セス・グレアム=スミス / 高慢と偏見とゾンビ


映画も見たかったんだけど、『高慢と偏見』を読んだのはこれを読んでみたかったから、というのもある。
高慢と偏見とゾンビ』を読むのに『高慢と偏見』を読んでないのではまずいではないか、というわけである。


【 セス・グレアム=スミス / 高慢と偏見とゾンビ (510P) / 二見書房・2010年 1月 (110612−0617) 】


Pride and Prejudice and Zombies by Seth Grahame-Smith 2009
訳:安原和見



・内容
 18世紀末イギリス。謎の疫病が蔓延し、死者は生ける屍となって人々を襲っていた。田舎町ロングボーンに暮らすベネット家の五人姉妹は少林拳の手ほどきを受け、りっぱな戦士となるべく日々修行に余念がない。そんなある日、近所に資産家のビングリーが越してきて、その友人ダーシーが訪問してくる。姉妹きっての優秀な戦士である次女エリザベスは、ダーシーの高慢な態度にはじめ憤慨していたものの……。 ジェイン・オースティンの 『 高慢と偏見 』 をベースに、ゾンビという要素を混ぜ合わせることでまったく新しい作品に生まれ変わった、全米100万部の売上げを記録した大ヒット作、ついに日本上陸 !


          


先週読んだばかりの本をまた読んでいる。なんでまたこれを読んでるのだろう?と奇妙な感覚を持っていると、所々にエリザベス(リジー)が化け物と闘う変な場面が出てきて、違う本だったことを思いだす。
基本的には『高慢と偏見』そのまま。人物と背景の設定が少々いじられているだけだ。原作では末娘のメアリが三女になっていて、結婚したシャーロットとコリンズが意外な形で死んでしまったりするが、エリザベスとダーシーの恋模様を骨格にした筋書きはまったく変わらない。ただ、その二人がゾンビを退治する有能な戦士でもある点が最大の改変であり、その部分にはかなり大胆な(あるいは冒涜的な)脚色が加えられている。
(確かめるだけの体力はないのだが、この作品、原典はもちろん『高慢と偏見』なのだが、映画の影響と見うけられる部分もあった)

だが、そんな尊敬や高い評価にもまして、なにより見過ごしできないのは、彼を好ましく思う理由が彼女のなかに生まれていることだ。それは感謝の気持ちだった。かつて愛してくれたからというだけではない。あんなに短気に辛辣に彼の申し込みを拒絶して、顔面に蹴りまで入れたのに。


ベネット家の娘たちは田舎育ちで教養がないのも原作のままだが、どこでどう間違ったか、中国での修業を経て少林拳をマスターしているという…(笑)。リジーはド・バーグ夫人の前で拙いピアノを弾いてみせるかわりに、ニンジャ相手に武術の腕前を披露する。かっ裂いた相手の胸からつかみ出した生の心臓をむさぼり喰いながら「日本人の心臓って柔らかいわ」などとのたまうのである。
自分としては先週インプットしたばかりの「エリザベス=可憐なキーラ・ナイトレイ」の鮮烈なイメージをぶちこわされて、そんな馬鹿なっ!と憤ったりもしたのだが、このお馬鹿なノリを半分茶化しながらつきあっていくと、案外これはこれで面白いと思えてきたのだった。



ゾンビの大群がうようよ徘徊しているというのに、娘たちがのんきに舞踏会に出かけていったりロンドンやダービシャーまで馬車で旅したりするあたりはまるっきり緊迫感も危機感もなくて、少々強引ではないかと感ぜずにいられないのだが、物騒な暗黒世界ではなくて、あくまで『高慢と偏見』ののどかで楽観的な世界観を崩さず残してあるからこそ面白いのだとも言える。
高慢と偏見』で特に自分が好きな場面、ダーシーが意を決してリジーに告白するところと、ダ・バーグ夫人がベネット邸に単身乗りこんできてリジーに甥と婚約しないよう迫る場面は、本作ではことごとく(文字どおりの)対決シーンになっていて、あきれてしまった。
必死に彼女への想いを打ちあけるダーシーを冷徹に蹴り倒し、高圧的な令夫人に空中殺法を見舞いながら、エリザベスは素直な心情を吐露する。…… あれ?でも、これって意外にわかりやすいじゃん、と思ってしまったのは、著者の思うつぼにはまったということだろうか。

 「ここでわたしに決闘を申し込まれるのですか。この、わが家のドージョーで?」
 「わたくしはただ、この世から生意気な小娘を排除して、高貴の男性の名誉を守ろうとしているだけです。ペンバリーをあなたの悪臭で永遠に穢される前に」
 「そういうことでしたら」エリザベスは言って、同じく日傘を捨てた。「最初で最後の果たし合いをいたしましょう」同じく構えをとった。


香港カンフー映画的アクションとグロ要素を足した、いわば「キル・ビル」的『高慢と偏見』。その意外な効能として、対立の構図がはっきりして複雑繊細な心理描写がわかりやすい動作に表現されていたと思う。それと、いくつかの点では本作の方がすっきり片がついていると感じたのは自分だけだろうか(ベネット家の相続権や、リディアとウィカム夫婦の問題について)。
おかげで『高慢と偏見』をより理解できたとさえ思うし、続けて読んだのは過ちではなかったと信じたい(エリザベスのイメージを取り戻すために、もう一回DVDを見るつもり)
名作古典に手裏剣とヌンチャクを飛び交わせ血糊と腐臭をまぶした確信犯的B級狙いの作品なのだが、もうこれはそういうものだという心構えで読むしかない。読み終えて不満といえば、ゾンビたちがへぼすぎたということくらいしか思い浮かばないのだ(笑) つい、こんな弱っちいゾンビばっかなら出さなくてもいいじゃんと思ってしまうのだが、そうしたらただの『高慢と偏見』に戻ってしまうのだ!
特筆したいのは、この翻訳は良かった。どうしてこの訳者でオリジナル版『高慢と偏見』を出さないのだろう。アブノーマル版をこれだけ良い訳にしたのだから、ノーマル版だってきっと良いものになると思うのだが(笑)



※本作はナタリー・ポートマン主演で映画化されるとのこと。キーラ・ナイトレイでなくて本当によかった。

※「高慢と偏見とゾンビ」の作者がおくる、アメリ南北戦争を吸血鬼戦争と捉えた怪作!『ヴァンパイアハンターリンカーン』が五月に刊行されている。これもちょっとだけそそられる。