松本侑子 / 神と語って夢ならず


松本侑子 / 神と語って夢ならず / 光文社 (359P) ・ 2013年 1月(130224-0228) 】



・内容
 「わしらの国を作ろうや」― 時は幕末。世界初の自治政府、立つ!江戸時代最後の年、倒幕と尊王にゆれる日本海隠岐島で、若き庄屋が、農民3000人を集めて蜂起。圧政の松江藩を追放し、パリ・コミューンより4年早く、世界初の自治政府を始めた。王政復古と世直しの御一新に、夢をかけた男たち。だが、その理想と、維新の現実は異なっていた。さらに、思わぬ新政府の裏切りが……。
新田次郎文学賞『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』の著者が描く青春と動乱の幕末維新ロマン。


          


太宰治と心中した山崎富栄を描いた『恋の蛍』が素晴らしかった松本侑子さんの新刊歴史小説。幕末〜明治維新の動乱期、統治者に翻弄される隠岐の島で自主独立の気概に燃えた青年たちの姿を史実をもとに描く。
1853年ペリー来航、1860年桜田門外の変、1867年大政奉還王政復古の大号令、1868年戊辰戦争……。日本史の授業でぼんやり覚えた「項目」と流れ。そこから一部抜粋してドラマ化される薩長同盟新撰組等の志士英傑伝には後付けの現代的ロマンが脚色強調されていて、当時の庶民の生活感はほとんど黙殺されている。
本作が新鮮だったのは、地方の視点から中央の政変を見ているところ。江戸幕府の弱体化、開国と倒幕の動き、王政復古という時代の流れは急激で、昔ながらの暮らしをしている地方生活者には‘寝耳に水’のような出来事の連続だっただろう。
旅館討ち入り事件の斬る方にも斬られる方にも何ら共感しない自分のような者には、この作品の登場人物たちはずっと身近で「もし自分が彼らの立場だったら」との想像もしやすかった。

 「これは隠岐の知恵じゃ。今日は力ずくの勝負をして、勝者と敗者にわかれても、明日からは、また同じ島で顔をあわせ、力をあわせて畑をして、漁をして、生きていかねばならん。勝った、負けたで、ひがみ、そねみが出ては、島は丸くおさまらぬ。」


それまで見たこともない黒塗りの巨大な蒸気船が砲門をこちらに向けて港に入ってくる。血の滴る牛肉を喰らうという赤毛碧眼の異人が甲板から見下ろしている。歴史教科書にはいきなり「尊王攘夷」という政治用語が登場して面食らわされたが、西洋人との関わりなどなかった当時の人々が浜辺で目にしたのは何とも恐ろしく薄気味悪い、異様な光景だったことだろう。
ましてや、隠岐の島は後鳥羽上皇後醍醐天皇所縁の地。対岸の徳川親藩松江藩の苛政に苦しめられてきた庄屋以下小作人たちの‘謀叛’の素地が急がず丁寧に書かれていて、尊王攘夷がけして過激思想なのではなく、この地域の人々の自然な感情であったことがよく伝わってきた。
藩都・松江から十二里以上の日本海上に位置する隠岐に届く情報は少なく、遅い。しかし、農民の身分ながら国学儒学、漢医学を学ぼうとする向学心旺盛な青年たちがいた。彼らが中心となって、江戸幕府瓦解後も旧弊な統治を続けようとする松江藩に対して、ある種の‘クーデター’が実行されたのだった。



隠岐近辺でも外国船を見かける機会が多くなってきた十九世紀中頃からの、一人の庄屋家の青年・井上甃介(しゅうすけ)を主人公として物語られる。
この主人公がやや弱いのが残念。彼は現代風にいえば「活動家」的な立場にあって、同志とともに故郷の隠岐を守り、自治を勝ち取ろうとする。ロマンに走りすぎないための配慮なのかもしれないが、甃介の私生活、家族(妻と子ども)のふれあいは省略気味なので、彼が主人公なのか、それとも群像劇の中の一人なのか、散漫になってしまったと感じられる部分がある。
読んでいて、これは面倒なテーマを取りあげたものだと同情もした。国体を揺るがす重大事件が続発して江戸から明治へと変わっていく歴史的な大転換点(…コニー・ウィリスのタイムマシンなら絶対に降下できない時代だ)と、一方で日本海沖のつましく暮らす島民をバランス良く描くのは大変な苦労だったとも思う。「倒幕」や「攘夷」を叫んで劇的に死んでいったサムライを書く方がよほど書きやすかったであろうとも思われた。

 「生き証人の常太郎さんに、この書類を託します。大坂へおもちください。
わしが死んでも、わしの書類が焼かれても、この書類が、隠岐の御一新のすべてを、百年後、二百年後に伝えてくれます」
 「心得ました」 常太郎は旅嚢の奥深くにしまった。「おあずかりした書面は、子々孫々までつたえます」


著者は『赤毛のアン』に関する著作多数の国際派でもある。その人がこういう勤王の時代小説を書くとは意外だった。文体もふつうに歴史物なのがこれまた意外なのだが、男性作家や歴史学者が書いたものとはちがう読み味も確かにあるのだった。隠岐は日本のアイルランドみたいなものかと思ったり。何より「船で隠岐まで行ってみたい」「蜜柑色に輝く海を見たい」と思わされたのである。
一部の政治勢力が唱えるスローガンとしての、利得がらみの尊王ではなく、生活風土に密着した尊王思想の向こうに垣間見えるのは、たぶん「本当の日本」の一つの姿だ。明治政府が実施した王政復古は、隠岐で甃介たちが目指した尊王理念とはかけ離れたものだった。しかし、まだ民主主義の概念は広まっていない時代だったことを思うと、「思想が先か、現実が先か」というようなことを考えずにいられないし、この「隠岐騒動」といわれる御一新のスピリットは『吉里吉里人』や『阿武隈共和国独立宣言』にも根底ではつながっていると感じられたのである。
歴史の渦にかき消されそうな人々の営みを一篇の小説が現代によみがえらせる。魂の継承なんていうと大仰だが、ちょっと勇気づけられるではないか。