エスパルス / ローカルヒーロー


天皇杯が終わってからと思っていたけど、早くすっきりしたいので書いてしまう。今季限りで清水を去る伊東輝悦市川大祐のこと。無理やりにでもポジって書いてみる。



エスパルス / IN&OUT ローカルヒーローの履歴書 】



来季の契約を結ばないと伝えられたとき、テルはどう思っただろう? あの‘テル・マニア’の息子大好きな親父さんになんて伝えたんだろう。18歳で地元エスパルスの一員になって早18年、人生の半分をエスパルス選手として生きてきた伊東輝悦。それは呆然としただろうし、落胆もしただろう。そして今、不安だろう。36歳にもなって人生初の就職活動をすることになったのだから。
でも彼だってJリーグのスタート時から今まで、多くの選手がやって来ては去って行くのを見てきた。現役生活わずか十数年のプロサッカー選手にとって移籍は珍しいことでないのもよく知っていたはず。これまで常に背中を見送る側だったテルに、いつか自分もの予感はあっただろうか。
袖師小卒、袖師中卒、東海一高卒、そして清水エスパルス入団。きれいな履歴書に、やっと二行目の職歴が書き加えられる。一人の男として当たり前の転機が、やっとテルにも訪れたのだともいえる。それは三十代のサッカー選手の宿命でもある。


     


十九年前、もし清水FCエスパルスの初代監督がエメルソン・レオンではなかったら…。彼のことを考えるときに必ず思ってしまう。サテライトでは完全無欠な王様だったテル。トップの中盤に大榎と澤登が君臨していたとはいえ、テルドーナに入りこむ余地がなかったとは思えない。
やっとトップに名を連ねて待ち望んだ出場がサイドバックだったなんてこともあったと思う。そのサッカーセンスゆえ、いつしか彼は本来のポジションより一つ下で頭角を表していった(たしか当時作られた彼の横断幕は「鬼退治!伊東輝悦」)。
96年のオリンピックでは西野監督の下、前園と中田の後ろでプレーした。高い位置でボールを奪って得意のドリブルに入ろうかというところで決まって横から前からボールを要求された。ブラジル戦の‘マイアミの奇跡’なんて、実は彼のキャリアにマイナスだったのではないかと自分は思っている。後にトルシエが「伊東は日本のデシャンだ」なんて激賞しようが、‘個’を抑えて黙々とボランチとして汗を流すテルの姿に、本当はこんなもんじゃないだろ?の違和感を払拭できないまま十年以上の年月が過ぎた。


     


でも、彼はそこに定着していった。本来のスタイルを主張して、10番としてプレーできる環境を求めて清水を出る選択だってあったはずだ。個人的には、その方が見たかったという想いも強い。エスパルスにとどまることは、彼のゴール前での才能を封印したまま飼い殺しにしてしまったのではないかとすら思う。
いずれ清水を出るのならもっと前に出るべきだったのだと、高校時代の彼の才能に惚れこんでいた者としては、つい古い話を蒸し返したくなる。



同じ感慨が市川に対してもある。小野と高原より早く代表に抜擢されながら、躊躇なく海外に挑んだ彼らを横目に、彼は清水に居残った。
彼の場合はケガがネックだった。今季、藤本が苦しんだ末に見事復活を果たしたように、イチがトップフォームに戻るまでにはもう少し時間がかかりそうだった。12/4のリーグ最終戦が今季最高のパフォーマンスだったが、それでも往事のキレにはまだ遠かった。
かつて堀池や森岡がそうであったように、サイドもボランチもCBもできるDFリーダーになるべき存在だったのに、市川がそうはなれなかったのがエスパルスの「あと一歩」の象徴でもあった。
SBに求められる役割はこの十年で大きく変化した。でも、自分の代表右サイドのイメージは市川をおいて他にはなく、それはこれからも変わりそうにない。駒野は市川の重心を低くしただけだし、内田篤人にいたっては市川の若い頃にそっくりなのだから。


     


「急募!エスパルスの右SB空いてます」― 出来るものなら自分が立候補したいぐらいだが(笑)、アウスタ日本平のバックスタンドの光景を思い出して、慌ててその考えを打ち消す。プレミアじゃあるまいし、あんなに近くで何千人もの好奇の目に晒されるなんて拷問以外の何物でもない。自分など走るどころか足がすくんで1分も立ってられやしないだろう。
清水の右サイドの系譜は堀池、安藤、市川の時代と、たった三つの区分しかない。
そういう意味でも清水のサイドというのは他チームでは考えられない大きなプレッシャーのかかるポジションなのであって、だからこそ、堀池以来、名プレーヤーが受け継いできたのだ。市川の替わりが務まるやつなんて、そうそうはいない。来季、清水に加入する選手は心して来てもらいたい。


