矢野顕子、忌野清志郎を歌う


二月初め、小用に出て会社に戻る車中、ラジオから聞こえてきたのは坂本美雨さんの「ディアフレンズ」。美雨さんが「お母さん」と言っている…… その日のゲストは、清志郎のカバーアルバムを発表する矢野顕子さんだった。(あれからもう三ヶ月がすぎてるなんて)


アルバムについて、旧友・清志郎について、ざっくばらんに語る矢野さん。それを興味深げに聞く娘・美雨さん。

  美雨娘 「清志郎さんって、どんな人でした?」
  矢野母 「自分が信じているものにはすごく誠実。それ以外のことはいい加減」
   娘  「ふーん、お母さんにそっくりですね!」
   母  「 …… 」


後半は高校時代からピアノを仕事にしていた母と娘の心暖まる(?)トーク。当然のことだが、二人の息が合っていて互いに心許せる相手であることが伝わってきてほっとした(自分がほっとする必要はないが)。この母親は自分よりずっと長い時間をピアノと過ごしてきた。美雨さんはピアノに嫉妬したりしたのだろうか……?

   母  「自分にはピアノ弾くしかないからさ」
   娘  「その自覚はあるわけですね」
   母  「それどういうことよ」


肉親でありアーティスト同士、偉大な先駆者と後継者のお二人の会話は面白すぎて一言も聞き捨てならず、会社の前を二回も素通りして放送終了まで時間稼ぎしたのであった。
三歳でピアノを始めた母親は番組の最後に「ピアノ弾いてる歴五十五年、すごくない?」と語尾を上げた。  (東京FM「坂本美雨のディアフレンズ」HP

その ‘ピヤノアキコ’ の新作&ライブツアーは……


     




矢野顕子忌野清志郎を歌う ツアー2013 / 5月8日 浜松市天竜壬生ホール 】



ヤマハのお膝元だからか、矢野さんは浜松によく来てくれる。ただし、今回のライブ会場はいつものアクトシティではなく、旧・天竜市二俣の小ホール。浜松市街から車で小一時間かかる山間地だ。初めて行く場所だし、帰宅ラッシュの渋滞にはまると19時の開演に間に合わないかもしれないので、仕事を早退して早めに移動。
開場時刻の一時間ほど前に着いたはいいが、どうも怪しい。人影はまばら、駐車場は空き空き。メインホール横の練習室では地元高校の郷土芸能部が和太鼓をどんどこどんどこ打ち鳴らしている。本当に今夜ここで矢野顕子忌野清志郎を歌うのか? それらしきムードは微塵もなかった。

ホール西隣には絵に描いたようにわびしく寂れたパチンコ店。その向こうに天竜川の支流、二俣川が流れていた。五メートルほどの高さの堤防を降りないと河原には行けないが、遠目にも水が澄んでいるのがわかる。ときどき小魚が跳ねて、丸く広がった波紋もゆったり流れていく。100メートルほど上流の橋を速度を落とした天浜線のワンマン電車が渡る。
雲ひとつなく風もない山間の街のたそがれどき。静かな川辺のせせらぎ。ときどきパチンコ屋のドアから店内のマイク音が漏れては、すぐにまた聞こえなくなる。
堤防に足を伸ばして座ってぼんやりしているのは心地よく、矢野顕子コンサートよりもこの土地の圧倒的な日常の現実を意識する。こんなところに、あの伝説のピアノ弾きは現れるのだろうか。このまま何も起こらない方がずっと現実的なことのように思えてきさえするのだった。


     


でも、矢野顕子は登場した。初めにちょっと粋な演出があって客席がぐっとステージにのめりこんだところで、矢野さんがステージへ。ピアノに座った彼女の指が滑らかに走り、転がりはじめる。何が始まるのか期待が膨らんでいく。そして高らかに歌い上げられたのは ‘誇り高く生きよう’ だった。
矢野さんの清志郎アルバムは、イントロを聴いただけではすぐにオリジナル曲がわからない。それは「スーパーフォークソング」シリーズがそうであるように、耳なじみの ‘デイドリーム・ビリーバー’ や ‘多摩蘭坂’ にも原曲の面影は見られない。
大胆なアレンジに初聴の印象は違和感だけが残った。でもそれはスピーカーから出てくる音の表面の感触だった。そうだ、初めてRCサクセションを耳にしたときもこんな感じだった。そして、歌詞カードを読みながらもう一度じっくり聴いてみると、矢野さんがやっていることがすんなりと腑に落ちた。それから一気にこのアルバムに魅了されていった。

