松下竜一 / 暗闇に耐える思想

松下竜一講演録 暗闇に耐える思想 / 花乱社(158P) ・ 2012年 1月(130804-0807) 】



・内容
 月に一夜でも、〈暗闇の思想〉に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、ひえびえとするまで思惟してみようではないか ― 東大入学式講演、「暗闇の思想 1991」ほか、ひとりの生活者として発言・行動しつづけた記録文学者が、今あらためて私たちに問いかける。


          


ノンフィクション・記録文学作家、松下竜一(1937-2004)の作品を読んだことはなかったのだが、最近読んだ本の中にちらほらその名を見かけて気になっていた。
まず、鎌田慧大杉栄 自由への疾走』に大杉の遺児を取材した『ルイズ―父に貰いし名は』のことが書いてあった。また、水俣病の患者認定支援運動の中にこの名があった。伊方原発の訴訟運動にも関わっていた。そして、今年刊行された小出裕章さんの講演録に「今こそ“暗闇の思想”を―原発という絶望、松下竜一という希望」というのがあるのだった(チェルノブイリ事故発生当時、松下氏が依頼して小出氏が講演会を開いたこともあったようだ)。
べつに狙っていたわけではないのに、流れがつながっているなー、つながってくるもんだなー、と思う。ただの読書に過ぎないのだけれど、でも本が本を呼び、導かれるように次の本が現れてくる。



「暗闇の思想」とは、1970年代初めに松下の地元・大分県中津市を含む周防灘沿岸を埋め立てて一帯を大工業地帯にする計画があり、そのエネルギー基地として建設される豊前火力発電所に反対する裁判闘争の中で生まれた「反電力」の思想。
原発ではなく火力発電所に対する反対運動というのが時代を感じさせるが、日本で初めて環境権を謳ったその訴えはフクシマ以後の現代でもまったく色褪せないものだ。充分に電力は足りているのに、市民には電力不足を煽って発電所を新設し、他方では豊富な余剰電力を謳い文句にして大規模工業団地が誘致される。そうして次々に開発名目で環境が破壊されながら全国に発電所がつくられていく。いいかげんにその悪循環を止めたらどうかと問う、市民感覚に根ざした‘草の根’の声だ。
後に彼は反原発運動にも関わることになるのだが、原発の危険性以前に、まず電気に支えられた文明のあり方に疑問を投げかけて、電力そのものを「もういらない」という。
「電力危機というのは、実はそれを盛んに言い立てる側にとっての危機なんだということを我々は見ぬかねばならない」 「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ」 ―など、現代日本人の弱さを鋭く指摘したのだった。

いわば、発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、〈暗闇の思想〉があらねばなるまい。まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。


だが、高度成長と列島改造論、それに続く石油ショックから、日本は原発建設ラッシュに傾いていく。「暗闇の思想」は当時、「豊かさ=善」と信じて疑わない大多数からは反社会的な過激思想にしか見られなかった……
まず建設ありきの見込み需要による発電所増設の構造は、この社会のあらゆる面にもそっくり現れている。近くに商店街があるのに、近郊の農地がつぶされ道路ができて大ショッピングモールがつくられる。今のままで何ら不自由しないクルマもテレビも携帯電話も、新機能付きの製品に買い換えさせようとメーカーは躍起で、それに惑わされる消費者であるわれわれ自身も、本当にこれがそんなに売れるのかと首を傾げながら日々の生産活動を続けている。
「暗闇の思想」が発表された当時、松下さんには「江戸時代に戻れというのか」という短絡的な批判が寄せられたという。現在ならさしずめこう応じればいいのだ。「あなたはともかく、子や孫に放射能を浴びせるわけにはいかないでしょ?」



本書は市民運動家として活動しながら記録文学者として骨太の作品を残した松下竜一の代表的な七本の講演を文字起こししたもの。現場で考え、行動し、そして書く。現場主義を徹底して残された彼の作品『ルイズ―父に貰いし名は』、『砦に拠る』、『狼煙を見よ』等の解説文として読むこともできそうだ。
上野英信石牟礼道子ら九州の記録文学者の系譜は、自ずとこの日本にあって九州の地がどういう立場にあったかの歴史的証人でもあるのだが、松下竜一もそこに列なる一人であるのはまちがいない。
東京電力の電気なんて使いたくないと思っていても、現在のところ、消費者に選択権はない。しかし、電力会社に文句を言う前に、風力だ太陽光だ新エネルギーだと言う前に、自分の生活態度を見直し、文明のあり方を考え直し、そのうえで堂々と「電気はもうこれ以上いらない」と発言できてこそ、真に反原発の原点に立つことになるのではないか。電力不足や料金値上げのまやかしの脅しにいちいち反応しているかぎり、エネルギー革命などいつまでたっても起こしえないのではないか。
自分で考え、行動する。そういう提言の本を続けて読んでいる気がするのだが、やはり本書でも最も強く問われているのはわれわれ一人ひとりの‘想像力’なのであった。