伊東 潤 / 国を蹴った男

【 伊東 潤 / 国を蹴った男 / 講談社 (295P) ・ 2012年10月(130111-0115) 】



・内容
 不条理な世を渡る武器は、気骨と果断。利に生きるか、義に死すか。敗れざる者たちの魂の咆哮。信玄、謙信、信長、秀吉―天下に手を伸ばした英雄たちの下、それぞれの一戦に臨む者たちの、生死の際を描く! 一戦ここにあり! ‘豪腕作家’の凛然たる戦国小説集。


          


 “生か死か、繁栄か滅亡か、それが戦国時代― だが、待てよ。「負け組」とされた男たちの中にも、意地を貫いて滅んだ者、全力を尽くして死んだ者、没落しても幸せだった者がいたのも事実。『国を蹴った男』は、戦国時代の「繁栄か滅亡か」という価値観では「負け組」であっても、本人たちは、決してそう思っていなかった「敗れざる者たち」を描いた連作短編集です。”

 ―これは 伊東潤さんの公式サイト に載せられている自著解説。こんなにわかりやすく説明されたら感想なんて書く必要なさそう。沢木耕太郎じゃあるまいし、「敗れざる者たち」なんて自分で言わない方がいいんじゃないかとも思うが、サービス精神のある方なのだろう。
伊東さんが「敗れざる者たち」を書くのは何も今作に限ったことではない。というか、いつもそうではないか。勝者の名前が並ぶ歴史年表には出てこない者たちの、人知れぬ埋もれた生き様に光を当てる。それも現代人の目線をオーバーラップさせて。だからこの人の時代小説は面白いのだろう。

 秀吉は、納得したかのように幾度もうなずくと言った。
 「茶人の心胆か。見事なものよの」
 「わしは一介の茶人だ。武人に覚悟があるのと同じく、茶人には茶人なりの覚悟がある」
 「それでは望み通り、耳と鼻を削ぎ落とし、磔刑にしてやろう」
 「それなら早くしろ。おぬしの顔を見ている方が苦痛なのでな」


2011〜12年に「小説現代」に発表した戦国短篇六作を収める。伊東さんのスタンスがよくわかるのが、三番目と四番目の二本、「短慮なり名左衛門」と「毒蛾の舞」。近年NHK大河ドラマ化されてよく知られる前田利家の妻・まつと直江兼続を大胆にも‘非NHK的’に調理してみせる。兼続は妻夫木クンのような好青年では全然なかったし、松たか子が演じたまつは実は毒のりんぷんをまき散らす「毒蛾」だったというのだから笑う。
本当かどうかはともかく、視点をどこに置くかで歴史の見え方はがらりと変わる。われわれが知っているのは(知った気になっているのは)一面的な勝者の歴史にすぎない。軍記戦記、家伝家史を残せたのはサバイブできた者だけなのである。
この人の作品を読むと、いかに現代人が初めから勝ち組目線に躍り馴らされ、公式発表を鵜呑みにするようにしつけられているかを思わされる。そのとき何があったのか、歴史の露と消えた無数の命を想像する余地を伊東潤の本は与えてくれる。



始めの「牢人大将」と「戦は算術に候」は長篠と関ヶ原の合戦秘話を脇役の目で語るオーソドックスな歴史物。読み心地はやや硬めだが、六つの作品の並びはよく練られていて、徐々に熱くなってくる。
最後に置かれた「天に唾して」と「国を蹴った男」は伊東潤の真骨頂が発揮された傑作(この人の場合、傑作率はめちゃくちゃ高いのだが)。
「天に唾して」は日本人好みの秀吉と千利休の確執をサイドに追いやって、敢然と秀吉に楯突く一茶人の物語。伊東さんは秀吉が好みではないのだろう。この他の作品でも権力に物を言わせて人を見下す秀吉を大いに茶化しているのだが、醜態を晒される悪漢としての秀吉は一方の主人公であるともいえる。二十万の大軍を率いて小田原城を囲んだ秀吉に一泡吹かせる。ただそれだけのために男がとった方策とは……?!

 ― このお方は、今川家の当主でいることが、嫌で嫌でたまらなかったのだ。
 人には向き不向きがある。大名家の当主は務まらなくとも、氏真には氏真のよさがある。
 ― 蹴鞠や和歌がうまくて、何が悪い。欲に駆られた餓鬼ばかりの世にあって、これほどのお方がいようか。
 五助の胸内から、得体の知れない情熱が湧いてきた。


そして最後に表題作にして今回の直木賞候補「国を蹴った男」。解説には「お待たせしました。戦国時代のメッシ・今川氏真の登場です!」って、そんな面白いこと自分で言わなくていいから。
桶狭間で当主・義元を失った今川家を継いだ氏真。なおも領国駿河遠江は家康と信玄の脅威にさらされているというのに、当人はいたって悠長に構えていた。蹴鞠の達人だった彼は京都で失職した鞠職人を呼び寄せる。
戦国大名でありながら争いごとを嫌う温厚な人柄。本来の役職を忘れて蹴鞠なぞにうつつをぬかしてしまう氏真。これは静岡県人の話ではないか(あるいは自分の)と思いながら読んだのだった。そもそも、自国が安泰ならばそれで良いはずなのに、隙あらば近隣他国を侵攻せんとしていた戦国時代の「当たり前」の異常さも考えずにいられないのだが、そこで「そういうやつばかりではなかった」というのが本作品の主人公・今川氏真なのである。
最後には信長、秀吉、家康を勢揃いさせて三人で蹴鞠をさせちゃうという粋な演出。 呵々大笑しているのは信長か、秀吉か、それとも伊東潤だったか?
今さらこの人に直木賞作家なんて肩書きは不似合いだろう。彼こそは「敗れざる作家」。これからも良い作品を書き続けてほしい。オーレ、伊東潤