美智子皇后 / 橋をかける


少し前の中日新聞朝刊コラムに紹介されていた、こんなお話―


名古屋市の児童書専門店・メルヘンハウスに届いた、あるお母さんからの手紙。

彼女は毎日、幼い息子に絵本の読み聞かせをしていた。自分も楽しいし、息子が本を好きになってくれたのは何より嬉しかったのだが、そのうちに一冊ではあきたらず、次はこれ読んで、その次はこれ、と一度に何冊もリクエストされるようになってしまった。
母親がうんざりしかけていたある日、二歳になる子がこう言った ― 「お母さん、今日はぼくが読んであげるね」
まだ字を読めない息子が、一字一句正確によどみなく(そしておそらくは母そっくりな口調で)‘読み聞かせ’てくれた。何度も読んでもらっているうちに、子は目で物語を全部おぼえてしまったのだ。
一日も早く息子に字をおぼえさせたいと考えていた母親はこう考えなおしたという。「長い人生の中で、この子が字を読めないでいる期間は短いものです。かけがえのないこの時間を大事にしていきたい」と。


読めなくたって読んじゃう。読む者が読み聞かせられる。この子はかつての自分。このショートストーリーについて書こうと思えばいくらでも書けそうだが、野暮なことはやめておこう。
いくつになっても大人だってそんな本にめぐりあいたくて、今日も読書するのである。



【 美智子 / 橋をかける 子供時代の読書の思い出 / 文春文庫 (224P) ・ 2009年(130809-0811) 】



・内容
 戦時中に少女時代をすごされた美智子さまを支えたのは本だった。「読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました」。ご自身の読書の思い出を語りながら、私たちの生きてきた時代を顧み、子供たちに将来の希望と平和を祈る―。世界に感動を与えた二つの講演を収録。初の文庫化。


          


文庫なのにハードカバー、著者は「美智子」。皇后さまである。
『別冊太陽 新美南吉』に掲載されていた末盛千枝子さん(児童図書編集者)の文章から本書を知った。美智子さまはこれまでに二度、隔年開催される国際児童図書評議会IBBY)の総会で講演を行っている。初めは1998年ニューデリー大会初日の基調講演(ビデオメッセージの形で)、二回目は2002年バーゼルでの創立50周年記念大会に名誉総裁として出席されたとき。その全文を収めたのが本書である。
皇后がこのような活動をされていたとは不勉強にも知らなかった。二回の講演で、美智子さまはご自身の読書体験について語られているのだが、おそらくあとにも先にも皇后として(読書がテーマだとしても)‘プリンセス以前’の幼少期のこと、母親となってからのお気持ちを語られる機会はないのではないかと思われる。

 子供はまず、「読みたい」という気持ちから読書を始めます。ロッテンマイヤーさんの指導下で少しも字を覚えなかったハイジが、クララのおばあ様から頂いた一冊の本を読みたさに、そしてそこに、ペーターの盲目のおばあ様のために本を読んであげたい、というもう一つの動機が加わって、本が読めるようになったように。幼少時に活字に親しむことが、何より大切だと思います。


そういう意味で貴重な記録でもあるのだろうとは思うのだが、それよりも何よりも、この講演の内容が素晴らしかったのである!
1998年の基調講演では、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」をきっかけに、人は誰もが悲しみを背負って生きているのを知り、本が悲しみを乗り越えて喜びに向かう心を養ってくれたと話される。(2010年6月に天皇皇后両陛下は新美南吉記念館をご訪問され、展示をご覧になられたり、園児と一緒に南吉童話の読み聞かせをお聞きになられた)
戦争末期に経験された三度の疎開生活のあいだに夢中になったという「日本少国民文庫」をはじめ、ケストナーやフロスト他、具体的な書名がいくつも挙げられていて、本好きも思わず身を乗りだす内容。国際化やグローバル化が唱えられる近年よりずっと以前から、子どもたちの世界は本を通じて、同じ物語、同じ主人公に親しむことでつながりあっていたという洞察の鋭さにも感嘆。
本が根っことなり翼となり、内外へと架かる橋になるという、文章としても美しい名文は、それを語っているのが皇后であることを忘れて嬉しくなった。感想なんておこがましい、思わず拍手したくなるようなお言葉だった。



国際アンデルセン賞のために美智子さまが、まど・みちおの詩を英訳されたことがIBBY日本支部JBBY)との関わりの始まりだった。
2002年の講演は、IBBY名誉総裁としてのお立場から、児童書に関わる人びとへの感謝を示しつつ、IBBYの活動の意義とさらなる発展を期待する。
本から多くの恩恵を授かった者として、今なお世界には、本はおろか文字さえ読めない子どもが多数いる現実への悲しみを表明され、ご自身の子育て期間に励まされたという詩を紹介される。

  “ 生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に 母よ 絶望の涙を落とすな ” (竹内てるよ 「頬」)

皇后さまとて……、などとあらぬ想像をしてしまった。本は国境を、宗教を、民族の、言葉の壁を、政治信条の違いを、越える。本を通じたネットワークによって次代の子どもを救おう、育てていこうとする活動は何といっても平和の上に成り立つのだと、そしてそれは個人の読書生活から始まるのだと、なんだか勇気づけられた。

 それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。
 読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。


皇后さまの講演文そのものはどちらもそう長いものではないが、それぞれの講演が実現した背景についての島多代さん(JBBY元会長)と末盛千枝子さんによる解説も興味深く、充実している。二回の講演で語られているのは児童図書についてだが、これは一般の読書論としてもとても質の高いものだと思う。
自分は次から次へと面白い本を探して読んでいる。だけど、本当はあきることなく何度も読める本が一冊あればいい。表紙が取れ、ページが破れてぼろぼろになるまで読んで、寝るときにも胸に抱いて眠る、そんな宝物の一冊があれば、それに勝るものなんてないのではないかと思う。
バーゼルでの講演で美智子さまは 「私は私の中に今もすむ、小さな女の子に誘われてここに来たのかもしれません」 と話されていて、その詩的表現に驚くとともに微笑を禁じえなかったのだが、おそれおおくもそれに擬えて言わせてもらえば、「私は私の中に今もすむ、小さなオオカミに導かれて」― 今日も読むのである。
本についての本で、素直に全面的に共感できる本は少ない。読書のモチベーションを高められる愛しき一冊である。