歌詞が先か、メロディが先か。自分はディラン派なので歌詞優先であるべきと考える旧人類だが (本当は人間じゃないのだが) 、ほとんどのポップソング(商品)は曲に効率的に耳触りの良い言葉を乗せる(当てはめる)形で作られていると思う。
でも、このアルバムはそうではない。まず歌詞があって成り立っている。それ以外にはありえないのだ。そしてその「詩」は矢野顕子にとって、調理するためのただの素材なのではなかった…… 清志郎が何を歌っていたのか確かめながら矢野さんの演奏に耳を傾けるのは、彼女がなぜその歌をセレクトしたのかを考える作業でもあって、初回とは全然違うサウンドが響いてきた。そして、歌い手が違い、表現手段が違うのに、同じ情景が見えてくることに驚かされたのだった。
アルバム『矢野顕子忌野清志郎を歌う』は、生き分かれた一卵性双生児が別々の荒野で同じ歌を口ずさんで生きていた、その片割れの奇跡的な記録。今ではそんなふうに感じている。



贅沢にもそれを生で聴かせてくれる今回のライブ。その内容はというと、何のことはない、キング・オブ・ソウルの歌をレディ・ソウルが歌ってみせたまでのことだった。
清志郎の曲を」とか、「アッコちゃんのピアノが」とか、そんなことばかり考えて忘れがちだが、矢野さんは、それはそれは歌が上手いのである。今さらこんなことを口にするのも恥ずかしいのだが、彼女がピアノの名手なのは当たり前で、それをやりながら歌ってみせるヴォーカル芸の素晴らしさを強く強く感じたのだった。

矢野さんは「ディアフレンズ」の放送の中で、清志郎はいつも本気でものを言う人だったと振り返り、作品と作者が一致するアーティストだった、と話していた。清志郎の作品は清志郎そのもの。そして、私自分もそうなのだと。
作者=作品。あらゆる表現者にとっての最短目標にして達成困難な最も深遠なるテーマのはずだが、では、他人の楽曲をオリジナルからかけ離れた自分流のスタイルで歌い弾きながら、どうしようもなく清志郎を感じさせた今夜の矢野顕子のパフォーマンスをどう説明すればいいのか。答は‘ひとつだけ’わかっているけど、ここにはあえて書かない。
水と油のような二人である。なのにどうして清志郎矢野顕子を好きだったのか、今夜はっきり理解できた。音楽的ルーツもアーティスト性も演奏スタイルも表現方法も、何もかも違った二人なのに、どうして互いをリスペクトしあうことができたのか。二人はソウル・メイトだったからだ。


     


一、二曲演奏して、その歌にまつわるトピックを話しながらステージは進められた。 ‘山の麓で犬と暮らしている’ のアンサーソングが歌われ、矢野さん自身の曲もいくつか歌われた。『音楽堂』に収録されていた山口百恵のあの名曲カバーまで飛び出して、驚愕の演奏(!)に鳥肌の連続。天才は衰えず。それはもう人間国宝級で、こちらはただ拍手喝采を送ることしかできないのがもどかしくてたまらなかった。
歌にもピアノにもCDの五割増しの想いがこもっている。誰が何と言おうと、これは伝説のライブなのだという確信が強まる。アンコール、例のピンクブーツで出てきたアッコちゃんは「これは清志郎の曲の中でも、もっとも優しい歌です」と紹介して ‘セラピー’ を歌いだした。その姿をまっすぐ見つめることはできなかった。

大型連休明けの水曜日。そんな夜に、こんな場所で。今夜のコンサートは、きっと神様からの贈り物。だけど、いちばん喜んでいるのは、天国の‘あいつ’。清志郎、聴こえたかい? やっぱりオレの目に狂いはなかったとほくそ笑んでいるんじゃないかな。
日本のグレートなソウル・シンガーの想いを届けられるのは、同じだけのソウルの容量と熱量がある人間に限られる。これから矢野顕子のことは「クイーン・オブ・マイ・ソウル」と呼ばせてもらおう。ブーツだけじゃなく、彼女の背に清志郎のマントが見えたから。
浜松では見ることができない星空の下、清志郎にかわって叫びたい気分だった。「ありがとう、アッコちゃん! 愛してまーす!」