィン。『黒ヶ丘の上で』はチャトウィンが遺した唯一の長編小説である。没後25年にして、ようやく名訳で到来!


     


国旗にレッド・ドラゴンアーサー王伝説。魔法と妖精と吟遊詩人の国。炭坑と男性コーラス(ジョン・フォードの映画「わが谷は緑なりき」)。「あなたをけして飢えさせない」というメッセージが込められた贈り物、ラブスプーン。ラグビーの国が生んだサッカーの天才、ライアン・ギグスとガレス・ベイル。この作品の中でも何度か歌われる場面が出てくる「わが父祖の地(Land of My Fathers / Hen Wlad Fy Nhadau) 」がウェールズ国歌である。
     
COME ON, WALES! 何度見ても聞いても良い。ウェールズについて詳しく知らなくても、またどんな言葉を費やそうとするよりも、「ウェールズってこんな国なんだ」と思わせる。そして本書もまた、この歌の延長線上に位置する作品だったとつくづく感じるのである。

 彼女は締めくくりに、生き写しの双子の多くは別れて暮らすことができなくて、死ぬのも一緒なのだと説明した。
 「そのとおりだよ!」 空想に耽るような声でベンジャミンがため息をついた。「いつだってそう感じてきたさ」


といっても、舞台はウェールズ物語に多い深い峡谷ではない。東にイングランド、西にウェールズの国境線上の丘陵地帯にある「面影」と呼ばれる農家、ジョーンズ家の百年物語である。
(そういえば『図書室の魔法』の主人公モリもウェールズ人で、休日にはイングランドの寄宿学校から電車とバスを乗り継ぎ、故郷サウス・ウェールズの妖精たちに会いに行くのを楽しみにしていた。少女ながら彼女はウェールズ人としての強いアイデンティティを持っていて、ウェールズ語で「セイス」というのは「イングランド的」という侮蔑の意味があるなどと日記に書いていた)
一九世紀末に身分違いの結婚―農夫と司祭の娘―をした夫婦のあいだに生まれた双子、ルイスとベンジャミン。うり二つの彼らは一心同体で、常に行動を共にする(何となく『悪童日記』っぽいところも感じさせる)。父の農場を手伝いながら成長し大人になり、二つの大戦を経て生家で働きながら老年を迎え、サッチャー政権の頃まで生きる。


全部で50の章に分けられていて、それぞれが独立した掌篇としても読めそう。双子兄弟の八十余年の生涯の間には当然ながらいくつもの出会いと別れがあるのだがスケッチ風の回想にとどめられ、情緒的な描写はなされない。双子ゆえの葛藤や確執にドラマの力点が置かれているわけでもなく淡々とページは進んでいき、気がつけばいつしか双子の口調がかつての父親のそれと似ているあたりは見事である(それを訳出している翻訳も!)。
父の血を濃く継ぎ実際的で社交的なルイスと、母方に似て繊細で神経質なベンジャミンが対立して離れる時期もあるのだが、二人は独身のまま「面影」で年齢を重ねていく。同じ教会に集い、心配して助けあったり陰口を囁きあったりする村人たちとの関わり、とりわけジョーンズ家と農地が隣接するワトキンソン家との諍いと和解が横糸として織りこまれる。跡継ぎを失った隣家が次第に荒れていく様が双子の家とは対象的に描かれていく。
主人公は双子の二人なのだが、これは「黒が丘」という土地と「面影」という家の物語でもあった。ルイスとベンジャミンが見送った、やって来ては去り、あるいは年若くして亡くなってしまった人々。双子や彼らの母メアリーが着ている服がいかにも英国トラッド調で時代の変遷を色鮮やかに伝えてもいる。帽子屋でツイードの同じ帽子を二つ買おうとするルイスが愛おしかった。

 「続けて!」とロッテが言った。ルイスは泣きそうだった。
 「だから、それが悩みの種だったんだよ。俺はときどき、眠れないときなんかに、弟がいなかったらどうなってただろうって考える。あいつがいなくなったら、とか…… 死んだとしたら、なんてね。そしたら俺は自分の人生を送れたんじゃねえかって。子どもだっていたかもしれねえよ」


実は読んでいて既視感を覚えた場面が二つあった。一つは六十年代に「面影」近くの牧草地にヒッピーがやって来てコミューンをつくったというエピソード。もう一つはラスト近くの、ジョーンズ兄弟がセスナで丘の上を飛ぶ輝かしい光景。どちらも似たような場面がA.マンロー『愛の深まり』の中にあったのだ。『黒々丘の上で』が1982年、マンローの短篇集が1986年刊。ということは、マンローはきっとこれを読んでいた― 自分の‘カラース’つながりの推測にすぎないのだとしても、ありえない話ではないだろう。
そんな二冊が原書出版から三十年近くが過ぎて、やっと日本で刊行された。それもほぼ同時に、東京の翻訳家夫婦の手によって。これは偶然だろうか? 個人的にこの二冊は‘双子’、あるいは‘夫婦本’として記憶しておきたい。
なぜ主人公を双子の設定にしたのか、読んでいる間ずっと考えていたのだが、はっきりとした答にはたどり着けなかった。自分が老いたとき、その先誰が土地を、家を守っていくのか。手放して精算してしまうのは簡単だが、跡を継いでいくとはどういうことかを強調するためには一人より二人の方が都合が良かったからだろうか。
父エイモスが手彫りした額縁に飾られた家族写真。母メアリーのパッチワーク。生涯「黒々丘」を離れられなかった双子の暮らしぶりは時代に背き、あるいは置き去りにされたかのようにも映ったのだが、面影という宝物を守り続けて、人生の最期に自分もその一部に加わるのだと知って安堵できたのなら、けして不幸ではなかっただろう。



