エスパルス2012:第17節 / 好敵手と次章への扉


エスパルス創設二十周年のメモリアル・ウィーク。藤田俊哉の引退と風間兄弟の川崎加入が報じられた。


藤田はオランダで指導者の道を進む。高校時代からずっと変わらず、クールなテクニシャンはフィールドの小妖精のようだったが、汗と泥も好んだ。MFとしての100ゴールはJ1最多。磐田では‘幹部候補’と呼ばれたが、現役にこだわってJ2熊本にも大きな足跡を残した。
ジャケットの似合う優等生。選手会長のイメージもぴったりだった、サッカー界に少ない秀才タイプ。ピッチ上の万能の統率者としてプレーした彼だから、きっと指導者としての才覚にも恵まれているにちがいない。
エスパルスにとっては、これ以上ない好敵手だった。着ているシャツの色など忘れて、清水出身の偉大な選手として記憶しておきたい。
ありがとう、俊哉。お疲れさまでした! またいつか、スタジアムで会えるのを楽しみにしています。


     



【 7月7日 / Jリーグ第17節 :清水 0-0 川崎 / ‘次章への扉’ 】



エスパルス二十年の記憶を彩るのは、そこにいたライバルたちの記憶でもある。
今日のメモリアル・マッチの相手、川崎フロンターレを率いるのは風間八広氏。チームに加えた二人の息子も清商出身で、もちろんエスパルスの選手と無縁ではない。
兄・宏希は清商三年時に当時ヴェルディ・ユースの高木俊幸と共にセビージャに練習生として参加した経験がある(数年前にフジテレビ系で放映された八広氏のスペイン育成組織のレポート番組「日本サッカー再生計画」) 弟の宏矢は静岡ユースで石毛や柏瀬と一緒だった。同年最大のタレントは白崎である。
最後の‘清商ブランド’になるかもしれないこの二人が、今後どんな形でエスパルスに関わってくるか、地元清水のライバルたちと切磋琢磨していくのか、これもまた近い将来の楽しみである。


     


浜松では恒例の夏行事、弁天島海開き花火大会が、清水では七夕祭りが開かれて浴衣姿の娘さんも目についたこの日、心配された雨も上がって午後には夏空が晴れ渡った。
試合前にはエスパルスOBのメッセージが流れ、歴代ベストイレブンの発表もあって、お祝いムードに包まれたアウスタ。今日のメインイベントはこっちで、試合はおかずなのだと思って見れば気も楽だった。


     

     

     


いくつかの決定機はことごとく西部洋平の美技に阻まれた。高原が清水移籍後やっと初めてゴール前で見せた伝家の宝刀、タカ・ターンからのショットは外れた。大前のヘッドはひねりすぎた。
二十年間見てきて、一点取るのに泣きそうになったのなんて初めてである。しかも、やり場のない涙はぐっと飲みこむしかなかったのだ。
ことごとく、というなら川崎にとってはヨンアピンがそうだっただろう。速く、賢く、強い。今、JリーグのベストDFは彼である。


     

     


二十年で1000ゴール、年平均50得点というのは、まずまずの数字だと思う。でも、後発のお隣さんが(また水色の話題を出すのは気がひけるのだが)数年前に早々と達成していることを思うと、あらためて清水の特色を考えさせられる。
たぶん磐田サポでなくても、磐田の歴代FWを挙げることはできる。中山、スキラッチ、高原、前田、それに金園。対してエスパルスはといえば、自前のレギュラーFWは健太と岡崎ぐらい。はっきり言えば、監督が変われどFWを育て、活かすことがずっと下手なチームだったということだ。チームカラーの違いということかもしれない。そして、清水がけしてFW、特にCFを軽視してきたのではないのだろうけど、二十年かけてやってきたこととやってこなかったことの、やらなかった方が今、表面化しているのかもしれない。
考えてみれば、それは一昨年、岡崎とヨンセンが抜けたときからわかっていたことで、ここまでだましだましやってきたツケを払わされているのかもしれない。
サポーターとしてはここは忍耐しかない。選手のメンタルが問題なのではない。こんなときでもどんなときでも、練習しかないのだから。本音を言えば、アウェーでなんでもいいから一点取ってきてくれればいいのだが、不運なことに次節もホーム戦だ。


1000ゴール、二十周年と今年一番の大キャンペーンを繰り広げてきたのに、この日の来場者は1万4千人にとどまった。悪天候の予報やイベントの影響もあったかもしれない。それでも、二十年に一度の試合が満席にならない現実を直視しなければならない。
点を取って勝利する期待と興奮に勝るキャンペーンはない。それが次なる二十年への扉を開けるのだ。


二十周年のことも書くつもりだったけど、また近いうちに…