宮下奈都 / はじめからその話をすればよかった


【 宮下奈都 / はじめからその話をすればよかった / 実業之日本社 (320P) ・ 2013年10月 (131023-1027) 】



・内容
 単独の著書として10冊目にあたり、『終わらない歌』以来1年ぶりとなる本書は、著者初のエッセイ集。小説を書く理由、自著の創作秘話、三人の子供たちを愛おしむ日々、大好きな本や音楽と共にある暮らし……。2004年の作家デビュー以来9年間で紡がれたエッセイ81編と、単行本初収録となる掌編小説4編を収める、宮下ファン必携、極上の一冊の誕生だ!


          


自分にとっては著者<作品なので、その小説をどんな人が書いたかということにはあまり興味がない。どういう人かは作品を読めばわかる。逆に言えば、作品と著者の実像がかけ離れていてほしくないから、作家の素顔がわかりそうなインタビューや雑文を避けているのかもしれない。
本書は宮下奈都さん初のエッセイ集。これまでに文芸誌はじめ各種雑誌、新聞等に発表された随筆をメインに、他の作家さんの文庫本への寄稿文、さらに自作解説に未発表の掌篇四本と、CDアルバムでいえばレア・トラックを集めた編集盤のような作品集。 
テーマも内容も多彩だが読んでいて雑多な感じはしないし、宮下さんの小説を読んでいるときと同じ心持ちでそれぞれを読むことができる。つまり、著者の人柄と文章が一致していてそのことに胸をなでおろしつつ、自分はこの文章が好きなのだとあらためて思うのだった。

 人生について書かれているわけではない。料理の大事、料理そのものがそこに書かれているだけだ。純粋な ―純粋すぎるほどの― クック・ブックである。特に奇抜な料理が載っているわけでも、逆に手軽な料理ばかり載っているわけでもない。コツは書かれているが、そういう話だけでもなく、かといって精神論ではまったくない。ただし、ある種の気概が必要であることは行間からひしひしと伝わってきた。たぶん、料理にも、人生にも。


『終わらない歌』までの十作では、『田舎の紳士服店のモデルの妻』以外に母親を主人公にした作品はなかった。現実の宮下さんは三人の子の母である。『メロディ・フェア』の舞台となった北陸の地方都市は著者在住の福井の街を思わせたが、主婦の生活感のようなものはまったく感じさせなかった。
本書のなかのエッセイには家族と故郷福井についての話題が多い。家事をこなしながら作家業を続ける宮下さんにとっていちばん身近な話題ということだろう。小説は日常生活とはべつのネタを膨らませて作品にしてきたということになる。最近読んだ『さようなら、オレンジ』で家庭と創作活動を両立させようとする女性のジレンマが強くインプットされていたのだが、宮下さんにはあの「ハリネズミ」の苦悩はなさそうで(まったくないわけではないだろうが、それを表に出さない)その姿勢に感心してしまった。
収められている四つの掌篇小説はいずれも小さな子どもを見つめた作品。やっぱりこういうのも書くんだと、ちょっと『きみはいい子』を連想するものもあったのだが、それよりずっと前に書かれたものだった。



「薫る言葉」と題して郷里の福井新聞に掲載された数篇と、「みんてつ」に発表された「四つの季節の鉄道ものがたり」四篇は、不特定の一般読者向けなだけに文章の洗練度がひときわ高く、読み捨てのままだったらもったいないという出来(「みんてつ」とは「日本民営鉄道協会」の季刊広報誌。現在は原田マハさんが寄稿しているらしい)。東日本大震災の際に率直に「あらためて自分にできることを」と書いた文章が生々しい。一方、名前を知られている文芸誌などでは、自分の好きなことについて気ままに書いていて楽しい。
旅行鞄の内ポケットにしまわれたままだった一冊の「クックブック」の思い出話は、あの二つの作品の元はこういうことだったのかと元ネタを知ることができて嬉しくなった。
「誰かを励ます最良の方法は、まず自分を励ますこと」とはマーク・トウェインの言だったと思う(それとも「自分を励ます最良の術は誰かを励ますこと」だっただろうか…?)。宮下作品の主人公は自分で自分を鼓舞して道を切り開いていく。著者は読者を励ますために物語を書いているわけではない。迷い苦しむ主人公の背を押して一歩を踏み出させるためには、まず著者本人が奮い立たねばならなかったはずである。そのわくわく感の伝染こそが‘宮下マジック’の秘密だったことに、いまさらにして気づいた。

 十歳だった私は、読みながら「これだ!」と思った。健やかという単語は思いつかなかったものの、すごく大事なことが書いてあるとはっきり感じた。どんなふうに大事なのか、そのときはわからなかったけれど、読んでいるうちにどんどんうれしくなって、途中の挿絵を紙に写し、そこに色鉛筆で色を塗って壁に貼っていたくらいだ。それくらい、この本は私をよろこばせてくれた。


ここ数年コンスタントに新作が出ていたのに今年はまだかと思っていたのだが、この春に宮下家は大きな決断をした。住み慣れた福井から北海道に引っ越したというのだ。それも最寄りのスーパーやガソリンスタンドまで数十キロという山間地だという(朱鞠内湖の近くなのかと思ったが、そうではないらしい)。
そういうことであれば、これは宮下さんにとって‘第一期’の一つの区切りの本だったのかもしれない。小説を書き続ける力強い決意をしたためた文章があって、その宣言をこのタイミングで世に出したのは偶然ではないのだろう。自然以外に何もないところに何を求めて移ったのか。もちろん創作のためだけではないのだろうけど、その答はこれからの宮下作品にきっと書かれているはずだ。
自分がわくわくしないでどうして読者をわくわくさせられるだろう。めったなことで自分に興奮することなんてなくなってしまった自分にとって、宮下作品を読むのはいつも貴重な幸運だった。それは四年前の『遠くの声に耳を澄ませて』、あの第一話「アンデスの声」から始まったのだ。
大雪山のふもとなら、エゾオオカミの遠吠えが聞こえるかもしれない。こっちはいつでも耳を澄ます準備はできている。新作を気長に待ちたい。


単行本で読んで、文庫でも読む作品はそうはない。いつでもどこでも。鞄の内ポケットに入れておくのに最適な一冊。