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東京オリンピックの前年、2019年に日本でラグビーのワールドカップが開催される。
この熱量はこの国で再現可能なのだろうか。しらけた大会になって世界から笑われるようなことにならなければいいのだが… (言うまでもなくサッカー/ラグビーの国際大会は外交と文化交流の場であることは世界の常識だ。現在開催されているサッカー・アジアカップで日本代表はパレスチナ、ヨルダン、イラクと対戦した。この間、わが国の政治家は何をしていたか。資金援助とアメリカへの電話だけが外交ではない)
個人的にはホスト国の一員として、大会までにウェールズアイルランドの国歌をおぼえて(もちろんウェールズ語ゲール語で)大合唱に加わるつもりだ。

莫言傑作中短編集 疫病神


べつに「ノーベル文学賞シリーズ」をやっているわけではないが、久しぶりに莫言先生。


莫言 / 莫言傑作中短編集 疫病神 / 勉誠出版(310P)・2014年7月(150114-0117) 】


・内容
 ノーベル文学賞作家が描く、中国の農村を舞台とした奇想あふれる物語たち ―「中華全省われが一番“狂"なり」(莫言)
疫病神と呼ばれる整形“美人"が饒舌に語る、国境沿いの村で繰り広げられた己の出生譚とは―。結婚の日に空を飛んだ嫁を巡る村をあげてのドタバタ喜劇「嫁が飛んだ!」、標準語を村に広めようとする女教師の奮闘と悲哀を描く「普通話」、三年に一度必ず炎上する楼閣とそれに立ち向かう市長の物語「花籃閣炎上」など、初邦訳作品を含む全11篇を収めた日本オリジナルのアンソロジー

訳:立松昇一


     


大先生の本を読むとなると、体調を整えてスタミナのつくものを食べておかないと追いていけないという先入観があるので、巻頭のタイトルそのままの掌篇「嫁が飛んだ!」で拍子抜けした。軽くて短いファンタジーで、へヴィー級の長篇しか読んだことがない自分には、これホントに莫言?と思われた。
革命前の抗日戦の名残を感じさせるものから現代物まで、年代もテーマもヴァラエティに富んだ(不均一な)作品が集められている。目次を一覧しただけでもそれぞれの作中場面が目に浮かぶ。笑っていいのやら泣いていいのやらな不条理のオンパレード。おかしくて、やがて悲しき奇譚集。
とりわけ強烈なインパクトがあるのは(いつものことだが)、挿話として語られる、貧しいが骨太い先人たちの姿である。

祖母が母のお尻を一捻りすると、母はキャーと声を上げた。母のお尻はソ連製「ミグ」戦闘機の尾翼のように上を向いていた。こんなお尻はいつまでも垂れさがることがなく、子供を十人産んでも変わらない。お尻の上がった女はシカのようによく走り回る。戦乱の時代に長い距離を走り回れることは若くて美しい女にとって何よりも大切よ。祖母は母の尻を軽く叩いて、満足そうに言った。「よし!」


湯浴みしている娘たちをこっそり観察して息子の嫁を決めてくる「疫病神」の祖母。妹を交換条件に村一番の醜男に村一番の美人を娶らせようとする「嫁が飛んだ!」の両親。現代と結婚観が異なるとしても、ある日突然「お前は明日からあの男と一緒になれ」と強要される娘はたまったものではなかっただろう。飛べるものなら飛んで逃げたくもなろうというものである。
莫言作品にはこうした非近代的な滑稽にして野蛮なエピソードがいくつも出てくるから、しばしば彼が超現実的手法を用いて小説を書いているように思い込んでしまうのだが、しかし現実として強引なのは作家の筆というよりも、彼より上の世代の奇怪なる処世術なのだ。彼が育った山東省の辺鄙な農村には革命以前から風習や慣習の中に階級闘争が厳然とあったし、貧しい農民がさらに貧しい者を虐げるのも珍しいことではなかったのだ。


そして莫言は、不条理には不条理を以て対抗させる。彼の国は孔孟、老荘思想の国だったはずだが、理も義も礼も道もあったものではない。孟母三遷の教えとかいうが、そんな悠長な故事はここでは通用しない。生きるためのリアリズム、ひたすらリアリズムに徹するしかないのだ。
病んだ母のために夜を徹して駆け続け、やっと手に入れた一包みの薬草を持ち帰ろうとする少年を木に縛りつけて立ち去ってしまう農夫。訳も分からず必死に助けを求める声を無視する人々。やがて憔悴しきった少年が拘束を解くためにとった手段とは…(「指枷」)。
本書には他にも自分の覚悟を示すために、あるいは儀式として、自傷を厭わない人物が登場して慄然とさせられるのだが、それはぎりぎりに追いつめられた者の悲壮な決意というより、ほとんど本能的な知恵のように見えた。

