マイクル・コナリー / スケアクロウ


タイトルで衝動買い。マイクル・コナリーを読むのは初めてだったが、想像以上のリーダビリティにびっくり! おかげで先週末は久しぶりに徹夜読書とあいなった。

スケアクロウ」といえばアル・パシーノとジーン・ハックマンの名作ロードムービーを連想するが、本作タイトルは「オズの魔法使い」の案山子(かかし)から取ったものだった。竜巻に飛ばされてオズの国へ……。お約束の‘虹の彼方へ’は一箇所にだけ出てきた。BGMとしてそれより強い印象を残すのは……ジム・モリソン(ドアーズ)の曲だった!



マイクル・コナリー / スケアクロウ / 講談社文庫 (上368P、下384P) ・ 2013年 2月(130308-0311) 】

THE SCARECROW by Michael Connelly 2009
訳:古沢嘉通



・内容
 人員整理のため二週間後に解雇されることになったLAタイムズの記者マカヴォイは、ロス南部の貧困地区で起こった「ストリッパートランク詰め殺人」で逮捕された少年が冤罪である可能性に気づく。スクープを予感し取材する彼を「農場」から監視するのは案山子。コナリー史上もっとも不気味な殺人犯登場。


          

          
犯罪小説ということでちょっと身構えていたのだけれど、犯行場面の暴力描写がほとんどされていないのが、まず意外だった。帯や案内文には「細い脚の女を嗜虐する」というコピーが目につき、残虐だったり猟奇的な犯行現場が生々しく書かれているものとばかり思っていた。しかし、この著者はそこにインパクトを求めようとはしないのだった。
主人公はレイオフを通告されたロサンジェルス・タイムズ記者のジャック・マカヴォイ。解雇までの二週間にスクープをものにしてやろうと意気込んで手をつけた事件は単発のものではなかった。事件の連続性をかぎ取って取材にのめりこんでいくジャック。やがて犯人との接点をつかむのだが、逆に犯人の標的となり、いつしか彼自身が事件の登場人物になっていくという展開で一気に読ませる。

 「こいつを記事にしろ、ベイビー」 わたしは言った。
 映画『大統領の陰謀』のなかに出てくるセリフだった。新聞記者を主人公にした過去最高の映画が、アンジェラにはぴんと来ていないのがわかった。まあ、しかたあるまい。旧派がいれば、新興勢力もいるものだ。


ニューズウィーク誌が雑誌の発行をやめて電子版だけになると報道されたのは昨年だが、数年前からLIFE誌やシカゴ・トリビューン紙の廃刊が伝えられ、アメリカの新聞雑誌業界の変化は伝えられていた。本作が発表された2009年もアメリカでは新聞の廃刊が相次ぎ、新聞社員の実に四人に一人がリストラされるという状況だった。
著者自身もLAタイムズ紙出身とのこと。様変わりした新聞業界の舞台裏をストレートに映した背景に、エリートではないベテラン記者の男を配置して、タフな記者魂を書いている。自分をクビにする会社への愛憎。後任の若いモバジャ(モバイルジャーナリスト)への複雑な心境。「社会の木鐸」たる新聞報道のあり方。新聞が軽視されるようになった現在への反発と寂しさ。ジャックの姿に著者自身の経験と、現在も自分の処遇に不安を抱きながら仕事をしている記者たちへの同情が反映されているのだろう。
一方、犯人側はデジタルデータの管理会社に勤務し、サイバースペースに身を潜めている。デジタルとアナログ、若者とベテラン、紙メディアとネット、現実と妄想、リアルと非リアル、現代社会の相反する要素が巧みに取りこまれていて、事件に直接関係ない部分にも読みどころが多い。



FBI捜査官の相棒がいるとはいえ、ジャックは記事をものにするために警察にも自社にも知らせず、独断で犯人と接触しようとする。どうして警察捜査みたいなことをメディアの人間がやるのか、日本の報道番組を見ていてもしばしば感じる疑問ではある。現実離れしていると思える場面もなくはないのだが、そんな疑問も忘れさせるほど、語り口は見事だ。ジャックは(タイムズの慰留を拒んででも)離職したら小説を書く野望を持っていて、もしかしたら今読んでいるこれがそれなのか?と思わせる手口も心憎い。
マカヴォイの行動と犯人側の動静が交互に描かれていく形式だが、ジャックの方が「わたし」の一人称で内面の葛藤まで克明に記されているのに対し、犯人の方の扱いは案外あっさりしている。本分の中に、小説や新聞記事が犯罪者に過剰にヒントや刺激を与えることがあるという分析を示すところがあって、記者上がりの作家らしい配慮なのかとも思う。
知能犯のサディスティックな犯行とエゴイスティックな性格を細部まで生々しく描くのはエンタテイメントの常道だが(そしてそれが作家の技量だと思いこみがちだが)、そこは最低限に抑えてある。犯人を必要以上に巨大化しない、権力化しないことで、作家が書きたいのは何なのかが鮮明になっている。

 「だったらこれは究極のアディオスになる」 レスターは言った。「わかったぜ、ざまあみさらせと捨てゼリフを残して出ていくんだ ― あんたはとっくにドアを出ていったというのに、賞狙いに出さざるをえなくなるほどすばらしい記事を残して」


ジャックと彼のパートナー・女性FBI捜査官レイチェルのやり取りの中に、しばしば「詩人」と呼ばれた殺人鬼の事件がほのめかされる。二人の関係にはその事件以来の伏線があり、それは『ザ・ポエット』という作品に書かれているらしい。このストーリーテラーの作品をもっと読んでみたい。長年コナリー訳を手がけている古沢嘉通氏の日本語文体もベストマッチだ。
日本の新聞記者とはちょっとちがうアメリカの報道記者の矜持がよく伝わってきた(「社会の木鐸」なんて言葉を目にしたのは久しぶりだ!)。ビルのワンフロア。無数の囲みスペースの中で記者がキーボードを叩いている。一角にガラス張りのオフィスがあって、そこに上司がいる。解雇を告げ、またその撤回を告げる中間管理職とジャックのやりとりも面白い。
きらびやかだが荒んだウェストコーストを舞台にしたいかにもアメリカ的な小説ではあるけれど、病的な犯罪者の異様さより、ひとりの男の生きざまがクローズアップされる。陰惨な事件現場よりも、肩身の狭い思いをしながら何とか締切までに記事をまとめようとするジャックの必死な姿が目に浮かぶ。信頼の置ける大人が書いた作品を読んだという実感に包まれた。大人の仕事に触れるのは気持ちの良いものである。