スティーブ・ハミルトン / 解錠師


話題作の文庫化が早い。一、二年前の新刊時にリストに入れておいた作品がもう文庫で出ている。『天地明察』なんて、今度読む今度読むと言ってるうちに文庫になり、いつのまにか映画化までされていた。
この『解錠師』もそう。一年くらい前にポケミスで出たときにチェックしていたのが、もう文庫版になった。同様に文庫化された『二流小説家』も一緒に購入。



【 スティーブ・ハミルトン / 解錠師 / ハヤカワ文庫 (571P) ・ 2012年12月(130313-0316) 】

THE LOCK ARTIST by Steve Hamilton 2009
訳:越前敏弥



・内容
 八歳の時にある出来事から言葉を失ってしまったマイク。だが彼には才能があった。絵を描くこと、そしてどんな錠も開くことが出来る才能だ。孤独な彼は錠前を友に成長する。やがて高校生となったある日、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子となり、芸術的腕前を持つ解錠師に……  非情な犯罪の世界に生きる少年の光と影を描き、MWA賞最優秀長篇賞、CWA賞スティール・ダガー賞など世界のミステリ賞を獲得した話題作。
このミステリーがすごい! 2013年版海外編第1位、週刊文春ミステリーベストテン海外部門第1位


          


米英で各賞受賞、日本でも昨年の「このミス1位」。読者レビューもおしなべて好評なようだったが、自分にはこの一人称の語りはダメだった。
金庫破りの少年が主人公ということで思い浮かべたのは中村文則『掏摸(スリ)』、それから主人公にハンディキャップがある(らしい)ことから『アルジャーノン』や『くらやみの速さはどれくらい』みたいな物語を想像していた。名作との共通項を先入観に読むのは失礼だし不公平なのはわかっているけど、期待の裏返しなので仕方がない。
主人公は子どもの頃に家族に起きた事件のトラウマで声を失ったという設定なのだが、まず発声できない生理状態に関する洞察が甘い。登場人物の中で真剣にそのことを気にかけるのは恋人だけ。他の登場人物たちは彼と会話できないことにほとんど途惑うこともなくすぐに納得するのだが、そんなものだろうか?
マイクは現実には喋れない。したがって一人称の文章はほぼすべて心理描写ということになるのだが、書かれている内面はえらく饒舌である。それってフェアじゃないと思うのだが。

 「バーン! 聞こえるか? バーン!」
 ぼくは目を閉じた。心をすっかり平静な状態にする。テンションレンチをほんの少し、百万分の一インチだけゆるめた。
 「もうだめだ! 警官に取り囲まれた!」
 あと三本。あと二本。


この作品の二大要素、少年が発声できなくなったことと金庫破りになったことの連関が最後までぴんとこなかった。この子が喋れない設定にする必要があったのか。ただ恋人と絵でコミュニケートするアイデアのためだけにそうしたのではないか。だから本当に唖者として生活する困難は伝わってこないし、周りの人間も彼を都合良く利用しようとする者ばかりである。
彼が金庫破りの道に入るのも不自然としか思えなかった。たとえ錠はずしが一つの‘才能’だとしても、本当に感覚が鋭い者なら、自分の境遇なり状況にもっと慎重で敏感であるべきではないか。職業の才覚は人格の表出でもあるのに、この主人公の造型は技術と精神がばらばらである。そこが『掏摸』とちがっていちじるしく説得力に欠ける。
結局この若者は全部他人まかせ成り行きまかせで、最後の仕事も「彼女を救うため」である。ロマンチックなのはけっこうだが、しょせん彼自身のための仕事ではないし、自分の才能を活かすこと、すなわち生きていくことにまったく自律的でないのが気にくわなかった最大の理由だ。



つい辛辣になってしまうのは『スケアクロウ』の直後に読んだせいかもしれない。ジャック・マカヴォイはけして清潔な人物ではなかったけれど、仕事に対するプライドと一人でも生きていこうとする姿勢には大いに共感し勇気づけられもした。
自分は本作品に(未成年の若者が主人公だが)大人の仕事を感じなかったのである。主人公が未熟というより、主人公に不自然な不運を押しつけて「悲劇のヒーロー」として操作しようとする著者の作為が彼を幼稚なままにしたように思える。
どんなにスリリングにピッキングの技術が書かれていようと、それ以前にそれを使う人物が子どもでは魅力も半減。いったいこの安物のどこが‘芸術家’(ロック・アーティスト)なのだろうと鼻白んでしまうのだった。
素直に没入できないのは、もう自分がフィクションを字面どうりには受けとめられない年代ということかもしれない。

 「覚悟がいることだからな」 ようやく口を開く。「おまえさんにとっても、おれにとっても」
 ぼくは動かなかった。どんなことであれ、ゴーストが腹を決めるのを待った。
 「よし、いいだろう。しっかり聞けよ。芸術家はこうやって金庫を開ける」


保護観察処分となった主人公は被害者宅で労働奉仕をする。いけすかない人物として描かれているその家の主人が「他人に勝手に家に入りこまれることの苦痛がわかるか」と彼にいう。解錠場面以外では唯一現実的でまともなセリフだった。
その家の一人娘とあっというまに相思相愛の仲になり、彼女が大学進学後もすぐに居場所を見つけてよりを戻す。自分の経験からいえば、だいたい女の子の方が現実的で進んでいて、男の方は未練たらしく傷つくものだが、この作品では気味が悪いくらいに万事が主人公の青年に都合良く展開する。
最後の方は流し読み。「閉ざされた心の鍵を開ける」みたいな終わりだったと思うが、そもそも住居侵入、窃盗行為に加担する主人公が他人の心のドアを壊してきたことには気づかないままだ。社会性に乏しいまま美化された自意識は最後まで変わらず、読んでいて苦痛だった。
厳しい現実と対峙して乗り越えるのではなく、現実の方を安易に甘く寛容なものに作りかえてしまっている。自分にはベストよりワーストに近い作品だった。