 持っていきな。そういい終えると、老父は背後に倒れて、すぐに息途絶えた。
 持っていきな。そういい終えると、老大は、すぐに息途絶えた。
 持っていきな。そういい終えると、老二は、すぐに息途絶えた。
 持っていきな。老三は言った。
 娘は月の光をつかむように刀をつかみ、一番下の息子に言った。私と一緒に行こう。


標準語の普及を指示された若い女教師の奮闘と挫折 「普通話」。厳しい監視下で纏足を引きずって石臼を轢き続ける赤貧の母が子のために穀物を持ち出そうとする 「命」。少年の目に映った苛酷な現実をノスタルジーとともにリリカルに描こうとして、理解できない場面に出くわす。その強固な壁を突き破ろうとして莫言は舞い上がり、血を滴らせながら幻視する。
体制や思想は時に理不尽な無形の暴力となって庶民の自由を奪う。黄色く波打つ麦畑を眺めながら野垂れ死んでいくことを拒んだ「指枷」の少年の姿は死への衝動的な反発力を鮮やかに象徴していたが、かといってそれは反体制的な英雄行為だったわけではない。
1955年生まれの莫言にとって、その強靱という他ない想像力のルーツは彼の一つ二つ上の世代から濃厚に受け継いだものであることは容易に知れる。彼の仕事は近代中国を透過した‘語り部’なのでもあろう。近年、アメリカに亡命して祖国を描く中国人作家が活躍しているが、やはり大地に根ざした下半身の強さは莫言の比ではないと思われる。日本流にいうならまさしく「横綱」の称号がふさわしい貫禄を感じさせる。

アリス・マンロー / 愛の深まり


アリス・マンロー / 愛の深まり / 渓流社(430P)・2014年11月(150109-0113) 】

The Progress of Love by Alice Munro 1986
訳:栩木玲子


・内容
 短篇の名手が、ふとした出来事による心の揺らぎを静かにあぶりだす作品集。ノーベル文学賞受賞作家が、鋭い観察眼としなやかな感性で描く、さまざまな「愛」のかたち。日常の中の生と性、死と老い、すれ違う愛、心の深淵…。表題作「愛の深まり」ほか、マンロー作品のエッセンスが詰まった十一篇。


     


アリス・マンローといえば小竹由美子さん訳の新潮クレストですっかりおなじみ。昨12月にも同レーベルより『善き女の愛』が刊行されたばかりだが、その直前に出ていた渓流社の新刊が図書館にあったので借りてきた。
こちらの訳者は栩木(とちぎ)玲子さん。名字に見覚えがあったので「もしや?」と思い調べてみると、W.トレヴァーなどのアイルランドものの翻訳者・栩木伸明氏の奥さまだった。なるほど。アイルランドトレヴァーと、カナダのマンロー。その日本語翻訳者がご夫婦であるとは偶然ではあるまい。
ノーベル賞受賞で日本では必ず‘円熟’や‘珠玉’という言葉を冠して語られているマンローだが、三十年前にしてすでにその老成の作風が確立されていたことを思い知らされた。ハズレなしの全十一篇。一日二話ずつ読んだ。

 私をお運びください。お運びください。正しい心へ。お願いします。今すぐに。どうかお願いします。
 あとになって彼女は思った。二時間もかからないあの電車の旅で学んだのは、祈りが通じることもある、ということだった。必死の祈りは聞き届けられる。祈りとはなにか。それに対する応答とはなにか、それまでの彼女はまったく分かっていなかった。それが今、なにかが彼女の中に降り、からみついた。降りてきたのは言葉。冷たくひんやりとした布のような言葉。それが彼女にからみつく。
 


1986年に刊行された著者五十代半ばの作品集。チャリオッツ・オブ・ファイア(炎のランナー)。セント・エルモス・ファイア。TVドラマ「ダラス」。デビッド・カッパーフィールド。八十年代っぽさを少しも感じさせないのは、アメリカ文化に侵食されないカナダの片田舎を舞台とする作品群だからか。
日本でいえば私小説的な題材と構造なのに、「過去にこんなことがありました、だから今こうなっているのです」的な物語は一つとしてない。語られているのは過ちを告白する「私」ではなく「個」であり、時代の風俗ではなく、心と肉体と言葉を持った生き物としての生態なのである。
過去と現在、記憶と現実を自在に往還し、入りくませて、閉めきったままだったカーテンがふと舞いあがるように、当時の日記帳には書かなかった想いがよみがえってきて、その思いもよらぬ生々しい感触が現在の自分を揺らめかす。


