コニー・ウィリス / ブラックアウト

大好きなコニー・ウィリス十年ぶりの新作。『ドゥームズデイ・ブック』『犬は勘定に入れません』と同じくタイムトラベルもので、今回はいよいよ第二次大戦下のロンドンが舞台らしい。もちろん翻訳は大森望さん、とくれば面白くないわけがないであろう、本年最大の注目作!
二段組み700ページのボリュームは普段ならば腰が退けるところだが、コニー・ウィリスなら別腹。今週はこれのためにさっさと仕事をかたづけて帰った‘ブラックアウト・ウィーク’だった。



コニー・ウィリス / ブラックアウト / 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ (766P) ・ 2012年 8月(120917−0922)】


BLACKOUT by CONNIE WILLIS 2010
訳:大森望


          


・内容
 2060年、オックスフォード大学の史学生三人は、第二次大戦下のイギリスでの現地調査に送りだされた。メロピーは郊外の屋敷のメイドとして疎開児童を観察し、ポリーはデパートの売り子としてロンドン大空襲で灯火管制のもとにある市民生活を体験し、マイクルはアメリカ人記者としてダンケルク撤退における民間人の英雄を探そうとしていた。ところが、現地に到着した三人はそれぞれ思いもよらぬ事態にまきこまれてしまう……続篇『オール・クリア』とともにヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞三賞を受賞した、人気作家ウィリスの大作。



「そうでしょうとも。」― 『航路』でも印象深かった‘コニー・ウィルス節’ともいえそうな独白のセリフ回しが早々と登場して、すぐにコニー・ウィリス・ワールドに入りこめた。これはイケると確信。仕事を忘れ、寝る時間を忘れて楽しんだ。
2060年のオックスフォードの史学生三人が第二次大戦中の英国を観察するために1940年に‘降下する’。一人はダンケルク撤退、一人は大空襲下のロンドン市民の日常生活、もう一人は疎開児童の現地調査と、別々の場所で時代人にとけこんで活動している。
それぞれ充分なリサーチのうえで危険の少ない、そして歴史に関与する可能性の低い地点を選んで降下してはいるものの、戦時中なのでそうは問屋が卸さない、という展開。領主館で子守りをしたりデパートで働いたりしている彼らも毎晩空襲に晒され、次々と想定外の事態に巻きこまれていくうちに現代への帰還がおぼつかなくなる。
予定がくるって(未来へ)帰るに帰れない状況が続き、現実に空襲は激しさを増す。彼らは深刻な窮地に追いこまれていくのだが、そうなればなるほど面白くなるのはお約束。「そうでしょうとも」とニヤつきながらページをめくるのだった。

 「『不思議などではありません。まちがいなくただの娘』(『テンペスト』1幕2場)」とポリーが引用すると、サー・ゴドフリーは首を振った。
 「たしかに娘だ。そして、もしわたしが四十歳若かったら、あなたの相手役になるのに」 耳もとに顔を近づけて、「その場合には、あなたの身も安全ではなかったでしょう」
 そうでしょうとも。


空襲下でもロンドンの地下鉄は運行していたし(駅が防空壕になった)、ショーウィンドウが吹き飛んだ百貨店や専門店も平常どおりの営業を続けた(「開店中。いつも以上に大きく開いています」…!)。 大英博物館もナショナル・ギャラリーも爆撃され、バッキンガム宮殿も例外ではなかった。国民の心配をよそに、国王一家は避難しようとしなかった ―エリザベス王妃(「英国王のスピーチ」ジョージ6世の妻、現・女王の母)の逸話「これでイーストエンドに顔向けできるわ」(下層階級の人々への連帯を示した)。
海外疎開の児童たちを乗せたカナダ行きの船はUボートに沈められた。英メディアはドイツに情報を与えぬようV1ロケットの着弾地点を正確に報道しなかった。ダミーの(風船の!)戦車を海岸に並べてドイツの偵察機を欺こうとした……
『航路』でも歴史的大惨事に詳しい少女メイジーが重要な役を担っていたが、著者自身が‘災厄マニア’なのだろう。絶望的状況をユーモアたっぷりに描くストーリーテラーにとって、1940年代の英国はネタの宝庫であり、面白エピソード満載。存在そのものが災厄のような悪童も出てきて本作の‘引っかき回し役’になっている。
主人公は三人の航時史学生(ヒストリアン)なのだが、おそらく著者が書きたかったのは、戦時下を気丈に士気高く耐え、戦い抜いたロンドン市民の姿であり、個性的で魅力的な(そして英国的な!)脇役たちが彩りをそえている。



つくづく考えさせられるのは、悲劇でもあったはずの大空襲の史実をこうしてエンタテイメントにしてしまえるあちらの文化とこちらの違いである。(戦勝国と敗戦国の違いではないだろう)
七十年も前のロンドン市民の奮闘はこうして信頼できる作家の作品(それもSFだ!)の中でも再生産され追体験されて語られ続ける。当時チャーチルが、今この時こそ「われらのもっとも輝かしい時代」なのだと国民を鼓舞したとおり、実際にそういうものとして時間は重ねられている。歴史はそういうふうに肉づけされつくられていくものだとしたら、完全に過去形でしか顧みられない日本の歴史はやせ細っていくばかりと思われる。
たとえば「ダンケルク撤退」なんて、自分は全部イギリスの小説と映画から知ったわけで、ひょっとしたら自分の国の戦争より英国の方が詳しいかもしれないと思えるのだが、それってどういうことなんだろう?

 語気の強さでアイリーンが本気だとさとったらしく、アルフはつぶやくようにいった。「ないんだよ」
 「墓石が?」
 「じゃなくて、名前が」 アイリーンのとまどった表情を見て、「ビニーはほんとの名前じゃない。ホドビンを縮めただけなんだ」


以前にも書いたかもしれないが、このシリーズの面白さは「SFなのに、過去」という点にある。時間遡行が可能な近未来なのに、移動先の古い時代と元の時代との連絡手段がないためにトラベラーが過去に閉じこめられてしまうという、案外、不自由な設定にある。携帯電話やネット通信ができないために、かんちがいや思いちがい、入れちがい、すれちがいだけでストーリー構成が可能になるのだ。
物語の核心は主役の学生三人が無事帰還できるのかどうかにあるのだが、彼らが無事に戻れたらそこで終わってしまうので、読者としてはなるべくトラブルが長引く方が望ましい。そして実際にそのようになって、本巻は中途半端なところで途切れて終わる。
本作『ブラックアウト』(灯火管制)は前篇であり、続篇『オールクリア』(警報解除)は来年四月に刊行予定とのこと。次作は今回以上の長さで800ページになるという……
ポリーの素人芝居一座を指導する老シェイクスピア俳優や、アイリーンを手こずらせた悪童アルフとビニーのホドビン姉弟の運命も気にかかる。たぶん、アイリーンと別れた後、避難民でごった返す地下鉄駅をうろちょろしているのがこの姉弟だと思われるのだが、流れからいくと、後篇では彼らがきっと「良い仕事」をやってのけるのではないかと予想している。言うまでもないが、最後の最後には彼らとの本当の別れが待っているのだが……
コニー・ウィリスは子どもを書く(使う)のが巧い。日本随一のストーリーテラー宮部みゆきさんと同じである。



今年の夏はオリンピックとパラリンピックでロンドンが注目を集めた。特に今回のパラリンピックでは英国スピリットを感じることが多かった。その余韻がある中で読めたのも良かった。
本年ベストというか、オールタイムベスト級の一品だと思うのだが、これはまだ半分なのである。