エスパルス2012:YNC準々決勝 / スピード不足

【 7月25日 / YNC準々決勝 :清水 0−1 名古屋 / ‘スピード不足と逃げのパス’ 】



今日の名古屋は手強かったか? 太刀打ちできない相手だったか? 選手に手ごたえはあったはずだ。でも負けた。
名古屋からするとどうだったろう。清水の攻撃は脅威だったか? ノー。慌てさせられたか? ノー、全然。河井が上がった裏に必ずボールを放りこんで金崎を走らせる。一本調子だが‘一発狙い’の名古屋はそれで良かった。そして「どんな形でもいい」思惑どおりに貴重なアウェーゴールを奪って勝った。


          


相手の特長はよくわかっているはずなのに、何を練習してこの試合に臨んだのだろう。ダニルソンと二人のCBは堅くて高い。その打開策は練られていたか。もう二ヶ月以上も続いている得点力不足の原因は的確に分析されているのか。改善と修整の具体的な効果は? 民間企業のプロジェクトなら、とっくにダメ出しされているだろう。


          


今の清水に欠けているのはゴール前での「冷静さ」でも「集中力」でもない。スピード、これに尽きる。
相手に守備のブロックを固められたらこのチームは点が取れないのはもう嫌というほどわかっているはずだ。なのにカウンターのチャンスに自ら仕掛ける素振りすら見せず、味方の上がりを待ってわざわざ相手の帰陣を手助けするような緩いパスを出す。もちろんそのパスには何のメッセージも添えられていない。
自分の前にフリースペースがあるのに、ボールを受けて振り向こうともしないで誰かに預けるプレーも目立つ。ポゼッションの実態は余計なパスの多さである。そこに隠れているのは他人任せな責任感の欠如である。
枝村の不在に無理やり絡めるつもりはないけれど、「ガンガン行く」姿勢は完全に忘れられている。今の清水は暢気に悠長にプレーするのが許される立場にはないはずなのに。


          


実際、時間の経過とともに清水のパターンを把握したダニルソンの存在感は増していった。清水がサイドに展開したのは攻撃というより、相手の中央を回避する‘逃げのパス’だった。なぜサイド攻撃をするのか、その意図はどこかに置き忘れて、押し出されるままに外に行くだけ。
言うまでもなく、パスを多くつなぐことが‘オーガナイズ’ではない。‘オーガナイズ’は理念であって戦術ではない。


          


裏のスペースを徹底的に突く。金崎が淡々と遂行した単純なプレーと同じような嫌らしさは清水の攻めにはなかった。わずかに石毛とフランサだけが突破口を開こうとしていたが、全員がそうでなければ相手は怖くないのである。馬力のない遅い車が、ブレーキは高性能なんですと言っているようなものだ。
なぜこんな苦言を呈するかというと、十人のときに出来ることが、十一人だと出来ないからだ。相手守備がセットする前に手数をかけないで攻めきる。下手くそなチームはいちばん単純で効率的な方法を志向すべきだ。


          


誰かが問題なのではない。パスを回しあって楽観的な馴れあいムードで試合を進めるこの症状は誰が出ても変わらないのである。手を打つのが遅かったせいで(いまだに手を打ってないようにも見えるが?)チーム全体に転移、蔓延してしまっている。
清水は始めから十人でやればいいと以前書いたことがあったが、今でもあながち的外れではないと思っている。空間への意識が高まると、自ずと時間への意識も鋭くなるのだ。
自分たちのサッカーを貫くとか、やり続けるとか、いつか乗り越えられるだなんて、現状認識が甘いと言わざるをえない。結果が出せていないのにやり方を変えようとしないのなら怠慢というしかない。こんなお粗末な内容でタイトルを口にするのは広島や仙台に失礼というものだ。今のままなら、どことやってもチャンスは作れど勝てない試合が続くだろう。


          


ナビスコカップは準決勝進出で三位賞金二千万円を得ることができる。自分たちの給料は自分たちで稼げ。そういう厳しさが今の清水にはない。