家族に関する回想を話題とする作品が多いのだが、どの作品も冒頭の数ページで登場人物が簡潔にスケッチされる。顔つき、言葉づかい、服装。現在住んでいる家、職業、人間関係。‘つかみ’が巧いので物語にすんなり入っていける。
いま呼吸しているこの瞬間にも、脳のどこかでは無意識に記憶を絶えず反芻していて、日々堆積する経験の下で少しずつ色を変え形を変えている。連綿とした長い時間の連なりの中では過去の一地点の位置も変わっていく。転がりながら形を変え丸くなっていく川底の石のように、時間と記憶は過去から現在に一直線に進んできたものではないことが語られる。
そして何かが解決するのでも終止符が打たれるのでもないが、著者は主人公たちを穏やかな境地に導いて、ひとまず小説は静かに閉じられる。

 意外なことに、彼は答えることができた。顔をぐっと上げて、まるで表面に浮かび上がるための強い引きを感じ取ったかのように。
 「なんのために祈ればいいのか分かるくらい賢かったら」 と彼が言う。 「僕は初めから祈ったりしないよ」
 冗談半分の答を返すと、彼は共犯者めいた微笑みを浮かべた。


この一冊の中に何人の人生が描かれていただろう。様々な家庭事情と環境にある万華鏡のごときそれぞれの人生模様。凝縮と分解と抽出の妙。もしも人間の博物館というものがあるならば、これはその広大な展示室の中でもきっと小さな一角を占めるべきもののようである。書いても書いても書ききれないとわかっていても、書かずにいられなかったアリス・マンローの壮大な事業の一部。
たとえ肉親ではあっても、愛を誓い合った結婚相手でも、慈しんで育てたはずの我が子であっても、時に不可解な得体の知れない存在に変わってしまう。彼らにとって自分もそのような他者であったかもしれないという冷厳な事実に気づき、少しずつそれに慣れ、そしてやがて醒めていく。記憶が変われば愛の形も変わっていくらしいのだが、短篇小説の中ですらそうであるのなら、実人生はもっと複雑で難解なものなのだ。それをアリス・マンローはよく知っている。
全話が女性主人公を視点人物とする物語だが、男性読者としては「ムッシュ・レ・ドゥ・シャポ」のロスと「祈りの輪」のケルヴィン、二人の男が強く印象に残っている。

多和田葉子 / 献灯使


多和田葉子 / 献灯使 / 講談社(274P)・2014年10月(150105-0108) 】


・内容
 大災厄に見舞われた後、外来語も自動車もインターネットも無くなった鎖国状態の日本で、死を奪われた世代の老人・義郎には、体が弱く美しい曾孫・無名をめぐる心配事が尽きない。やがて少年となった無名は「献灯使」として海外へ旅立つ運命に……。圧倒的な言葉の力で夢幻能のように描かれる超現実の日本。人間中心主義や進化の意味を問う、未曾有の傑作近未来小説。

講談社BOOK倶楽部HP → 献灯使 多和田葉子


     


160Pほどの中篇表題作の他に、四本の短篇が収められた作品集。いずれも「あれから」すっかり変わってしまった日本が舞台で、深刻なテーマと重苦しいトーンは共通している。しかし随所にこの作家らしい言葉へのこだわりを感じる文が散りばめられていて、しばしばストーリーを忘れて笑ってしまった。
『韋駄天どこまでも』は華道教室で知り合った二人の女性が大地震に遭遇し、一緒に逃げることになる。避難所へと移動するバスの席に並んで縮こまった二人は、互いの文字を刺激しあい、縦棒と横棒で(!)情交を始める…… どういうつもりでこんなものを!?とあ然としたのだが、そのシュールさには何だか筒井康隆みたいな趣きがあり、文字遊びや思いついた新造語を書きつける勢いには有無を言わせぬパワーが漲っていて圧倒された。

 「無名、待っていろ、お前が自分の歯では切り刻めない食物繊維のジャングルを、曾おじいちゃんが代わりに切り刻んで命への道をひらいてやるから。俺は無名の歯だ。無名、太陽をどんどん体内に取り入れろ。」


並びとしては三番目に収められている掌篇『不死の鳥』の世界観を継いで書かれたメインの『献灯使』は何度か再読。
百歳を越えて壮健な老作家・義郎が小学生の未熟な曾孫・無名(むめい)と暮らしている。環境の激変で老人の体力は衰えなくなった一方、新しく生まれてくる子どもたちはみな虚弱体質で流動食しか口にできず、大人の介護なしでは生きられない。なぜ親ではなく三世代も上の曾祖父が子の面倒を見ているのかという部分にこそ、この作品の胆はあるのだった。
義郎の目には無名は軟体動物か鳥類のような、自分とは別の生き物のように映っている。自分は健康なまま生きながらえるとして、自力では栄養を摂取することすらままならない曾孫が生きのびるのは至難だろう。大人より子どもの方が早く死んでいくという不条理。人間の生態を矛盾させた過ちに対する怒りと悲しみを抱えたまま、義郎は無名を見守っている。自分が生きてきた時代、社会、環境を、次世代に受け継がせることができないという失敗を、今われわれは行っている、という著者の強い危機意識を痛いほど感じながら読んだのだった。


