ランナウェイズ


シャネルズではない。デル・シャノン‘悲しき街角’でもない。映画『ランナウェイズ』を観てきた。東宝シネマで夜一回のみの上映。観客は自分も入れて、たった四人だった。


          

http://www.runaways.jp/



70年代に彗星のごとく登場し、泡の如く消えた元祖ティーン・ガールズバンド「THE RUNAWAYS」(以後、ラナウェイズ)。そのリードヴォーカリストシェリー・カーリーの自伝「Neon Angels」を映画化。
バンドが活動していた当時のことは知らないが、自分にとってラナウェイズは敬愛するジョーン・ジェットが在籍したバンド。だから若き日のジョーン(当時十五歳!)の面影を楽しみにしていた。映画鑑賞というよりは、ロック体験の一つとして。


1975年、売れっ子プロデューサーが「反抗的でワイルドな女の子たち」のイメージでメンバーを集めた即席の‘企画物’バンドがラナウェイズだった。
だから当然、結成からライブハウス出演を繰り返してやっとデビューにこぎつけるというピュアな(というのもおかしいが)バンドストーリーではない。ヴォーカルはルックスだけで選ばれ、楽曲の方向性や演奏スタイルもあらかじめ決められていたのだった。


いきなりプロ活動を始めたとはいえ、メンバー全員が十代の少女。多感な時期にショービズの世界に足を踏み入れた彼女らがどんな経験をするかは想像に難くない。金の問題やドラッグ絡みのトラブルもこの類の作品では珍しくない。
シェリーは家庭に問題を抱えていて(…他のメンバーもみなそうだと思うのだが)、葛藤しながらもバンド活動を続けていた。
そんなバンドをまとめ、牽引したのがジョーン・ジェットだった。彼女のアティテュード“I Love Rock'n Roll”こそがこのバンドの推進力だった。


バンドが日本で熱狂的に迎えられる場面がこの映画のハイライトになる。
70年代に日本で人気に火がつき、その後、世界的にブレイクしたのはチープ・トリックやクィーンなどもそうで、当時の日本の洋楽ファンのパワーはものすごいものがあったのだろう。(その世代の女性たちが今、韓流人気を支えているのでは?) 外タレが「日本のファンは特別」などと言うのはおおむねリップサービスだと思うのだが、当時の来日公演のビデオを見たりライブ盤を聴くと、熱烈なる黄色い歓声に迎えられたラナウェイズが気合い漲る全力のプレイをしているのがよくわかる。
アメリカでは‘Bitch’呼ばわりされ正当な評価を得られないでいたバンドが、極東の国では人気ロックスターとして受け入れられたのだった。
(ラナウェイズ『ライブ・イン・ジャパン』には日本のファン向けのメッセージ入りポートレイトが封入されている。シェリーは篠山紀信撮影の写真集までつくられたことは映画の中にもちらりと描かれている)


この映画、ダコタ・ファニングがセクシーなステージ衣装のシェリー・カーリーを熱演しているのだが、実はクリステン・スチュワート演じるジョーン・ジェットが主役を食っていた(と思う)。
YouTubeで当時の映像を見てみたんだけど、そこに映っている少女ジョーン・ジェットよりも、この映画のクリステンの方がジョーン・ジェットっぽい(笑)
バンドに興味ない人が見れば、よくあるハチャメチャな青春映画の一本にすぎないかもしれない。だけどロック好きには、「女の子が」という注釈なんて抜きにして、ロックにのめり込む青春群像に共感(あるいは郷愁)を覚える場面も少なくなかった。それはひとえにロックが、バンドが好きで好きでたまらないジョーンのストレート・アヘッドな姿勢に負うところが大きいのだろう。
セクシーブロンドのお色気よりも、リズム・ギタリストのクールネスにやられる。青少年の健全育成的な観点からしても、ラナウェイズとこの映画のロック度は正しく高いのだ。


          


デトロイト・メタル・シティ』よりはマシだけど。映画としてはたいしたことなかったよ……
友人にはそんな感想をメールしたのだが、本心はそれだけじゃあない。もし十代のギター少年だった頃にこの映画を観たなら、選んだ道を肯定されたような気になって、興奮して眠れなくなっていたかもしれない。
冒頭にジョーンが街を疾走する場面がある。欲しかった革ジャンを手に入れて、嬉しさに思わず走り出すあの場面、胸にうずくものがあった。有り金はたいて何とかギターを手に入れて、その次に欲しくなるのは革ジャンだった。革ジャン、ブーツ、それにギター。自分は何でもできると思わせてくれた、懐かしきロックの魔法。ロックに賭ける青春なんてそんなもんだよと、つい口にしたくなるのは自分がもう若くないことの証明に他ならない。
サラリーマン面ぶらさげて、およそ衝動なんてものから遠ざかるばかりの日々を送りながら、たまたま見たこの映画の予告編に胸が騒いで、上映開始間際の映画館に駆け込んだのだ。自分にもまだほんの少し、ロック衝動は残っているのか。いや、一生治らない病気のようなものか。


シェリー・カーリーの伝記とこの映画によって、ラナウェイズはその伝説に公式のピリウドを打った。このバンドがなければジョーン・ジェットも存在しなかったかもしれない。でも、ここから始まったストーリーも確かにあって、それは三十五年を過ぎた現在もまだ続いている。
何よりジョーン姉さんが素敵なのは、歌いながらギターもちゃんと弾いていること。けしてチャラついた態度で演奏しないところが大好きだ。ガッツ溢れるプレイはラナウェイズの頃から不変。それを確認できただけでも嬉しかった。
Joan Jett Keeps on Rockin'!  いつかまた彼女のライブに参加できる日を夢見ている。


     



映画公開に合わせて発売されたベスト盤とオリジナル・サウンドトラック(この二枚はレアだぜ!)

          

ラナウェイズをちゃんと聴くのはこれが初めてだったが、こんなにまともなバンドだったとは予想外だった。正直に言えば、もっと粗くて稚拙でチープだと思っていたのだ。基本的にはシンプルなハードロック・サウンドだが、西海岸のバンドらしくコーラスワークにも凝っているし、思わず真似したくなるギターリフと思わず歌いたくなるキャッチーなサビメロが楽しい楽曲がそろっている。言い換えれば、ちゃんとした商品として整っているのだ。バンドの真骨頂は映画だけじゃわからないものだ。
サントラには劇中に流れたスージー・クアトロイギー・ポップ他の古き佳き70S'ROCKが収められているのだが、ダコタとクリステンがプレイするラナウェイズ・カバーも数曲あって、これがめちゃくちゃ良い!→《オオカミ盤認定》、毎日ヘビーローテーション中。
どうせならこの二人でニュー・ラナウェイズやればいいのに、と思うのは自分だけだろうか。