B・トリンスキー / ジミー・ペイジ自伝


読みたい本がたくさんあって困るのだが、今月は人物伝を続けて読む予定。
手始めは、これだ!



【 ブラッド・トリンスキー / 奇跡 ジミー・ペイジ自伝 / ロッキン・オン (381P) ・ 2013年 3月(130430-0503) 】


LIGHT AND SHADE by Brad Tolinski 2012
訳:山下えりか



・内容
 レッド・ツェッペリンの真実をジミー・ペイジがすべて語り下ろした! 各アルバム、楽曲ごとに語った制作秘話、“天国への階段”の歴史的なソロの秘密、ボーナムのドラム・サウンドの衝撃性、ツェップ再結成の裏話― 知りたかったすべてがわかる必読の一冊、ついに登場!


          


自分の本棚にそこだけは長年不動の一列がある。いわば‘聖域’。キースがいてジャニスがいて、ディランがいる。ギンズバーグがいてレニー・ブルースがいる(晶文社率高し)。ここに新たに加えてもいい本はめったにない。
『ジミー・ペイジ自伝』はどうか? うーん、つまらなそう。中身はだいたい想像できるし、まかり間違っても楽しくなさそうである。でも無視できない、というか、できなくなくもなくはない。最悪、書棚の置き物として、部屋の飾りとして使えるし― 。レッド・ツェッペリンをリアルタイムで知らない自分にとって、ジミー・ペイジという人はつまりそういう人である。
英国三大ギタリストの一人、永遠のカリスマ・ギターヒーロー、絶滅の危機にあるロック・アイコンの象徴的人物でありながら‘元祖ヘタウマ’とか「まるで手袋をして弾いてるみたい」(by渋谷陽一)とか言われてしまう。変人、どケチ、金の亡者。伝え聞く伝説は悪評ばかり。北京オリンピック閉会式にロンドンバスに乗って現れた場違いな姿には、かつて遙かなる頂の高みに王者を認めた自分のような者もがっくりうなだれるしかなかったのである。



ところが、予想に反してこの本、読めたのである。どんな家庭環境に生まれ、幼少期にどういう子どもだったかなんて生い立ちに長々とページを割くことをせず、ギターと出会ったジミー少年がめきめき腕を上げて、十代でスタジオミュージシャンとして働き、やがてヤードバーズに加入するまでがテンポよく語られる。
そして、レッド・ツェッペリン結成。ジミー・ペイジの人間性ではなくミュージシャンとしての活動に焦点を絞っているから、話が脱線することもない。いうまでもなくペイジも60年代ブリティッシュ・ロック・シーンの生き証人の一人だったわけで、見よう見まねでR&RやR&Bをやり始めたアートスクール出身の少年たちと同一視してしまいがちだが、その当時すでに彼はプロの演奏家として多くの経験を積んでいて、同時期に続々と誕生したビートバンドのギタリストたちと比べて、ずっと音楽家としての育ちは良かったのだ。そういう伏線があって世界最大にして孤高の王者ツェッペリンが生まれたというのが、すんなり理解できたのである。
それが可能だったのは著者(聞き手)が評論家ではなくギター誌の編集長だったからかもしれない。あの鉄壁無比な荘厳なツェッペリンサウンドの秘密をペイジ自身に口を割らせるのは誰にでもできることではなかったのだから。文章の向こうに 映画『ゲット・ラウド』 のペイジーの柔和な笑顔を思い出したのだが、ジミー・ペイジとレッド・ツェッペリンがやっていたことが本当に正当に理解されだしたのはバンド解散から三十年にもなる近年になってのことなのかもしれない。

 だがO2のコンサートでは彼はアルバムとまったく同じ音を弾き、満場の大喝采を博した。 「誰も、僕が本当にあのとおりに弾けるとは思ってなかったんじゃないかな」 とペイジは笑う。 「まあ、ちゃんと弾けるんだぞってことを見せたかったんだと思うよ」


自分がこれを買ったのはただ‘置き物’として悪くないという理由だけではない。著者名の横に懐かしい名前を見つけたからだ。翻訳の山下えりかさん。かつてロッキン・オンのスタッフだった人でUKロックを担当していた方である。
ロッキン・オン誌のストーン・ローゼズ“石と薔薇”について書いた彼女の文章が素敵で、自分の日記に書き写したり、そのページのコピーをローゼズのアルバムに挿んでおいたりしたものだ。今でもその一節は暗唱できる。

   “ 魂は準備しない、防御しない、可否を下さない。 
    ただ私の中にいて、いつまでも生まれた瞬間と同じだけの愛を無条件に要求できる源なのだから ”

マンチェスターから現れた無名バンドを聴いて、その独特なビート感からこんなフレーズを紡いだセンスに憧れて、それ以降の彼女の文章は全部読んだと思う。
巻末に短く附された訳者略歴には「フリーの翻訳者、ライター」で現在バンクーバー在住と記されている。今でもロックに携わる仕事をされているのが嬉しい。ジミー・ペイジ経由で彼女の名前を思い出すことになるとはまったく意外だったのだけれど。



ネットメディアが普及した現在とちがって、昔は海外アーティストの情報はレコードと雑誌とFMラジオしかなかった。飽きることなくジャケット写真を眺めながらレコードを繰りかえし聴いて飢えをしのいだ時代。想像力は鍛えられたはずだ。ときおりこういうアーティスト本が出版されると、なけなしの小遣いからレコードを買うのか、本を買うべきか、真剣に悩んだものだ。そうして手に入れた本は何物にも代え難い教科書になりバイブルになった。自分にとってそういう存在はキース・リチャードだったのだが。
厳密に言えば本書は「自伝」ではない(原題は「光と影 ジミー・ペイジとの対話」)。ペイジのミュージシャン人生をたどりながら、時系列に沿ったインタビューでアルバムや楽曲の制作状況をペイジに語らせる。彼のプライバシーにはほとんど触れず、他のバンドとの対比も避けられている。ただ音楽の本質だけを語って音楽家像を浮かび上がらせることに成功している稀有な例だと思う。(ツェッペリン信者がどう感じるかは知らないが)
記事にして本にまでするのなら、読者にそのアーティストを聴いてみようという気にさせなければならない。そういう音楽評は実は少なく、殊に ‘天国への階段’ や ‘アキレス最後の戦い’ のような圧倒的なスペクタクルを創出してしまう怪物バンドを対象にすると、ライター自身が実像と虚像を区別できていないと思われる例が少なくないのだが、これは良かった。何といっても、レッド・ツェッペリンを聴きながら読むことができた。そして、そういえば超レアなツェップTシャツを持っていたっけ!と深夜にクローゼットをひっくり返すはめになったのである。


          


あまりにカッコ良すぎてとても着る勇気がでない一着。「いざ」というときの‘勝負服’のつもりだが出番がないまま今年のゴールデンウィークも連敗中。