しかし一方、無名の方は自分の身体が脆弱であることを気に病む様子はなく、年齢相応に天真爛漫な子どもといってもよい。小学校卒業時には総白髪になり、歩けなくなっているにもかかわらず、その変化を従容していてまったく前途を悲観することがない。この世代には環境に順応するための本能的な知恵が具わっていて、義郎の世代には想像もつかなかった独自の文明を生み出していくのではないか。汚れた文明が終わって無垢な新しい文明が始まるのかもしれないという微かな希望がほのめかされる。
現代文明が行きづまったとき(あるいは終わるとき)、それまでの成長一辺倒の価値観では量れない現象がきっと表れてくる。肉体的には退行しているように見える無名たちが、実は逆説的な強さを持って変異していくというアンチテーゼ。この作品は表面的にはもちろん3.11後に進行したディストピア的世界観を想像させるのだが、それは義郎=現代のわれわれ読者の視点に立ってのものである。脆く儚げな無名たちが、たとえミミズや虫を食うことになろうが、賢くたくましく生きていくのを祈らずにいられない。

 「ごめん、まずいね」
と後悔のかゆさに耐えきれず頭皮をポリポリ掻きながら無名に謝ると、無名が不思議そうな顔をして、
 「まずいとか、美味しいとかあんまり気にしないんだ、僕たち」
と答えた。義郎は自分の浅はかさを思わぬ方角から指摘され、恥ずかしさに息がつまった。


ここに描かれているのは、ただ大地震原発事故だけが原因でもたらされたものではない。気候変動や国際的孤立を招く外交政策の失敗や、超高齢化と少子化が同時進行する社会、食糧自給自足率の低さ、秘密保護法や憲法軽視を許す、まさしく現代日本の諸相を取り込んで大胆にデフォルメした世界のようである。
なぜこうなってしまったのかという地点で足踏みしたまま風化していくのを黙って見ていられない。風評被害や被災者感情への配慮というもっともらしい理由で自己規制する空気がこの社会から想像力を奪いつつあるのではないか。書きかけの歴史小説を自ら破棄してしまった義郎に、自制という抑圧を招きつつある現代日本の作家たちへの叱咤が含まれていたと思う。
多和田葉子さんがこのような作品を書くとは意外な気もしたのだが、ドイツに暮らしているからこそ、余計によく見える部分もあったのかもしれない。絶対に想像力を飼い殺しにはしない。言論にたずさわる者としての、表現者としての、彼女の堂々たる態度に大いに感動した。
堀江栞さんの表紙絵と挿画はインスピレーションをかき立てる。本文印刷も美しく、重みのあるつくりの大切に持っていたい本になっている。年は変わったが、まごう方なき2014年ベストの一冊である。

柴崎友香 / 春の庭


柴崎友香 / 春の庭 / 文藝春秋(141P)・2014年7月(150103) 】


・内容
 離婚したばかりの元美容師・太郎は、世田谷にある取り壊し寸前の古いアパートに引っ越してきた。あるとき、同じアパートに住む女が、塀を乗り越え、隣の家の敷地に侵入しようとしているのを目撃する。注意しようと呼び止めたところ、太郎は女から意外な動機を聞かされる…… 「街、路地、そして人々の暮らしが匂いをもって立体的に浮かび上がってくる」(宮本輝氏)など、選考委員の絶賛を浴びたみずみずしい芥川賞受賞作。


     


1月3日の夕方、数時間で読了。大江健三郎の後に読むものはいつでもそうだが、とても読みやすく感じた(笑)。
以前読んだ『わたしがいなかった街で』に比べると小粒というか、すっきりとそつなくまとめてあって、‘いかにも芥川賞受賞作’というたたずまい。あれもこれも書こうと苦心するより、ひたすら引き算で削って削って、残りをポンと投げ出したような…。
都市生活者の日常が写実的な視線で淡々と描かれているのだが、三十代と思しき独身男性である主人公の生活よりも、彼の通勤経路や自宅アパート周辺の地理、部屋の間取りなどが妙に几帳面に細かく書かれている。
老朽アパートと新築の高層ビルマンション、高級住宅が混在する街は、近所ではあってもどんな人物が住んでいるのかわからない。整然とした街並みに見えても実は空き家も空き部屋も多く、頻繁に入居と転出が繰り返されている。地図上ではぎっしりと住居がひしめいている都会の街だが、実は虫食い状の空洞があちこちにある。そんなイメージから始まる。


帯文には「隣の女に誘われた冒険」なんて何やらいわくありげに書いてあるのだが、たいしたドラマは起きない。事件も事故も災害も犯罪もなく、日常生活の中のちょっとした出来事が重ねられていくだけだ。ちょっとした起伏はあるけれど、ストーリーとして盛り上がるのでもない。なので感想を書くのは難しい。今この記事を書こうとしていて、下手すると読むのに要した以上の時間がかかってしまうのではないかと、少し焦っているくらいだ。
何となくだが、あやふやな「不確かさ」だけが印象に残っている。主人公の彼は何を目標に、どんな将来の展望を思い描いて生きているのか。なぜそこに暮らし働いているのか。はっきりとした根拠は示されず、あいまいだ。彼は人づきあいは苦手ではなさそうだが、たいていおざなりな態度で済ます、体温の低そうな、根無し草のようにも見える。

