舩橋 淳 / フタバから遠く離れて


ちょうど昨夜(12/26)、NHKスペシャル「38万人の甲状腺検査」が放送された。本書に収録されている津田敏秀氏の指摘(福島の甲状腺検査結果が過小評価されていると警告)を再読しつつ視聴。この期に及んで安全神話によりかかった予断を持った医師が検診していてはまずいのではないか。貴重な機会なのに、説明不足が福島の母親たちの不安と不信を招いて破綻しかかっている現状。そもそも県立医大に丸投げした国と県はどうするのか、また想定外とでもいうのだろうか。原発体制を支えてきた非科学的楽観論がいまだにまかり通っているように見えてやりきれない。

通販生活HP → 読み物:緊急座談会:福島のお母さんたち、山下俊一さんに迫る  (同サイトに舩橋淳氏のインタビュー記事も)



舩橋淳 / フタバから遠く離れて ―避難所からみた原発と日本社会 / 岩波書店(202P)・2012年10月(141220−1223) 】


舩橋淳 / フタバから遠く離れてⅡ ―原発事故の町からみた日本社会 / 岩波書店(249P)・2014年11月(141223−1226) 】


・内藤
 3月11日の震災と原発事故により、原発立地自治体である福島県双葉町は、町ごとの避難を強いられた。埼玉県加須市・旧騎西高校の避難所に密着した映画作家が見たものは。出会った人びとの声に、私たちは何を聞きとることができるのか。同名映画の公開に合わせ、緊急出版。


     


ヒロシマ・ノートと沖縄ノートと併読する形になった‘フタバ・ノート’。 3.11後の報道から放射線被害を逃れて避難した町々の断片的な予備知識はあったものの、こうして一つの町の密着ドキュメントを読むと、あらためて暗澹たる気持ちになると同時に、原発事故から三年半が過ぎた現状を知るにつけ「ここでもまた…」という既視感も覚えるのだった。
 1.新たな差別が災害の起きた場所につくりだされる  2.社会の矛盾は被災地に最も色濃く現れる
谷中村、水俣、広島・長崎、沖縄。関連本を読むと必ず出てくる共通の現象が、現在の福島避難民にも起きている…
もうすぐ四年が経過する避難生活のあいだに、避難所での待遇や賠償額をめぐって深刻な対立が発生している。町と県、町長と町議会の関係に亀裂が生じ、さらに追い討ちをかけるように汚染土の中間貯蔵施設の建設が町民の帰還意向を分裂させている。
一件ずつの具体的な事象を溶かして俯瞰してみれば、いかに原発が環境とコミュニティを破壊しながら人心をも荒廃させていく装置であるかということがわかる。

 このような経験をするなかで、私が自戒を込めてふれ回っていることは、双葉町民が「お気の毒な人々」であるというレッテル貼りは避けなければならない、ということだ。それは、犠牲のシステムの上に依存して加害する側に(無意識的にも)立ってしまった我々の当事者意識を希薄にしてしまうからである。


本書は福島の事故により避難を強いられた自治体のなかで最も遠い場所に集団避難した双葉町の現在までの三年半を追ったドキュメンタリー映画の書籍化。映画の方はまだ見れてないのだが、おそらく作者の主観を挟みこまないようフラットな視線で撮影されたであろう映画とちがい、避難所に溶けこんで疲弊していく町民を見つめ続けた作者=著者の一個人の実感と意見が素直に記された内容となっている。
われわれが目にする報道では、彼らは災害被害者としてひとくくりに映し出される。ジャーナリズムとは違う定点観測的な方法論によって辛抱強く対象に向き合い、その向こうに現代社会を透かし見ようとするドキュメンタリー作者の自負が文章に表れている。二本の映画はそれぞれ二時間弱の作品にまとめられたが、実際の撮影時間は数百時間に及び、編集でカットせざるをえなかった場面の方がはるかに多い。映画には盛りこめなかった部分をフォローしているという点で、これは貴重な記録ノートとなるであろう。


特に続篇「Ⅱ」は、汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐる石原伸晃環境大臣(当時)「結局は金目でしょ」発言や、漫画「美味しんぼ」の風評被害騒動など今年のトピックも多く含んで、現在進行の現地の動揺と混乱が生々しく伝わってくる。(蓄積されていくストレスは一過性の報道では伝えきれないだろう)
事故発生直後から物議を醸した放射線予防と対策についての混乱は記憶に新しく、もう今さら驚くようなことはあるまいと思っていたのだが、「Ⅱ」の付録として掲載されている疫学者・津田敏秀教授(岡山大)のインタビュー〈原発事故と健康調査〉を読んで再びあ然とした。どれだけの被爆がどんな健康被害をもたらすかわからない。ならば調査せよ、という当たり前の提言がまったく通じない。WHOをはじめとする国際機関の警告が黙殺され、津田さんや小出裕章さんらがあれだけ熱心に働きかけてきたにもかかわらず、若年層の甲状腺がんの検査以外、国や県が主体となった健康調査はいまだに実行されていない現実。
「ただちに健康被害はない」、その「ただち」を過ぎようとするこの三年半の国家的怠慢、収束宣言とアンダー・コントロールの欺瞞。永田町と霞ヶ関、国の中枢がすでにして放射能まみれなのだ。

 誰に言うでもない、思わず心の内から出た言葉だったのだろう。いろいろな思い出の詰まった我が家に、こんな形でしか戻れない。原発事故の奪い去ったものは計り知れないと言うのは容易だが、目の前でそれを実感し、私はわなわなと全身が震えてしまった。そして、自然と涙が溢れてきた。かろうじてキャメラを支えながら、これは映画の核になるに違いないと感じていた。


ヒロシマ・ノート』において中国新聞解説委員の提言に共鳴した大江健三郎がしきりに訴えていたのは、二十年間放置されていた被爆者の実態調査をして「原爆被災白書」をつくろうということだった。
なぜ国はきちんと調べようとしないのか? 基礎データを得ようともせず調べもしないで科学的論拠を示せるのか? 結局は原発放射能という最先端の科学技術は世界基準をも無視した非科学的論理によって推進されてきたのではないか……? 双葉町民の健康と文化的な生活権を奪った国と東電は憲法違反である。本書を読めば読むほどこれは科学の問題ではなく倫理の問題なのだと痛感するのだが、優先されるのはいつでもどんな場合でも経済である。だが、胸に手を当てて考えてみれば、われわれ自身も商品化された3.11を消費してきたのではないかという自戒もある。
大江健三郎にならって言うのなら、われわれは今般の事態を、原発の威力として記憶しているのか、人間の悲惨として記憶しているか、「真の経験」としようとしているか、ということになる。
無関係な他者の経験としてではなく、放射能という頽廃の拡散と蔓延に抗して、同時代に生きる全日本人的経験として共有しようとする想像力を持ち続けること。直接的な被害者でなくとも個人的態度として「真の経験」とする=思想化するための示唆に富むヒントが本書には書かれている。