鹿島 茂 / 「レ・ミゼラブル」百六景


はっきりいって、これは名著だと思う。



【 鹿島 茂 / 「レ・ミゼラブル」百六景〈新装版〉 / 文春文庫 (497P) ・ 2012年11月(121226-1231) 】



・内容
 なぜジャン・ヴァルジャンは、パリのその街区に身を隠したのか? 里親から虐待を受けるコゼットが、夜店で見ていた人形はどこで作られたものか? 19世紀の美麗な木版画230葉を106シーンに分け、骨太なストーリーラインと、微に入り細を穿った解説で、“みじめな人々”の物語をあざやかに甦らす。長大な傑作の全貌がこれ一冊でわかる。


          


書店で「レ・ミゼラブル」を選んでいたときに、たまたま例の表紙絵が目に入って岩波少年文庫とともに買い求めた本書。これが自分が求めていたとおりの素晴らしい内容だった。
レ・ミゼラブル」を数章読み、そこを本テキストで再確認するという形で併読。年末にまたしても面倒なことを始めたものだと思ったのだが、この作業が予想外に楽しかった! 文学作品に正しい読み方なんてものはありえないけれど、でも「レ・ミゼラブル」日本語版に関しては、これをガイドにするのがきっと一つの正解だろうと確信している。

 いや、それどころか、一説によると、ジャン・ヴァルジャンの造型にあたってもこのヴィドックが下敷きに使われているという。言い換えればこの二人の登場人物はもともと同根の人間で、ともに《レ・ミゼラブル》なのである。


長大な物語から106の場面を抽出して挿絵とともに紹介していく。
各章の要約とその場面を象徴する木版画に鹿島氏の微に入り細に入った解説が付される。「レ・ミゼラブル」の成立過程、作者ユゴーの生い立ちから激動期にあった政治との関わり、思想の変遷、登場人物たちのモデルとされる実在人物の紹介、当時のパリの治安状況や交通事情、貨幣価値や相場、世相風俗、同時代の作家たちへの影響や類似の指摘、などなど、ストーリーを追いながら読むのにうってつけの話がてんこ盛りである。
たとえば、テナルディエの酒屋で酷使されている少女コゼットが一人で遊んでいるシーン。小さな刃に布を巻きつけているのだが、小説の中では何をしているのかわかりづらい。それは生まれたばかりの赤ん坊を包帯でくるむ習慣があった当時の「おままごと」のようなものであると説明されていて、納得したのだった。
また、マリユス青年が偶然見えた女性の足に、見てはいけないものを見てしまった罪悪感(興奮?)を覚える、少々おおげさに思える場面は、当時の女性の身だしなみが上半身の露出にはわりと寛容だったが下半身は必ず足もとまで覆い隠すべきものだったから衝撃的だっただろうという。
そのフランスが現在ではイスラム女性のブルカを禁止したのだから皮肉というか、時代も変わったものである。



王党派と共和派が対立する十九世紀フランスの不安定な社会状況、近代化と都市化が進むパリに取り残される貧しい人々。急増した孤児や棄児は労働力として店や工場に引き取られたり、浮浪児として生きるしかなかった。「レ・ミゼラブル」に登場する大人たちのモデルが誰であるのかが指摘、あるいは推測されているのだが、コゼットやガブロッシュをはじめとする少年少女もけして想像上の造型ではなく、実際に巷にあふれていた子どもらの一人一人なのであった。
親に棄てられたり死別したり生き別れになったりする親子のドラマは時代を問わず国を問わず、永遠不変のテーマの一つとして現在にいたるまで再生産され続けている。そうした物語はいくつも思い浮かぶが、最近のものとしてまっ先に自分の頭に思い出されたのは大島真寿美ピエタ』だった(舞台はイタリアだが)。
ミリエル司教がジャン・ヴァルジャンに示した無償の愛情が、ジャン・ヴァルジャンとコゼット、マリユス、また警視ジャヴェルとの関係にも反復される。そうした重層的な物語の中で人間の良心を象徴するジャン・ヴァルジャンと冷酷非情な法の体現者ジャヴェルが実は同一人物を基にしているのではないかとの考察は本書中でも白眉であった。

 これまで一度たりとも愛情というものに接したことのなかったコゼットにとって、ジャン・ヴァルジャンとの出会いは、ちょうどジャン・ヴァルジャンがミリエル司教と会って人間愛に目覚めたときと同じ効果を持っていたにちがいない。愛情はもらった分しか与えられないというが、この箇所を読むと、ジャン・ヴァルジャンがミリエル司教から与えられた愛がいかに大きかったかよくわかる。


こちらとしてはあくまでも「レ・ミゼラブル」を読むのがメインテーマなのだが、読書体験としては本書の方が刺激的だった。また、今読んだばかりの場面をすぐにもう一度考えなおすという作業でもあるので、頭に入りやすく、作品理解にも大いに有益だった。
フランス文学の大家である著者の博覧強記によって、コゼットを連れたジャン・ヴァルジャンが逃げこんだ修道院があった場所には現実には何があってバルザックの作品では誰が住んでいたとか、フィクション−ノンフィクションの壁を越えた数々の名解説に触れることができる。
本書冒頭に鹿島氏は「レ・ミゼラブル」は題名やあらすじは知られていても実際には「誰も読んだことがない世界の名作」の一つであると言い切り、本文中にもたびたびこの作品には煩わしい脱線が多いとも言及している。作家とその作品について熟知した人の懇切丁寧な解説に助けてもらえるのは読書人にとっては非常な幸運である。