 空き家であるときは停止していた時間が、動いていた。家の中に誰もいなかった一週間前と、建物自体はまったく同じなのに、その場所の気配や色合いが一変していた。人がその中で生活しているというだけでなく、急に、家自体が生き返ったみたいだった。写真の中と同じくいつまでも眺めていられると思い込んでいた家が、意思をもって動き始めたように感じた。大げさかもしれないが、人形が人間になったような生々しさがあった。


数少ない手がかりというか一つの基準めいた話題として、「ニール・ヤングの世代」、つまり終戦の頃に生まれ現在六〜七十歳代くらいの、主人公の親世代が持ち出されている。
その世代が大人になって家庭を持ち子どもを育てる間に社会はどんどん多様化し、家族・コミュニティの崩壊や人間関係の変質が懸念されたが、現実にそれらは進んだ。プライバシーを尊重する反面、他人に干渉するのを避け、自分に干渉されるのを嫌うようになった。責任や義務や、地域の伝統的慣習や家族内の決まりごとなどが、けして軽んじるつもりはなかったかもしれないが、忘れられていった。そうして「常態」というものが一世代前とは確実に変わってしまった。
その子ども世代である主人公に自分は特に違和感も反感も覚えなかったし、共感というほどではないにしても、親しい感覚はあった。不確かさは必ずしも暗い影ではないのだ。


われわれは一見ぼんやりと時を過ごしているように見えるのだが、本当にそうだろうか? あちこちでしきりと「つながろう」キャンペーンが目につく昨今だが、そんなに自分たちは孤立し断絶しているのだろうか。だとしたら、何から…?
著者は最後にちょっとした仕掛けを用意していて、平板な作品のコントラストを上げて、希薄な人間関係の修復に成功している。その効果を高めるために、本来ならば小説を書くときに当たり前の人物造形と情報をあえて省き、主人公をあやふやな、足下の覚束ない没個性のように見せかけていたのかもしれない。
そう想像した最大の根拠は、著者がこの主人公に「太郎」という ―ありふれているようで、けしてありふれてはいない― 名前を与えているからである。


錆びるより燃え尽きたい― 朋友クレージーホースを従えた2014年のニール・ヤング69歳 “Keep On Rockin' In The Free World”。そういえば彼の長男も先天性の障がいを持って生まれてきたのだった。


     

大江健三郎 / 晩年様式集


この年末年始、大江健三郎の半自伝小説『晩年様式集』と『懐かしい年への手紙』(1987年)を続けて読んだ。特に大長篇で難儀した後者の方は、感想を書きかけたのだが全然まとまらないので止めた。はじめの予定では、2015年の最初ということで‘大江健三郎特集’的な長い記事にしようと意気込んでいたはずなのだが。新年早々、あきらめが早い。


大江健三郎 / 晩年様式集(イン・レイト・スタイル) / 講談社(331P)・2013年10月(141226−1229) 】


・内容
 3.11後、それまで書いていた小説の原稿をすべて破棄した大江健三郎氏。新たに緊迫した日本を小説の舞台に選んで語り始める。老境の円熟を拒否してカタストロフ(大惨事)に挑む傑作! これまでの作家としての成果すべてを注ぎ込んで、個としての作品を超えるメタ(超越的)小説。一見“私小説”、しかし実は・・・・・・。この作品を通して大江健三郎の全人生が見えてくる。最後に引用された恐るべき予見の詩とは?


     


後期の大江健三郎というと、著者=語り手=主人公にした私小説風の作品が思い浮かんで二の足を踏むことが多かったのだが、3.11後の彼への興味から読んでみた。
純粋な創作というのではなく、近親の者たちを登場させて虚実ない混ぜの回想が展開されていくのは想像していた通り。これまでにもたびたび描かれてきた故郷である四国の森も再び描かれている。(大江家の家族関係や、「ギー兄さん」をはじめとする特徴的な登場人物群を知っていないと取っつきにくいかもしれない)
同じような成り立ちではあるものの、この作品が過去作品以上にリアリティを感じさせるのは、3.11とその後の作家の日常がビビッドに伝わってくるからだろう。自分にとっては、初めて大江健三郎と「同時代性」を共有しながら読むことが出来た作品だったかもしれない。

 パパはアカリさんに対して、本気で話をすることがなくなったように感じる。それは自分自身に対しても真面目な話はしなくなったということじゃないか? アグイーという生きものが、心を病んでいる人の幻想だとしても、その話を自分が小説で語り出していながら、アカリさんに対して真面目に話し続けない、ということなのだから。


あの日、総崩れした自宅の書庫で、大江健三郎も狼狽えていた。原発事故の続報を注視し、カタストロフィーの予感に震える日々が続いた。それから反原発集会やデモに参加する多忙な日々を迎えることになったのだが……
この一連の流れから、半世紀にわたって核の脅威と非人間性を訴え続けてきた作家像を、反原発の象徴的な一つの記号として、アイコンとして見つけるのは容易だろう。だが、ここにいるのは八十歳に近い「後期高齢者」であり(彼が自らをそう称しているのはとても意外なのだが…)、家族に批判される身の、老いた家長でもあった。青年時代のように概念としてではなく、差し迫った現実問題としての「核の脅威」に直面し、大群衆の前でマイクを握った老作家が、その活動をしながらどんな生活を送っていたのか。
老境にある作家が現実感覚としてすべてが終わり、すべてが喪われるときが近いのを実感しながらこれを書いたのだろうと想像しながら読んだのだった。


