山秋 真 / 原発をつくらせない人びと


恥ずかしながら、この本を読みはじめてから、昨年地元でも上映されたドキュメンタリー映画がここに描かれている島のことだったことに気づいた
映画『祝の島』(ほうりのしま) 公式HP



【 山秋 真 / 原発をつくらせない人びと―祝島から未来へ / 岩波新書 (240P) ・ 2012年12月(130101-0103) 】



・内容
 三十年間、原発をつくらせない西瀬戸内海、祝島の人びと。海と山を慈しみ、伝統、文化、祭りを大切に生きる暮らしがそこにある。交通の要衝としての歴史も綴りながら、1150回を超える週一回の女性中心のデモなど、政府の政策や電力会社にあらがいつづけた日々を、多様な肉声とともに描く渾身のルポ。


          
          

福島第一原発事故以来目にする機会の増えた原発施設の映像を見るたびに、どこも海と山に囲まれた風光明媚な良い所にあるなあとつくづく思う。どうしてあの白い巨大なコンクリートの建物はことごとく緑豊かな人口密度の低い場所にばかりつくられたのだろうという子どもっぽい疑問は原発政策の核心に関わるものだろうと思う。
瀬戸内海西端、山口県南端の上関(かみのせき)町から4キロの位置にある祝島(いわいしま)。中国電力が1982年に発表した上関原発の建設予定地はこの離島の対岸真正面だった。外海と内海が交わり、海底には豊富な湧き水があるため、水の透明度は15メートル。独特な生態系を今も維持している「奇蹟の海」があいだにある。
海の幸にも山の幸にも恵まれる美しく豊かな島で、三十年に渡って原発反対運動を続けている島民のレポート。

 しかし祝島漁協は、漁業補償金の受けとりを拒否した。二〇〇〇年五月のことである。祝島漁協への初回支払い分、約五億四〇〇〇万円は法務局へ供託された。
 「カネをもろうた者は、モノを言えんごとなる。中電にもろうたら、何も言えんのよ。それじゃけぇ祝島は、もらわずに突っぱってきたわけ」と、祝島の漁師のひとりは振りかえる。


祝島原発がつくられるわけではない。すでに上関町をはじめとする関係自治体や近隣漁協はそろって計画に同意し、交付金や補償金を受けとる方針で足並みをそろえているのだが、ただ人口五百人弱のこの島だけが頑なに拒否し続けている。原発の是非が毎回争点となる選挙でも、いつも推進派が過半数を占めている。
では、少数派の彼らは「モンスター」であり「駄々っ子」なのだろうか。一部の‘不満分子’のせいで国策の遂行が滞っていいものだろうか。地権者と自治体の同意を得て正当な法手続きを踏まえ、選挙で民意を問い、また裁判所のお墨付きまでもらっているのなら、中国電力は粛々と計画を進めれば良いはずだ。
その‘絶対不利’な状況で高齢者中心の祝島島民があらがい続けている理由は実に単純でありきたりなものだ。



非暴力を貫くその反対運動はときに強硬手段的な危険な行動に訴えざるをえないのだが、それを招いているのは中国電力側の非常識と不手際でもある。
深夜、早朝に抜き打ち的に作業を始めようとする。朝も夜もなく、生活の糧である海を守ろうとする漁民の「命がけ」の覚悟と、ただのサラリーマン社員の八時間労働のせめぎあいは美しい海岸縁に奇妙な不協和音を奏でる。
おそらく好条件の急募に集まったバイト警備員と祝島のおばちゃんたちが押し合い揉み合う。電力会社の下請けの下請けの工事屋が運ぶ作業用台船と、その海で生きてきた(その海でしか生きられない)漁民の小船がにらみあう。そこに海上保安庁の船が白波を蹴立てて現れ「危ないから離れろ」といいながら船体をぶつけてくる。
何世紀も何代も土着して守ってきた「自分たちの海」に、法とビジネス、安全や公共性を建前に土足で乗りこんでくる余所者たち。ホーム側がアウェーの戦いを強いられる痛憤と屈辱は想像に難くない。この三十年ばかりの話ではないのだ。先祖代々何百年も連綿と受け継がれてきた風習、あたりまえだった生活がかき乱される恐怖への想像力と配慮が、彼らには決定的に欠けている。海上に繰りひろげられる腹立たしいほど馬鹿馬鹿しく、情けなく、滑稽な光景が生々しく描写されている。
この三十年の間に、電力会社の月給取りは異動したり栄転したり定年退職したりして入れ替わり立ち替わりしてきただろう。「どいてください」「邪魔しないでください」そう叫んでいるだけで給料をもらえるのだから資本主義万歳である。だが、祝島の島民であることには定年なんてないのである。

 GBがまた近づいてくる。「台船に接触するから、もう少し下がってください」と言いつつ、清水丸を押して力ずくで遠ざけ、「こちらは海上保安庁です。安全のため距離を保ってください」と言った。その言葉に敏保さんが、「海上保安庁じゃないじゃないか!中電じゃないか、おまえらは!」と一喝した。マイクでがなりたてていた海上保安官たちが、急に静まりかえった。


祝島のホームページをのぞいてみた。本書にも詳しく記されているが、昔から肩を寄せあい支え合ってきた小さな島に原発の話がもちあがって以来、島民間に修復しがたい対立があることを伝える「上関原発問題」が悲しい。町の広報たるウェブサイトにこうした記述をしなければならない苦悩を思うとやりきれない。
原発建設は「推進」と「反対」の二極分化を招く。どちらかの判断を迫りどちらに付くのか態度表明を強いる。それまで平穏に暮らしてきた住民同士の信頼関係に亀裂が生じ、たがいに反目しあうようになる。祝島では親類縁者、幼なじみ、仕事の同僚であってさえ、立場が違えば冠婚葬祭にも出席しない事態になって久しいという。
たとえ正規の手順で調査や工事が進められようと、人々のあいだに疑心暗鬼を植えつけ、たがいを敵視しあうような地域社会は全体主義の一歩手前にある。実際にそうなるように世論操作が行われるのである。放射能を漏らす、環境を汚す、それ以前に人間関係を不自然に歪め狂わす有害ガスを蔓延させる原発には民主主義を愚弄する重大な罪があるのだろうと自分は考える。

本書刊行直後に政権が替わり、山口四区選出の厚顔な二世議員(東京出身)が首相の座に返り咲いた(「阿武隈共和国」の古老たちは、またしても長州閥めが…と呻いているにちがいない)。海岸の埋め立てが始まったところで一時中断している上関原発工事再開も予断を許さない。祝島の老人たちを眠らせぬ夜がまたやって来るのかもしれない。
そもそも三十年も前の電力計画なんて現在でも有効なのだろうか? 現地の人々を混乱させ疲弊させるこういうやり方をしていると、電力の‘質’が問われるようになる将来、時代遅れの電力会社の商品なんか誰も買わなくなるだろう。