青山文平 / かけおちる


【 青山文平 / かけおちる / 文藝春秋 (246P) ・ 2012年 6月(120722−0728)】



・内容
 江戸寛政期、北国の小藩と江戸が舞台。殖産興業を計り、地方役人から重役の地位に出世した阿部重秀と、その養子で、藩内で有数の剣の使い手である長英の2人を軸に物語は進む。武士が武士であることの息苦しさ、人が人を思うことの難しさを描く。松本清張賞受賞第1作!


          


江戸時代後期の寛政年間。たび重なる飢饉と一揆、逼迫する財政運営のために、地方の小藩は米作に頼らない独自の新事業を興すこと(興産)に知恵を絞っていた。北国の柳原藩も例外ではない。郡奉行から執政の地位に就いた阿部重秀は、江戸詰めの養子・長英とともに藩内の川に鮭の産卵地をつくり「種川」とする計画に邁進していた。
本草学(薬草)を学び、養蚕や貴重な文献を集めた文庫設立にも尽力していたが、重秀はなるべく早く致仕(離職)したいと考えていた。それは何故か……?

 「語りたくないのではなく、語ることができぬのでございます。強いて申し上げれば、わたくしどものような言葉を持てぬ者が居ることが、見えておられないのではないでしょうか」


前半は説明的でやや堅苦しい印象なのだが、本来は武士である主人公が実直な役人として藩政を支えている様子が丁寧に描かれている。腰に刀を差していながら、地元の川に日参して鮭の遡上を待つ。武人でありながら文官としての能力が問われる。武家が農民に米を納めさせるだけの時代ではなくなっていることが静かに語られる。
一方、江戸で興産の企画を練る長英の武士としてのジレンマも平行して伝えられる。養子ではあるが親子の資質の違いは、後半の伏線としてじわり効いてくる仕掛けだ。
剣術の流派、蘭学本草学、農書など、時代背景となる事物が実によく調べられ、効果的に物語に取りこんである。



……それで、「かけおちる」とは?
前半の「公」の重秀が抑えに抑え、秘めに秘めていた「私」が後半一気に奔出して、ピンと張りつめた緊迫からギリギリの解放へと向かう。主人公自身も驚いていたが、読者もびっくり仰天させられること必定。それはまったく見事な、思わず拍手喝采したくなる、ガッツポーズしてしまうような逆転劇だった。一文字もおろそかにできない気がして喰い入るように読んだのだった。(時代小説を読んでいてガッツポーズするなんて初めてである…笑)
‘語りえぬもの’、‘見えぬもの’が家老の信望も篤かった重秀を突き動かす。ごろりと動いた「かけおちる」は勢いを増し、ごろりごろりと「かけおちる」のだった!

 「父上は言葉が説く世に生き、わたくしたちは言葉で説けぬ世に棲み暮らしております。わたくしたちは言葉よりも、息づかいを聴きます。わたくしたちを満たしている血の音を聴きます。もしも、その境目が見えていらしたら、旦那様を役方に、それも興産掛にされることはなかったと存じます」


妻敵討ち(めがたきうち)。妻を寝取られた主は不貞をはたらいた妻と間男を追い、討たねばならない、武家の習わし。
だから当然、駆け落ちする側の二人にはそれだけの覚悟が要った。ただ惚れた、一緒に逃げようという直情だけでは成立しないものだ。命がけで「かけおちる」理由、それがクライマックスに用意され、主人公を奔らせる。終盤の逆転劇は、前半の堅実な文章があったから、なおさら鮮やかだったのだろう。
公人と私人、武官と文官、男親と夫。自分には確かめえぬ境界の向こうとこちら。見えるものと見えないもの。見えたような気がして、実は見ていなかったもの。それは表現者が常に留意すべき真理の一つでもある。
徹底的に時代小説の衣を纏っていながら、時代の枠に収まりきらないものが書かれていた。優しいようでいて切れ味鋭く「血の音」を聞かせる文体。会話とモノローグを交互に織って内面のざわつきをあぶり出す手ぎわも巧い。
六十歳を越えてデビューした青山文平おそるべし。 本年ベストの一冊!



「人は見えるといわれるものしか見ようとしないものだ」― 『リスボン行きの夜行列車』、『夜のサーカス』、『ゴースト・オブ・ユートピア』、それにこの『かけおちる』。偶然だと思うが、ジャンルは違えど最近読んだ本のことごとくに、「自分が見ているものは、そのものの一部にすぎないのだ」というようなことが書かれていて、不思議な気がしている。