まじめな、思いつめた印象の文の表層からは感得しがたいのだが、政治観にしろ家族観にしろ、この作家は本質的に無邪気なところのある、そして暢気な人だった。当人はほとんど自覚していないようなのだが、重要な登場人物である「ギー兄さん」や冷静な観察眼の持ち主で良き批評家でもある妹・アサの指摘によってそれが知らされる。どこか楽観的な無邪気性があるゆえに、最終的に深甚な絶望までには至らない、彼の作品に見られた「希望」とは、そういうところから導き出されていたのかもしれない。
思い返してみれば、「僕」の主観によって繰り返し小説に(それも事細かく描写されて)モデルとして登場させられてきた家族たちは、実生活上の夫であったり父である大江の作品をどんな心持ちで読んできたのだろうと考えさせられるのだ。これはフィクションなのだと承知はしていても、本の中に書かれているのが夫の、父の本心の吐露であり、目の前の気むずかしい表情に隠された言葉を疑うようになるのではないか…?

 ― そのように、自分ひとりでいつも考えていて、ともかくも人から知的障害者といわれているのを知っているから、自分に間違ったところがあるのはないかと気にしているんです。兄さんは書いたりしゃべったり、御自分の台詞で生きて来た人ですが、それについてアカリさんのような反省はありますか?


傷つくことすらあれど、結局は「語り手」である以上、いつも物語の最後までを無事に見届ける立場にいて、さまざまに自己流の解釈を加えることができた人。その擬似世界に自分たちを巻きこむ抑圧的存在だったとして著者は家族から思いがけない批判を浴びる。彼がしばしば一心同体であるかのように小説に描いてきたあの長男からも、自分はそのようなことを本当には言っていなかったと反発される。
進歩的知識人のマスクの下の、八十歳になろうとする作家の焦燥と感慨が、かつてないほど素直に告白されていたと思う。常に最善の批評家であり続けた家族との和解。思いやりにあふれた息子と娘の自立した姿の再発見。人類の救済と再生というような大きなテーマに取り組んできた自分が、現実にはどのように救われてきたのかを初めて、往生際の悪さも認めながら書いている。
しかし、もしかしたら、大江健三郎はそのような私的なことすら小説として書くことによって初めて認識したのではないかと思ったりもする。「ギー兄さん」の創出によって、このシリーズは私小説のスケールを越えたものではあるのだが、特に本作では「私」の部分にこそ、今の大江健三郎の真髄が発揮されているのではないか。


原発大集会でのスピーチ原稿と、本文最後に掲載された「私は生きなおすことはできない/私らは生きなおすことができる」と結ぶ詩が読めるのも貴重。
講談社BOOK倶楽部 のページで本作の直筆原稿を見ることができる。最終稿ではないが、大江健三郎の元原稿はこんなに雑なのかと、つい笑ってしまった。

舩橋 淳 / フタバから遠く離れて


ちょうど昨夜(12/26)、NHKスペシャル「38万人の甲状腺検査」が放送された。本書に収録されている津田敏秀氏の指摘(福島の甲状腺検査結果が過小評価されていると警告)を再読しつつ視聴。この期に及んで安全神話によりかかった予断を持った医師が検診していてはまずいのではないか。貴重な機会なのに、説明不足が福島の母親たちの不安と不信を招いて破綻しかかっている現状。そもそも県立医大に丸投げした国と県はどうするのか、また想定外とでもいうのだろうか。原発体制を支えてきた非科学的楽観論がいまだにまかり通っているように見えてやりきれない。

通販生活HP → 読み物:緊急座談会:福島のお母さんたち、山下俊一さんに迫る  (同サイトに舩橋淳氏のインタビュー記事も)



舩橋淳 / フタバから遠く離れて ―避難所からみた原発と日本社会 / 岩波書店(202P)・2012年10月(141220−1223) 】


舩橋淳 / フタバから遠く離れてⅡ ―原発事故の町からみた日本社会 / 岩波書店(249P)・2014年11月(141223−1226) 】


・内藤
 3月11日の震災と原発事故により、原発立地自治体である福島県双葉町は、町ごとの避難を強いられた。埼玉県加須市・旧騎西高校の避難所に密着した映画作家が見たものは。出会った人びとの声に、私たちは何を聞きとることができるのか。同名映画の公開に合わせ、緊急出版。


     


