エリン・モーゲンスターン / 夜のサーカス


【 エリン・モーゲンスターン / 夜のサーカス / 早川書房 (557P) ・ 2012年 4月(120618−0626)】


THE NIGHT CIRCUS by Erin Morgenstern 2011
訳:宇佐川晶子



・内容
 夜だけ開く、たとえようもなく豪奢で魅惑的な夢のサーカス。そこを舞台に競い合うよう運命づけられた、二人の天才魔術師を待つものとは。風変わりなオーナー、とらえどころのない軽業師、謎めいた占い師、そしてサーカスで生まれた赤毛の双子……様々な人々の運命を巻き込んで、ゲームは進む。世界30カ国で刊行、映画化が決定した幻惑とたくらみに満ちた傑作ファンタジー、ついに登場!


          


十九世紀末、ロンドン郊外の野原に忽然と出現した大小無数のテントの群れ。白黒ストライプのテント内では奇術や手品、アクロバットや猛獣使いのショーなどが行われているのだが、それだけではない。このサーカス、〈シルク・デ・レーヴ〉には、訪れた人々を夢見心地にし時を忘れさせる数々の幻想的な趣向が凝らされているのだった。
日が暮れてから開場して、朝になるとゲートは閉じられる。開催期間を告知しないこの謎めいたサーカス一座は、始まったときにそうだったように、ある朝突然そこから消えてしまう。次にどの街に行くのか、誰にも知らされないままに。

 「どうして観客にはあのちがいがわからないんだろう?」 少年はたずねた。彼にとって、ちがいは歴然としていたが、それをきちんと言葉で説明することはできなかった。目で見るのと同じで、肌で感じたことだった。
 「人間は見たいものを見る。そしてほとんどの場合、見えるといわれるものを見るだけなのだ」
 その話はそれまでだった。


この不思議なサーカスの成り立ちが、主人公の奇術師シーリアに課せられた意外な使命とともに語られていく。
魔術師の娘である彼女は父親に厳しい訓練をほどこされて育ち、ある人物と対決するべくサーカスに送りこまれたのだった。しかし、そのライバルが誰なのかは明かされず、また何を競って優劣を決するのかも知らされていない。。
マジシャンとしての舞台をこなしながら、全身全霊を傾けて〈シルク〉全体を魅力的にコーディネートしていくシーリア。姿の見えない、彼女への挑戦者もどこからか次々に斬新なアイデアを加えていく。知らず知らずのうちに二人は互いを意識し影響しあっていたのだが、いよいよ二人が出会うときが訪れる……



平易な、だがモノトーンを基調にした映像的な文章。静かな抑制された語り口。説明的ではない短い章立てによる場面転換。現れては消え、消えては現れる明滅がこの作品全体のイメージで、ある結末に向かって物語が突き進んでいく感じではない。「そこにあったはずのもの」のおぼろげな残像が積み上げられて進展していく様は、真夜中にサーカスの迷路をさまよって未知の体験をしていく感覚だ。
シーリアと対戦者が腕をふるう〈シルク〉に魅了され、関わる人々も増えていくのだが、いつしか読者もその一人になる。これを読む者の頭の中に、特別なサーカスが思い描かれていく(もっとも、サーカスというのはいつでも特別な空間ではあるのだが)。
火と水がせめぎあい、妖精やドラゴンが舞い踊る古典的なファンタジーではない。魔術師の対決とはいっても、二人が相手を倒そうと戦うわけではない。だが、懸けられているのは「死」なのだった。

 「どうやって奇術をおこなうのかとどうしてお訊きにならないの?」 一度、その話になったとき、ティーセンが黙っているのは遠慮しているからではないと確信したシーリアは、そうたずねた。
 「知りたくないからですよ」 ティーセンはいった。 「わからないでいるほうがいい。神秘は神秘としておくのが好きなんですな」


シーリアは魔術師なのだが自分のテントで演じるのは奇術、というのがミソ。黒い上着を畳むとシルクハットになったりカラスに変わったりする。光の移ろいに応じてドレスの色が変わる。彼女はトリックを使わずにそれをやっているのだが、観客は良くできた「芸」として見ているという面白さ。
シーリアが物体を意のままに操れるのに対して、もう一人は人間を操作する術に長けている。その能力を悪用しないでテントの囲いの中でだけ発揮するのが好ましい。この対決は芸術コンテストみたいだし、サーカスの舞台は新作を発表する展覧会のようだ。二人は惹かれあい、互いに欠くことのできないパートナーシップで結ばれていくのだが、それは魔術師同士の宿命というよりは芸術家同士の共感に近い。
人物造型の薄さや決着として待つはずの「死」の概念の弱さなどの欠点は、読んでいるあいだはまったく気にならなかった。アメリカのファンタジーということで、もっと大味なものを想像していたのだが、そうではなかった。
これが米本国で発表されたのは昨2011年。それをもう今年春に出したのだからハヤカワさんの仕事の早さに驚いたのだが、つい先日、この作品が今年のローカス賞を受賞したとのアナウンスがあった。
ハヤカワ・オンライン/2012年ローカス賞決定