壺井栄 / 二十四の瞳


自分にとって「二十四の瞳」といえば……

                    

1994年、名古屋御園座斉藤由貴の大石先生。ただし、苦労してチケットを取ったのにこの舞台は見られなかった。(画像はテレカ)
そのやんごとなき理由についてはここでは語るまい。


子どもの頃、家事を済ませて一日の仕事を終えた母は、よくテレビをつけたまま寝入ってしまった。その隙に自分が見たかった番組にチャンネルを換えたものだが、その夜にかぎって母は鼻をぐずぐずさせながら画面に見入っていて、一向に寝る気配がなかった。いつ寝るか、まだ寝ないのかとじりじりしながら自分はマンガを読むふりをしていた。涙ぐんでいる母に「プロレス見させてくれ」とはとても言い出せなかった。そのとき映っていたのがモノクロの「二十四の瞳」だった。
それ以来ずっと「二十四の瞳」は女向けのメロドラマだと思いこんでいた。



壺井栄 / 二十四の瞳 / 角川文庫 (249P) ・ 2007年(120826−0830)】



・内容
 昭和のはじめ、瀬戸内海べりの一寒村の小学校に赴任したばかりの大石先生と、個性豊かな12人の教え子たちによる、人情味あふれる物語。分教場でのふれあいを通じて絆を深めていった新米教師と子どもたちだったが、戦争の渦に巻き込まれながら、彼らの運命は大きく変えられてしまう…。戦争がもたらす不幸と悲劇、そして貧しい者がいつも虐げられることに対する怒りを訴えた不朽の名作。


          


あらすじは知っているけど読んだことはない名作の一つ。どんなものかと思いながら読み始めた初めの数ページで、自分がずっと勘違いしていたことを悟った。
昭和はじめの瀬戸内海べりの寒村(小豆島、とは書かれていない)。大人は家業のかたわら畑を耕し漁に出て寸暇を惜しんで働いている。子どもは学校が終われば親を助けて働き、家事を手伝い、年下の子守りをする。草鞋(わらじ)は自家製で、上級生が自分でつくるのを真似て下級生も草鞋づくりをおぼえる。
そんな貧しい村の分教場に新しく女の先生がやって来る。新学期が始まる日の朝、村人はその噂話でもちきりで、子どもらは通学路で会ったらからかってやろうと待ちかまえている。自転車に乗った主人公・大石先生が登場するまでの舞台描写に村の生活感が溢れていて、とても良かった。
自分が生まれるより半世紀以上も前。テレビも自動車も冷蔵庫もない、およそ文明の利器といえるものなどなかった昔のことのはずなのに、どこか懐かしく感じられて仕方がなかったのはどうしてだろう。

 その後も彼女は、何度かキツネうどんの話をしては、大石先生を思いだし、先生を思いだしてはキツネうどんを思いうかべた。思いがけず先生がやってきた今、彼女はまた、あの遠い道とキツネうどんを思いだしながら、聞いたのである。あんな遠い道を、歩いてエ?と。


岬の分教場に新任の「おなご先生」がやって来て、一年生十二名の担任になる。
昭和三年から終戦までの十八年、軍国主義の時代の教師と教え子の交流と離散、死別、そして再会。自身も戦争未亡人となって一度は教職を辞した大石先生は、二人の息子を必死に育てながら再び岬の学校に復職する。
この作品は十二人の生徒たちの群像劇でもあったが、一人一人の人物造型が見事で、それぞれの個性と家庭の事情が巧みに書き分けられている。大別して三つの年代が描かれているのだが(入学時、卒業時と戦中戦後)、どの子がどんな苦労をしてどう成長したかが手に取るようにわかる。
ケガをして休んでいる大石先生に会いたい一心で児童たちが二里の道のりを訪ねていく場面、様々な事情から参加しない生徒もいる修学旅行、コトエの百合の絵の弁当箱、家事で学校に来なくなる松江、似太の徴兵検査……と、名場面の連続。
教室で初めて先生に名前を呼ばれて返事をする場面から、失明した磯吉が思い出の写真を指でなぞる最後の場面まで、何百ページの大長編になってもおかしくなさそうなのに、よくぞこのボリュームにまとめてあるものだと感心しながら読了した。



これはほとんど‘国民的小説’といっても良さそうな名編と感じられたのだが、実際にこの作品は1952年の刊行時(初出はキリスト教系雑誌に連載、後に光文社刊)にどれだけ売れたのだろう。ちょっと気になって調べてみたのだが、1950年代前半のベストセラー上位に本書の名は見あたらなかった。
GHQのレッド・パージがあった時代。女子どもを主人公にした作品を軽んじる風潮があったのかもしれない。戦争は終わっても、「反戦思想=赤」 と決めつけられた時代だ。当時の日本人には反共アレルギーのようなものがあったのだろうか。あるいは、数年前までの戦争の(敗戦の)記憶を甦らせるような作品を避けようとしたか。世相が反転して、こういう作品を読むのに気恥ずかしさや疚しさがあったのか。いずれにしろ、本書刊行時と今とでは読む側の心持ちはまったく違うのだろう。
壺井栄は教え子の男子生徒たちがそろって兵隊になりたがるのを「漁師や米屋さんの方が好き」と大石先生に言わせる。この表現は控えめなものだったのか、それとも思いきって書いたのか(彼女の夫も治安維持法で逮捕・投獄されたという)。

 肩をふって走ってゆくそのうしろ姿には、無心に明日へとのびようとするけんめいさが感じられる。その可憐なうしろ姿の行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人はなんのために子をうみ、愛し、育てるのだろう。砲弾にうたれ、裂けてくだけて散る人の命というものを、惜しみ悲しみ止どめることが、どうして、してはならないことなのだろう。治安を維持するとは、人の命を惜しみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、しばるというのか……。


読んでいて‘日本の原風景’のようなものを感じたのは、おそらく両親や祖父母に聞いた昔話の記憶がまだ自分の中に息づいているからだろう。自分なんかが「古き佳き時代」なんて口にするのはおこがましいかもしれない。でも、日本人の本来「あるべき姿」がここにはあると強く感じるし、皮肉なことに、戦争批判、思想弾圧への反感を静かに表明したこの作品が、実は真に愛国的な作品に思われてならない。
戦争が子どもたちの将来にも暗い影を投じていた時代の物語で、登場人物が落涙する場面も多い。だが、意外に暗鬱さや感傷的なムードよりも、泣き寝入りを許すまいとする著者の厳しい態度が心に強く響いた作品だった。

不思議な偶然だが、これを読んでいて映画も見ようと思っていた八月下旬、ちょうど今年が「生誕100周年」ということで木下恵介監督の名作群がDVDリリースされた。
壺井栄の『二十四の瞳』が1952年、木下恵介監督の『二十四の瞳』が1954年(黒澤明の『七人の侍』を抑えて同年キネマ旬報邦画一位)。映画によってこの小説は世に知らしめられたのかもしれない。
分教場の教室で先生が点呼をとる場面。一人ずつ、子どもたちの表情がアップで映し出される。少し緊張気味の黒いくりくりした瞳が大石先生をまっすぐ見つめる。この子らが……と思うと、そこでもうこちらの目が壊れてしまって再生不可能になってしまった。
続きは今度、母と一緒に見るつもりだ。