オルダス・ハクスリー / すばらしい新世界

【 オルダス・ハクスリー / すばらしい新世界 / 光文社古典新訳文庫 (433P) ・ 2013年 6月(130810-0814) 】


BRAVE NEW WORLD by Aldous Huxley 1932
訳:黒原敏行



・内容
 西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版!


          


久しぶりに古典新訳文庫。ディストピアというと、思想統制された全体主義社会の陰惨なイメージがあるが、ここに描かれている二十六世紀の「新世界」は、パッと見たところでは独裁と抑圧の兆候は表面上は見えず、それほど強烈な管理社会ではない。人びとは現状に不満を抱くこともなく、秩序が保たれ争いごとのない社会は平穏で、むしろユートピア的だ。
では、なぜこれがディストピアなのか。五百年後、文明がどこまで進歩しているか想像もつかないけれど、そのときの人類が現在と同じ価値観を持っているとは限らない。本書には「それでも彼らは人間なのか?」という普遍的な問いが秘められているような気がするのだが、新人類にとってそんなことは寝耳に水かもしれない。

 「いいかねきみ、文明には高貴なことも英雄的なことも全然必要ないんだ。そんなものが現れるのは政治が機能していない証拠だ。われわれが生きているような適切に運営された社会では、高貴なことや英雄的なことをする機会は誰にも与えられていない。そんな機会が生じるのは社会が本格的に不安定になったときだけだ。」


始めにある工場のラインの説明があって、この調子だとちょっときついかも?と思ったのだが、以後はわりと平易な文章で登場人物も少なく、終わりまで楽に読める。
炭疽菌戦争によって一度滅び、新たに樹立された世界国家。人間は「胎生」ではなく「生産」されるようになっていて、胎児は壜の中で階級や社会秩序について、睡眠教育によって細かく「条件づけ」されて育つ。アルファ、ベータの上位から下位のガンマ、デルタ、エプシロンまで階級分けがなされるが、幼児期の徹底的な刷り込みと遺伝子操作によって、社会制度への疑問や階級間の摩擦は抹殺されている。
個人は衝動や激しい感情を持たないよう‘設定’されていて、日常的なネガティブな感情は「ソーマ」という合法ドラッグで解消できるようになっている。女性は妊娠と子育てから解放されているから、家族や家庭、それに恋愛、結婚という概念は過去の遺物であり、父親、母親という言葉は「猥褻な卑語」として避けられている。
   


そのような社会にも、できそこないの‘はみ出し者’はいるもので……という流れ。劣性遺伝子の影響で変人と噂されるバーナード・マルクスという男が旧メキシコに残る野蛮人居留地に旅行して、先住民族の少年を新ロンドンに連れ帰ったことで社会にさざ波を立てる。
この少年・ジョンが、『オール・クリア』のサー・ゴドフリーがごときシェイクスピアの引用魔で困ったものである。またしてもハムレットでありマクベスでありオセロなのである。 もちろん虚しくもジョンが持ち出すシェイクスピアは、過去の歴史と文化をリセットしてしまったこの世界ではまったく通用せず理解者はいないのだが。「すばらしい新世界(Brave New World)」とは、「テンペスト」に使われている言葉だが、神不在のここは聖書もシェイクスピアも無価値の世界なのだった。

 ジョンは顔をしかめてうなずいた。 「害虫は根絶してしまった。あなたがたらしいやり方だ。不愉快なものは、それに耐えることを覚えるかわりに、なくしてしまう。“どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、それとも寄せくる怒濤の苦難に敢然と立ちむかい、闘ってそれに終止符を打つことか……”。でも、あなたがたはどちらもやらない。矢弾をなくしてしまうだけだ。まったく安直なやり口だ」


この作品が発表されたのは1932年。未来の予言書というのは大仰かと思うが、ユートピアディストピア紙一重であることは伝わってくる。
物質的に満たされ、精神的な不安もはじめから取り除かれている。不幸ではないのだろうが、では幸福なのかといえば、首を傾げたくなるものの、この世界ではそんなことすら問う者はいない。まあ、良くできているなとは思うのだが、小説的には著者の人間観察の確かさが際だっていて(それと、いかにも英国人作家らしい皮肉屋なところも)、バーナードの優柔不断な態度やレーニナの尻軽娘ぶり、管理者である統制官の説得力ある発言などに、つい身近な存在を発見してしまい、あれれ?と思うのである。感情を廃した試験管ベイビーのくせに妙に人間臭いぞ、と。無機的な未来社会を描くために投入された驚くべき人間技の予期せぬ効果に、思わず苦笑を浮かべてしまうのである。
ハクスリーはウエルズの『タイムマシン』に否定的だったと解説には書いてあったが、この『新世界』がさらに進めば『タイムマシン』の結末(「文明の発展は愚かさの増大を意味し、やがては反動的に人類を衰退に導くだろう」)にそのままつながりそうな気もする。とすると、『タイムマシン』こそディストピア小説、ということになるが……。
五世紀先にこんな世の中になっているかどうかは知らないが、1930年代にごたいそうにも崇高な理念を掲げた日本とドイツがどうなっていったかを思うと、この穏やかなディストピアは現実世界のデフォルメでもあったのかもしれない。