早川敦子 / 吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む

【 早川敦子 / 吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む / 集英社新書 (192P) ・ 2012年11月(130103-0105) 】



・内容
 2011年10月、原爆詩の朗読を続ける女優・吉永小百合は、オックスフォード大学の招きを受けてイギリスに向かった。ヨーロッパで初めての朗読会、伴奏は、坂本龍一。彼女の朗読は、なぜ英国の聴衆の胸を打ったのか。吉永小百合が原爆詩と関わった二十余年にわたる軌跡を紹介しつつ、当日の出来事をドラマティックに描くドキュメント。原爆詩が国境を超えた瞬間が、いまここによみがえる。


          


最近書店に行くたびに足を止めるのがDVDムック本のコーナー。銀河鉄道999木下恵介監督作品のシリーズにも惹かれるが、日活100周年企画として刊行が始まっている「吉永小百合 私のベスト20」は立ち読み必至。
公開当時のポスターが付いていたり、冊子としても資料としても充実した内容で、一人の女優像を通して戦後昭和史を振り返ることもできそうである。自分はこの人の人気絶頂期を知る‘サユリスト’ではないから、コンプリートしようなんて気はないが、それでもこの機会にいくつかの作品は見ておこうと思っている。
終戦の年に生まれた吉永さんが原爆詩の朗読を始めたのは1986(昭和61)年。映画『夢千代日記』がきっかけだった。以来、四半世紀のあいだ、彼女は朗読会を続けてきた。

 広島や長崎の詩人たちが命をかけて叫び続けた言葉を、どうしてフクシマを生み出すことを阻止するために伝え切れなかったのだろう……。


その朗読会を英国で、中世以来の名門オックスフォード大学で、という企画が持ち上がったのは2011年2月のことだった。大手広告代理店や大スポンサーが念入りな収支計算の上で持ちこんだのではない。それはオックスフォード大日本問題研究所教授・苅谷剛彦氏の、国際的な教育機関被爆体験を考えるための「種をまいて」ほしいという趣旨の手紙から始まったのだった。
本書執筆者であり、吉永さんとも苅谷氏とも面識のあった早川敦子氏(津田塾大英文学科教授)が橋渡し役となって準備が進められた。百年以上も前のピアノを使っての伴奏を坂本龍一さんが買ってでた。
大女優と世界的音楽家をメインキャストに迎えたこの手づくりの朗読会はハプニングとサプライズにあふれていたのだが、最大のハプニングは企画段階に起こった東日本大震災だった。



本書は有名人を売りにした予定調和的なドキュメントではない。英文学、翻訳論を専門とする著者の「言葉」に対する、とりわけ人類の遺産としてのホロコースト文学に対する真摯な知見と学際的な洞察が推進力となって、オックスフォードの一日が過去と未来の中継点に変わる。  
文字どおり筆舌に尽くしがたい惨禍の経験を言葉に文字に表そうとする行為が国境を、時代を、そして言語の壁を越える。絶望を表現することで不条理を乗り越えようとしてきた人々が放つ肉声が、それらを越えて深い共感を呼びおこす。
吉永さんはプログラムの最後に、福島の詩として和合亮一の作品も三篇読むことにした。広島・長崎の原爆の惨禍をナチスによるホロコーストとつなぎ、さらにフクシマへと接続する言葉として。
その和合のシンプルな日本語詩を英訳する作業の難しさにも著者はちらりと触れているのだが、文字との格闘の末に紡がれた言葉は光となって、会場である中世の大学チャペルに灯されたのだった。詩人、朗読者、翻訳者、伴奏者、彼らはみな伝道師だったのだ。

 言葉と、ピアノの音が、異なる他者に近づいていく瞬間。日本語の言葉が英語を介して英語圏の人たちに近づいてゆき、チャペルで賛美歌や西洋の音楽に慣れ親しんできたピアノが、この日ははるか東洋の、文化も歴史も大きく異なった他者の物語に伴走して、思いがけない調和を作りあげていった。


英国は詩の国でもある。小説を読んでいると、キーツの詩が引用されたり、パブリックスクールに通う少年がブレイクの詩を暗唱する課題を与えられるなんて場面にしばしば出くわす。この授業がオックスフォードで行われたのは日本人としても喜ぶべきことだろう。(なぜ本国日本の大学では行われないのかはさておくとしても)
坂本龍一さんが当日行ったスピーチ “福島のあとで声をあげないのは野蛮である” や、アーサー・ビナード氏が南相馬在住の詩人・若松丈一郎の『ひとのあかし』に寄せた序文 “桜と予言と詩人” も紹介されている。
言葉が光なら、福島の声はきっと世界に伝わる。そう信じさせてくれる、良い本だった。

「にんげんをかえせ」― マドンナの想いよ、響け。そして、世界中に届け!


NHK平和アーカイブスより
    「祈るように語り続けたい 吉永小百合 原爆の詩12篇」(1997年)
    「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」(2010年)