ヒロシマ・ノートと沖縄ノートと併読する形になった‘フタバ・ノート’。 3.11後の報道から放射線被害を逃れて避難した町々の断片的な予備知識はあったものの、こうして一つの町の密着ドキュメントを読むと、あらためて暗澹たる気持ちになると同時に、原発事故から三年半が過ぎた現状を知るにつけ「ここでもまた…」という既視感も覚えるのだった。
 1.新たな差別が災害の起きた場所につくりだされる  2.社会の矛盾は被災地に最も色濃く現れる
谷中村、水俣、広島・長崎、沖縄。関連本を読むと必ず出てくる共通の現象が、現在の福島避難民にも起きている…
もうすぐ四年が経過する避難生活のあいだに、避難所での待遇や賠償額をめぐって深刻な対立が発生している。町と県、町長と町議会の関係に亀裂が生じ、さらに追い討ちをかけるように汚染土の中間貯蔵施設の建設が町民の帰還意向を分裂させている。
一件ずつの具体的な事象を溶かして俯瞰してみれば、いかに原発が環境とコミュニティを破壊しながら人心をも荒廃させていく装置であるかということがわかる。

 このような経験をするなかで、私が自戒を込めてふれ回っていることは、双葉町民が「お気の毒な人々」であるというレッテル貼りは避けなければならない、ということだ。それは、犠牲のシステムの上に依存して加害する側に(無意識的にも)立ってしまった我々の当事者意識を希薄にしてしまうからである。


本書は福島の事故により避難を強いられた自治体のなかで最も遠い場所に集団避難した双葉町の現在までの三年半を追ったドキュメンタリー映画の書籍化。映画の方はまだ見れてないのだが、おそらく作者の主観を挟みこまないようフラットな視線で撮影されたであろう映画とちがい、避難所に溶けこんで疲弊していく町民を見つめ続けた作者=著者の一個人の実感と意見が素直に記された内容となっている。
われわれが目にする報道では、彼らは災害被害者としてひとくくりに映し出される。ジャーナリズムとは違う定点観測的な方法論によって辛抱強く対象に向き合い、その向こうに現代社会を透かし見ようとするドキュメンタリー作者の自負が文章に表れている。二本の映画はそれぞれ二時間弱の作品にまとめられたが、実際の撮影時間は数百時間に及び、編集でカットせざるをえなかった場面の方がはるかに多い。映画には盛りこめなかった部分をフォローしているという点で、これは貴重な記録ノートとなるであろう。


特に続篇「Ⅱ」は、汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐる石原伸晃環境大臣(当時)「結局は金目でしょ」発言や、漫画「美味しんぼ」の風評被害騒動など今年のトピックも多く含んで、現在進行の現地の動揺と混乱が生々しく伝わってくる。(蓄積されていくストレスは一過性の報道では伝えきれないだろう)
事故発生直後から物議を醸した放射線予防と対策についての混乱は記憶に新しく、もう今さら驚くようなことはあるまいと思っていたのだが、「Ⅱ」の付録として掲載されている疫学者・津田敏秀教授(岡山大)のインタビュー〈原発事故と健康調査〉を読んで再びあ然とした。どれだけの被爆がどんな健康被害をもたらすかわからない。ならば調査せよ、という当たり前の提言がまったく通じない。WHOをはじめとする国際機関の警告が黙殺され、津田さんや小出裕章さんらがあれだけ熱心に働きかけてきたにもかかわらず、若年層の甲状腺がんの検査以外、国や県が主体となった健康調査はいまだに実行されていない現実。
「ただちに健康被害はない」、その「ただち」を過ぎようとするこの三年半の国家的怠慢、収束宣言とアンダー・コントロールの欺瞞。永田町と霞ヶ関、国の中枢がすでにして放射能まみれなのだ。

 誰に言うでもない、思わず心の内から出た言葉だったのだろう。いろいろな思い出の詰まった我が家に、こんな形でしか戻れない。原発事故の奪い去ったものは計り知れないと言うのは容易だが、目の前でそれを実感し、私はわなわなと全身が震えてしまった。そして、自然と涙が溢れてきた。かろうじてキャメラを支えながら、これは映画の核になるに違いないと感じていた。


ヒロシマ・ノート』において中国新聞解説委員の提言に共鳴した大江健三郎がしきりに訴えていたのは、二十年間放置されていた被爆者の実態調査をして「原爆被災白書」をつくろうということだった。
なぜ国はきちんと調べようとしないのか? 基礎データを得ようともせず調べもしないで科学的論拠を示せるのか? 結局は原発放射能という最先端の科学技術は世界基準をも無視した非科学的論理によって推進されてきたのではないか……? 双葉町民の健康と文化的な生活権を奪った国と東電は憲法違反である。本書を読めば読むほどこれは科学の問題ではなく倫理の問題なのだと痛感するのだが、優先されるのはいつでもどんな場合でも経済である。だが、胸に手を当てて考えてみれば、われわれ自身も商品化された3.11を消費してきたのではないかという自戒もある。
大江健三郎にならって言うのなら、われわれは今般の事態を、原発の威力として記憶しているのか、人間の悲惨として記憶しているか、「真の経験」としようとしているか、ということになる。
無関係な他者の経験としてではなく、放射能という頽廃の拡散と蔓延に抗して、同時代に生きる全日本人的経験として共有しようとする想像力を持ち続けること。直接的な被害者でなくとも個人的態度として「真の経験」とする=思想化するための示唆に富むヒントが本書には書かれている。