エスパルス天皇杯決勝 / 青春の門・一時帰港篇


エスパルスが決勝進出しなければ会えない関東の友人が何人かいる。近くに住んでいるのに国立競技場でしか顔を合わせなくなった友人もいる。合言葉は「国立で会おう」…… 次はいつかな?
心配していたとおり名古屋以西は雪の影響で新幹線が遅れていた。でも静岡の天気は良い。今年の初日の出と初富士山は車窓から。


     


ガラガラの東京。思っていたほど寒くないのも嬉しい。総武線三鷹行きはオレンジ軍団ご一行様貸し切り状態で、「よろしく」「頑張りましょう」と他人同士が声をかけあう。こういうウキウキも国立参戦の喜びの一つだ。



【 2011年 1月 1日 / 第90回天皇杯決勝 : 清水 1−2 鹿島 / ‘青春の門’】



     
(連絡もよこさず勝手にバックスタンドのチケットを買っていた愚かな友人が送ってくれた。ありがとう、Y・H!)



2002年の元旦、エスパルスセレッソを倒して天皇杯初優勝を果たした。なのに前年vs鹿島、'06年のvs浦和の敗戦の方が強く記憶に残っているのはなぜだろう。
2005年に就任した長谷川健太監督の新体制で勝ち進んだ元日決勝。矢島と岡崎の2トップは封じこまれた。終了ホイッスルのずっと前から延々とレッズ・サポーターが歌う「威風堂々」を聞かされた。('08ナビスコ決勝・大分サポの「歓喜の歌」の屈辱もよく覚えている)
あれから五年。またしてもアウェーサイド。鹿島、浦和に敗れたのもこっちだった。フリューゲルスに負けたときも大分に負けたのも。ナビスコ杯と天皇杯、一回ずつの優勝はどちらもホーム側だった。代々木門は‘鬼門’。今回こそ、打破するはずだった。


     
     



準決勝・G大阪戦の出来が良すぎた。あのビデオはエスパルスの特長を説明するには格好のテキストになっただろう。
実際のところわずか二日でどれだけの準備が出来るものかはわからない。「右サイドの藤本を抑えろ」鹿島・オリベイラ監督の指示はそれだけだったかもしれない。それでも鹿島にはそれを理解して実践してみせる適応力の高い選手がそろっていた。
そんな鹿島の「大人の戦い方」を清水が上回るためには、修整と対応を繰り返す舵取り役が不可欠だった。ラインを下げられ不利なセカンドボールを追って一人一人が別々に走らされている清水の中盤を見ていると、鹿島がこう言っているように思えて仕方がなかった。「清水には兵働が必要なんだよ」


     
     



CKとFKからの二失点。鹿島戦で家本主審とくれば、反撃ムードに水を差すお決まりの光景も目についた。いつかもこんな試合を見た覚えがある、そんな試合になってしまった。
今季システムの最大の理解者にして体現者だった兵働の負傷欠場が決まった段階で、この試合の、‘健太組’の行方はほとんど決まっていたのかもしれない。それを押し戻すだけの力がエスパルスにはなかったということだ。
リスクマネジメントの観点で言えば、誰がやっても同じ仕事をこなせなければならないのに、今季エスパルスはまだそこまで熟達したチームではなかった。先発の十一人にオプションが利くのはわずかにCB平岡だけだったと、あらためて厳しい目で2010シーズンを振り返ってしまう。
だけど、だからこそ、魅力的だったとも言える。換えの利かない強い個性が有機的に結びついたときの煌めきは眩いばかりだった。リーグ戦で失われたかと思われたその躍動を再現してみせたエコパの準決勝が健太エスパルス最後の輝き ―青春の絶頂― だった。


     




メインスタンドで表彰式が行われている間、7番と25番が清水の選手の輪からそっと離れた。


     
     
     



エスパルスの18年、一つの青春が終わった。どっしり構えた横綱相撲をするチームカラーではないから、「らしい」終焉だったかもしれない。
でもこれで天皇杯決勝の戦績は一勝四敗。ナビスコカップ決勝の戦績、一勝三敗。そろそろ大人になる時期だよな? そのための「チェンジ」だと信じて今年を始めよう。
けしてゼロからのスタートじゃない。これまで積み上げ蓄えてきたもの、培ってきたもの、大きな財産が清水にはある。チームを去る者のためにも、それを無駄にはできない。
挫折も苦杯も青春の特権だが、挑戦と冒険こそがエスパルスだ。船は変わっても航海は続く。ちょっとだけ羽を休めたら、また顔を上げて、新しい旅に出よう。何度でもチャレンジし続けよう。もっと強く、タフになって、またここで会おう!


     
     



おまえのそんな顔を見に行ったんじゃない。