真保裕一/覇王の番人(上)(下)


熱心な読書家というわけでもないが、せっかく読んだ本は記録しておきたいと思い「はてなダイアリー」に書くことにしました。2009年は年間50冊を目標に読書します!

真保裕一/覇王の番人(上398P・下406P)/講談社 (071215−071225)】

和田竜『のぼうの城』『忍びの国』を読んで「時代小説」の面白さを知り、その流れで読んだ本。
信長記」「太閤記」のような覇者側の記録による歴史に「本能寺の謀叛人」としてしか記されないことの多い武将・明智光秀と彼に仕える一人の忍びの物語。
光秀目線だと信長は暴虐な暴君で秀吉は小狡い猿という一面的な描写には少々疑問を感じないでもなかったが、光秀(史実)と忍び・小平太(創作)を分けて書き進め、次第に互いの人生がシンクロしていく展開、幕間の語り部は誰なのかというミステリー的要素もあって(古川日出男『アラビアの夜の種族』が思い浮かんだ)どんどん読み進められた。

それにしても…何万もの兵が戦のために移動する、謀略の密書を託されて忍びが走る、当たり前だが全部徒歩だったんだな。延暦寺をはじめ寺社を焼き払い、敵方の兵はおろか縁ある者は皆首を刎ねられる。現代では虐殺といわれるようなことが普通に行われていたのが戦国の世で、同じ土地の上に自分もいま暮らしているというのが実に不思議に感じられる。
それと最近の田母神問題とか沖縄の強制自決教科書問題等、歴史認識のあり方(難しさ)なんてものも考えた。加害者側か被害者側か、どちらの視点かで事実のとらえ方は違ってくる。自分はどこに立って見るか。どう読むか。読書によって自分の目線も鍛えられればと思う。

話が飛んでしまったが、もしかしたらこの小説、光秀だけを描いたものだったらこれほど面白くなかったかもしれない(真保氏の筆致も小平太を書いた部分の方が断然良い)。荒唐無稽な忍びの活躍が挟まれることによってエンタメ系的な要素も強まるから。歴史・時代小説の「忍びもの」はこれから増えるんじゃないか?と個人的予想☆

今日から冬休み!休み中に読む本(2009年1冊目)を物色してきます!