デイヴィッド・ゴードン / 二流小説家


これがハヤカワ・ポケットミステリとして刊行されたのは2011年3月10日。当時、何となくエンタメ系の作品は後回しの気分で保留にしていたのだった。二年…… 早いなあ。



【 デイヴィッド・ゴードン / 二流小説家 / ハヤカワ文庫 (562P) ・ 2013年 1月(130317-03122) 】

THE SERIALIST by David Gordon 2010
訳:青木 千鶴



・内容
 ハリーは冴えない中年作家。シリーズ物のミステリ、SF、ヴァンパイア小説の執筆で何とか食いつないできたが、ガールフレンドには愛想を尽かされ、家庭教師をしている女子高生からも小馬鹿にされる始末。だがそんなハリーに大逆転のチャンスが。かつてニューヨークを震撼させた連続殺人鬼より告白本の執筆を依頼されたのだ。ベストセラー間違いなし! だが刑務所に面会に赴いたハリーは思いもかけぬ条件を突きつけられ…… アメリカで絶賛され日本でも年間ベストテンの第1位を独占した新時代のサスペンス。


          


本屋に行けば「ヴァンパイアもの」の一つ二つは必ず見つけることができる。「ゾンビもの」もそうだが、大ヒットすることはないけれど絶滅することもなく、絶えることなく新刊がリリースされる海外ジャンルの一つ。おそらく欧米では日本に紹介されない多くの作品が発表されているのだろう。
フィクション小説の中でも最もフィクショナブルな本。現実とは無関係な、空想より妄想に近い娯楽小説。だからといって‘マニアック’の一語で説明できそうにない。ベストセラーに見向きもせず、‘オタク’の仮面もつけずにそういう作品を好む読者とはどういう人たちなのだろう。そして、顔の見えない読者に向けて、どれだけ売れるかわからない、血を吸い吸われる美男美女の様式美ばかりを再生産しているライターも確実にいるのだ。
本作の主人公、‘二流小説家’ハリー・ブロックも「実名で書くに値しない」小説を書いている作家だ。ペンネームに友人の名を借りたり、母親の写真を使って女性作家を偽ったり。その彼に一通のファンレターが届く。それは獄中にある死刑囚からのものだった……

 最も低俗にして最も愚劣なエロ小説が、深夜の孤独な魂にどれほどの救いをもたらしてきたことか。どんな愛の詩に、どんなマニフェストに、どんな芸術の発する崇高な声に、果たしてそれだけのことができるだろう。


連続猟奇殺人犯の告白本を独占出版したらバカ売れする。しがないライター生活ともこれでおさらばだ! めぐってきたチャンスをものにしようとハリーは張り切るのだが、彼が取材したその死刑囚のファンを自称する女性が次々と惨殺され、ハリー自身が容疑者になってしまう。
物語が大きく動いてフーダニットに焦点が集まっていく後半も読みごたえがあったが、売れない作家の私生活を通じて‘本の本’的愉しみが味わえた前半が特に良かった!
殺した女を写真に撮っていた死刑囚は‘芸術(アート)’を「夢にまで見たのに、なかなか実現しない何かだ」という。ハリーは自分が書く三文小説を愛するどころか嫌悪さえしているが、それを喜ぶ読者にも嫌悪感を否定できない。それでも、一冊のくだらない本が真夜中の孤独な魂を救うこともあるという件りは嬉しく、ため息まじりにしみじみ共感したのだった。
人はどうして本を読むのか。自分がなぜその小説を好きなのか。明解な理由なんてありえず、多くは偶然でしかないのだが、この235P〜237Pには、あらゆる本の存在理由を肯定し、読み手も書き手も本の世界の囚われ人なのだと断言する素敵な文章が載せられていた。宇宙の真っ暗闇に放たれ無軌道を漂流する本。それに必死に手を伸ばす人がいる。たとえそれがヴァンパイア小説でもポルノ作品でも、奇跡は起きるかもしれないのだ!



この作品の隠れたエンジンは「ファンレター」である。別名でチープな本を出しているハリーのウェブサイトには熱心なファンが集い、女を猟奇的に殺した男にもパートナーとして指名されるのを望む心酔者からの手紙が届く。ファン心理の裏にある現実逃避や脱出願望の暗さを感じる一方で、広大なこの世界のどこかに自分の作品に反応を示す人がいることが、ハリーのようなライターをどれだけ励ますかは想像に難くない。
それはおそらく劇場型犯罪と呼ばれるものと同じ構造で、社会が無反応なら自己主張はエスカレートし、過敏に反応すれば犯人を余計に喜ばせ興奮させてしまうのと似ているのかもしれない。
‘あばずれ調教師’の珍コラムにだって熱心な読者がいた(その男は殺人犯だったが)。直接ファンレターを書くまでしなくとも、こうしてブログに書きつけた感想がどこで作家やアーティストの目に触れぬとも限らない。いい加減なことを書くまいとも思うのである。

 もはや告白本を出版することはないにせよ、ぼくはなおもダリアンのゴーストライターであり、ただひとり残された読者でもあった。だが、ダリアンの語る物語は未完成のままだった。ぼくはその結末が知りたかった。たとえそれが、一冊の本として世に出る日を永遠に迎えなかったとしても。


告白本を手がけることになったハリーに関わるのはことごとく‘イイ女’ばかりで、そこは少々眉唾で欲張りすぎにも思えた。ストリッパーからアニメの妹系みたいなのまで多彩で、  できるものなら変わりたい  どれが本命なのか散漫になってしまったではないか、まったく…   「本を読んでいる女はセクシーだ」というのには激しく同感だが、現実にそんな女はい   しかし、まあまあそれが許せるのは、この憎めない主人公にはちっとも気取ったところがないからであり、それが『解錠師』とちがうところだった。
作中作として収められているハリー作のヴァンパイア・SFシリーズの断片も違和感なく読むことができた。全体としてチープどころかなかなかの労作であり大作でもあるのに、ユーモアたっぷりの語り口と登場人物の生き生きとした造型で少しもその労苦を感じさせない。
結局これは小説家と読者の関係に殺人者と被害者をかぶせた、あるいは作家と読者を逆転させて描いた、現実と虚構の物語だったのだと思う。異世界の架空の物語ばかり書いている虚構作家のハリーが、初めて現実をモデルにした小説を書こうと思いつくまでの物語。一流か二流かは知らないが、もちろんここには本書著者の姿が見え隠れしている。作家デビューの意思表明として堂々たるものだったと思う。