     


テルもイチも、どちらかといえば控えめな、温和しい選手だった。人が好くてサッカーが上手い。それこそ清水を代表する好人物だった。一方、チームを象徴するこの二人のベテランがそれほど自己主張の強くない人間だったことが、チーム全体の性格にもう少しの厳しさと迫力を削いだ部分もあったのは確かだろう。(彼らがそれぞれキャプテンを任された年もあったが、あまり印象に残っていない)
ほぼポジションを約束されていた安住の地をあとにする。エスパルスを去るからといって、彼らのサッカー人生が終わるのではない。やっとローカルヒーローの重責から解き放たれて、彼らがこれまで以上の輝きを見せないとは限らないのだから、余計な心配をするのはもうやめておこう。



チームの中の「功労者」が誰なのかを決める権利が自分たちにあると思いこんでいる傲ったサポーターも多いようだが、一度でもオレンジのユニフォームに袖を通して戦った選手は誰もが等しく功労者なのであって、そこに優劣のランクなど、断じてない。
テルとイチはたしかに長きに渡ってチームに貢献・牽引してきたが、功労者扱いはまだ現役続行を表明しているプレーヤーに対する敬意を欠く。また、特定の誰かを「功労者」と呼ぶとき、その他の者を「功労者ではない」と錯覚させるデリカシーを欠いた使い方をすべきではない。そんな閉鎖的で排他的なムードをわずかでも漂わせれば、今後県外の有力者は清水に来なくなるだろう。
テルとイチを切ることで来季のシーズンシートの売り上げは確実に大きく減る。それでも、の決断に、どれほどの苦渋と断腸の思いが秘められているか。そんなことすら想像できない者にかぎって、負ければ幼稚な文句を吐き、軽率なフロント批判を口にする。
ビッグクラブではないエスパルスサポーターに必然的に強いられるのは「それでも」の思いの連続なのだ。



テルは前人未踏のリーグ通算500試合出場まで、あと17試合。483/500。実に95%以上が清水で積み上げた記録なのであり、どのクラブで達成するにせよ、そのあかつきには「困ったな…」とはにかむだろうテルの苦笑する姿が目に浮かぶ。
ケガがつきもののサッカー界で、大きな故障で長期離脱したことはこれまでに一度もない。このことはエスパルスのみならず、全Jリーガーの鑑(かがみ)だ。そんな選手の成長を見守ってこれたのは清水サポーター冥利に尽きる。
テルと市川が今後どこのシャツを着ることになろうとも、彼らの胸にはもうエスパルスのエンブレムがくっきりと刻印されていて、それは一生消えないはずだ。一度ぐらい他所の飯を食うのは悪い経験ばかりでもなかろう。「よそ者」の体験は彼らをきっと強く、たくましくする。

笑って、ドンと背中を押して、送りだしたい。オーレ、テル!オーレ、イチ!



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  (※以下はウワサにもとづく妄想につき、削除の可能性あり。)


……と思っていたら、高原って、、、(絶句) 
ここまでうんうん唸りながらローカルヒーロー脱却をテーマに書いてきたのに、また新たにローカルヒーロー? いや、ロートル
地産地消◎。賞味期限とっくに×。もぎたてぴちぴちオレンジ度×××。十年落ちとまではいわないが、旬は過ぎてるよね●。 けど、腐る前って美味いよね…○???

「清水にね、こうして、ね、戻ってこれて。また伸二と一緒にね、タイトルをね……」 い、 いかん、あのタカ喋りがもう聞こえてる!(レッズサポのせせら笑いも。泣) なーんで俺の頭の中で勝手に抱負を語ってるんだっ、高原!


でも、安永、久保山、西沢、古賀、山西、小野……高原だってそのエスパ式流れといえるかも。
面倒見が良いんだか悪いんだか。「待望」なのか「お呼びじゃない」のか。見たいような見たくないような。どうせなら市川放出は撤回、山形の石川竜也連れ戻して十二年前の最強静岡ユース再結成もあり?
でも、俺は矢野貴章の方がいいんだけど。←五年後くらいには実現しそう?


…… やばい。ぐしゃぐしゃな妄想が止まらない。ま、部外者としては面白がって見守るしかないんだろうな(笑) テルとイチの退団の哀しみが半減されるのか増幅されるのか、さっぱりわからん。
とてもじゃないがまともな神経で二週間後の天皇杯を戦えるとは思えない昨日今日なのであった。