新美南吉童話集

新美南吉童話集 / 岩波文庫(334P) ・ 1996年(130730-0805) 】



・内容
 新美南吉(1913−43)はわずか29歳、二冊の童話を出版しただけでこの世を去ったが、底抜けに明るく、ユーモアと正義感にあふれた彼の童話は、今日多くの人の心をとらえ、賢治、未明、三重吉らとならぶ児童文学の代表的作家の一人となった。「ごん狐」「おじいさんのランプ」「最後の胡弓弾き」「花のき村と盗人たち」等14篇を収録。


          


今年、生誕百年の新美南吉。「ごんぎつね」ってどんな内容だったか忘れていた。他の話も子ども時代に絵本や紙芝居で知ったのであり、南吉という作家を意識して原文を読んだことはなかった。それで今回『別冊太陽 日本人の心 新美南吉』とともに読んでみることにした。
第一話に「ごん狐」。自分はこの話をあまり好きではなかった。旧制半田中学卒業後、南吉18歳のときの作品は、戦後、小学四年の国語教科書に採用された。全ての教科書に採用された年もあったそうだから、ある世代は全員がこれを知っていることになる。
自分の教科書にも載っていただろうか? 不確かなのは、今回読んでみても、やはりそんなに良いとは思えなかったからかもしれない。

 やがて、行く手にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて
 「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
 「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。


続いてこれも大定番、読んだというより絵本の記憶が強い「手袋を買いに」。これが…… 「じぇじぇ!」の連続。大好物を前にして大喜びの犬が、さっさと食べれば良いものを、ちょっと匂いをかいでは興奮のあまりその場でくるりと跳ね回り、ハァハァいいながらまた匂いをかいで回る、まさにあんな感じで読んだのだった。オオカミのくせに。 お尻のあたりがむずむずしていたのは尻尾が 
胸をかきむしられる一字一句が目に沁みる。巣穴から出て初めて雪を見た子狐が母狐に「あ、目に何か刺さった、抜いて抜いて」と甘える冒頭部からキュン死。 結末がわかっていても、「このお手々にちょうどいい手袋くださいな」の場面でドキドキは最高潮に。くすぐったいったらありゃしない。足をばたばたさせたりして、たった9ページを鼻息荒くして読んだのであった。
子ども心に、手袋は帽子屋さんで買うんだ、帽子のことをシャッポていうんだと勉強したことまで思い出した。文字だけなのに、絵本にあった淡美なイラストが浮かんでくる。ほんの数分で世界は変わる。クラシックの凄さをあらためて実感した。
(本書の挿絵は棟方志功谷中安規の原版が使われていて、これがまた良い)



病弱だった南吉は東京外大を卒業後、療養のため故郷の半田に帰る。回復後、安城高等女学校で英語を教えながら、童話や少年小説を書いた。が、再び病状が悪化。闘病むなしく1943年にこの世を去った。
死の一年前、昭和十七年、炎の執筆。初期の純粋に子ども向けの作品よりも、余命を削るようにして短期間に一気に書かれたこの頃の作品が好きだ。郷愁を誘う「おぢいさんのランプ」「ごんごろ鐘」「うた時計」が良い。
激化する太平洋戦争のさなか、忠君愛国の軍国主義の時代に、農村を舞台に優しく心あたたまる作品を書いた。民話のような、昔語りの寓話的作品も多い。
『別冊太陽』巻頭文で五木寛之は「技術や文章作法ではなく、作家が意図しない‘無意識の領域’がとてつもなく大きい」のが新美南吉だと語っている(そして、それが作家としての器の大きさ、天分なのだとも)。たしかに南吉の掌篇には、狐につままれたような、煙に巻かれたような気分にさせられるものもあるのだが、行間にある‘あわい’はけして悪意や辛辣さではないから安心して読めるのだ。

 「遊びごとにしても、盗人ごっことはよくない遊びだ。いまどきの子供はろくなことをしなくなった。あれじゃ、先が思いやられる」
 じぶんが盗人のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また草の中にねころがろうとしたのでありました。


「花のき村と盗人たち」はこれまた「じぇじぇじぇー!!!」な作品で、愉快で楽しくてしかたがなかった。まるで漫画みたい。アンデルセンかグリムにこんな噺がなかったかと思ったり、開高健『裸の王様』を思い出したりしたのだが、後半のファンタジックかつ民話的な語りにも魅了される。あまりに唐突な最後の一文は本書最大の「じぇ!」であった。(←説明になってないか。「じぇじぇ」の使い方はこれでいいんだろうか) 
そして、最終話の「狐」も……!。 こちらは上橋菜穂子『孤笛のかなた』の原典に見えた。夜祭りを見に行く子どもたち。中に一人だけ小柄で「色白の目玉の大きな」子がいた。その子、文六ちゃんは母親の下駄を履いてきたためにグループから遅れがちで…… 狐憑きの迷信に疑心暗鬼になっていくこの子らの心理描写が素晴らしく、子どもってそうなんだよね〜としみじみ感じ入りながら読んでいく。そしてラストの情愛あふれる文六ちゃんと母との会話。ここには一言も反戦思想は書かれていない。が、強い子を産み育てて戦地に送るのが母親の勤めとされたこの時代に、文六ちゃんの母はそうではなかったのである。
母が子に注ぐ愛情、それを一身に受ける子の親への信頼。でもここには親子関係にかぎらない、作家の人間という生き物への篤い信頼が書かれている。新美南吉はそれをまったく自然に表出させるのだった。
全十四篇。一つだけ不満があるとすれば、「なんで狐ばっかり?」ということぐらいである。いつか半田市にある新美南吉記念館も訪ねてみたい。