石黒 浩 / 人と芸術とアンドロイド


     




【 石黒 浩 / 人と芸術とアンドロイド 私はなぜロボットを作るのか / 日本評論社 (199P) ・ 2012年 9月(120923−0926)】

【 石黒 浩 / ロボットとは何か / 講談社現代新書 (240P) ・ 2009年11月(120926−0929)】



・内容
 誰にも真似できない奇抜な発想で、人間を人間たらしめている究極の要素に迫ろうとするロボット工学者・石黒浩
肉体のもつ意味が薄れた現在、個人のアイデンティティはどこに見出せるのか。皮膚を剥いだアンドロイドに強烈な不気味さが生まれるのはなぜなのか。人類はなぜ、新しい技術を獲得するたびに人間型のロボットを構想してきたのか。技術開発や芸術表現など、人間が取り組んできた創造的活動の源は何なのか。
技術の世界から哲学、さらには芸術の領域にまで足を踏み出そうとする石黒氏の、この数年の取り組みと思考のエッセンスをまとめた現時点での集大成!


          


手近な辞書で〈人間〉を引いてみたら「人類。ひと。人物」と書いてあった。それは知ってる。『舟を編む』的にいえば、人間とは、「『人間でないもの』ではないもの」となる。
昨年、ある雑誌記事で、大阪大学のロボット工学者・石黒浩氏と彼のアンドロイド研究を知った。石黒氏そっくりの外見を持つ「ジェミノイド」と、女性型の「ジェミノイドF」が並んで写っていて、ぱっと写真を見ただけではそれがアンドロイドなのだとは気づかなかった。
これまでロボット工学ではロボット本体の‘見かけ’はさほど考慮されることはなかった。研究者と技術者が内部のメカを開発し、外観は外部のデザイナーが担当する。だからホンダのASIMOのように、いかにも「ロボットのような」、あるいはマンガっぽい外見のロボットが多かった。
石黒氏が見かけにこだわるのは、彼はアンドロイド制作を通じて「人間とは何か」を探求しているからだった。

 皮膚を装着しおわったアンドロイドを正面から見ると、それはまさに私本人である。ただし、私自身より、まわりの者の方が、より強くそうした感覚を持つ。私自身は、前述のように自分の姿形を正確に認識していないので、「自分によく似た誰かだろう」というくらいにしか思わない。しかし、まわりの者は「まったくそっくりだ」と声をあげる。


「ジェミノイド」とは「ジェミニ(双子)」と「ノイド(もどき)」を合わせた造語である。シリコン皮膚の下に空気アクチュエーターを埋めこんであって、空気圧でまぶたや頬を動かして表情をつくったり、肩や胸が呼吸で上下しているかのように見える微細な無意識的な運動も再現できるようになっている。インターネットでの遠隔操作によって対話も可能だ。
そのジェミノイドと対面した人々の反応が興味深い。人間みたいなのに、人間ではない。人間ではないのに、人間みたい。そういう存在に接したときの反応を観察することで、石黒氏は「人間らしさ」のヒントを次々と得ていく。アンドロイドの開発が主目的ではないのだ。ロボットと人との関わりから、人間同士の社会活動(人間を対象とした研究)ではなかなか気づかれにくい人間の本質に迫っていく様子はなかなかに刺激的だ。



人間性。人間的。人間味。そもそも「人間らしい」とはどういうことか。その「人間らしさ」の発現に不可欠なものと考えられる心や感情というものを誰も明示できない。人間には心があると誰もが思うことによって、「心」が存在すると信じられているだけであって、自分の心がどういうものか説明できる人はいない。
自分で自分の顔を見ることができないように、人は自分のことを実はよく知らない。他者との関係から自分がどういう存在であるか漠然と知っているだけで、正確に認識しているわけではない。
また、ジェミノイドに触れられると、ジェミノイドの操作者が自分に触られたような錯覚を持つという。このことは脳と肉体は密につながっていないことを示している。石黒氏の実験から導きだされるこのような考察は、「なるほどそうだ」と思うことばかりである。わかっているようでわかっていない、そういう曖昧な部分があって人間社会は形成されているらしいのである。
人間の機能を機械化していって、最後に残った機械では再現できない部分に「人間らしさ」はある。そういう構成論的アプローチの実践が「ジェミノイド」の研究なのだという。

 そう考えれば、人間の定義は中身ではなく、人間と人間らしく関わる機能にこそあると言うことができる。私の目指すロボットも、中身を全部人間と同じにすることを目的としていない。人間と人間らしく関わるロボットの実現が目的である。


突きつめていけば、心とは何か。意識とは、感情とは何か。知能とは何か、というところに行きつく。言うまでもなくそうした問いは、ロボット工学という一分野を越えて、哲学の領域に属する問題であり、すべての芸術の動機でもある。実際に石黒氏の研究室には脳科学者や認知科学者、心理学者が集う。
アンドロイドでなくとも、現実に身体機能の一部を機械や器具で代用している人はいる。体内にICチップを埋めこまれた犯罪者もいる。肉体に実装しなくとも、多機能端末を常時携行している現代人は、かつてなくロボットに近い人類であるといえるだろう。アンドロイドがさらに人間に近づいていくと、おそらく人間もロボット的な機能を備えるようになっていく。進化するのはロボット技術だけではなく、人間の環境そのものもそれに応じて変わっていく。
SF好きの人はロボットが人間との境界を越えるドラマをすでに知っている。石黒氏の研究は名作SFの中に問題提起されていたことのようにも思える。ジェミノイドが人間存在を問うものなら、SF小説にも同じ問いが含まれていて当然なのだ。自分にとっては、アンドロイドものの名作SFと現実世界をつなぐ本として興味深く読んだ二冊だった。