コニー・ウィリス / 最後のウィネベーゴ

【 コニー・ウィリス / 最後のウィネベーゴ / 河出文庫 (424P) ・ 2013年 2月(130426-0429) 】



・内容
 深い余韻を読後に残す感動作からタイムトラベル恋愛喜劇まで、天才ストーリーテラーが贈る全五篇。ヒューゴー賞ネビュラ賞ほか全十二冠に輝く無敵の短篇集。


          


ハヤカワさんの新刊に便乗というわけでもないのだろうが、河出書房のコニー・ウィリス「奇想コレクション」が文庫化された。歴史物大長篇のイメージがあるコニー・ウィリスだが、本作は80〜90年代に多くのSF賞に輝いた中・短篇五作を収録している。
いずれも未来社会が舞台ではあるものの、電子デバイスやロボットによって進化した世界ではなく、法や制度と人々の意識が現在と違った社会を描き出している。それはウィリスお得意の現代人を過去の災厄のまっただ中に放りこむのと逆の時間軸を使っているだけのようにも思える。
どの作品もそこに描かれている未来が今とどう変わっているかの設定説明はなく、SFであることを意識させない。小さな事件を重ねて少しずつ状況を明らかにしながら、ウィットに富んだ会話で物語をぐんぐん運んでいく手腕はさすがだ。

 「でも、きみはまだ彼と出会っていない」 彼はもう当惑していないし、不安でもなかった。「それにぼくもまだきみと出会っていない。でも、いずれ出会うことになる。約二十年後に」


フェミニズムを題材にした冒頭の「女王様でも」にまず驚かされる。女性が生理の苦痛から〈解放〉された時代らしく、ノーマルな‘自然体’は圧倒的少数派の変わり者と見なされている。その少数派のカルト集団に入信しようとする娘を心配して、一族の女たちが喫茶店に集まって家族会議を開く。ただそれだけなのだが、三代の女性たちの会話に飛び交う(あけすけな)発言が形骸的な男女同権や男性至上主義のみならず、過去の遺物として女性解放論者をも痛烈に皮肉っていて、笑っていいのかどうかちょっと困る。
タイムアウト」は感情を興奮状態にすることで時間移動が可能になるというユニークなタイムトラベルもの。将来が不安で過去への憧憬や後悔が強い中年男女がその実験に適しているというのに何となく身につまされて納得。そうなると心理戦の様相を呈してきて、ストーリーテラーの本領が発揮されるという仕組みである。子どもたちの間に水疱瘡がはやっていて主人公の二人も罹患するのだが、その方法が(というのも変だが)何ともアクロバティックかつファンタジックだった! 水疱瘡にかかって拍手喝采したくなる小説は他にはない。



異色の宇宙人SF「スパイス・ポグロム」はドタバタ調のコメディ。人口過密な日本製の衛星上で地球人の言葉を理解しているのかいないのかわからないエイリアンの言動に主人公が振り回される。ブレードランナー的に日本文化が取り入れられていて不思議な世界観。ウィリス作品に欠かせないおませな子役もいいアクセントになっている。
表題作「最後のウィネベーゴ」はハイウェイで死んだ一匹のジャッカルをめぐって主人公が追いつめられていく物語。疫病によって犬が絶滅しそうな世界で動物保護団体が警察のような高圧的権力機構と化している。フォトジャーナリストの主人公も愛犬を事故で亡くしていて、彼が取材する現存する最後の一台となったキャンピングカーと犬の絶滅が交錯する。
「からさわぎ」はシェイクスピア作品が権利団体のクレームによって‘不適切’な文言がどんどん削除されていく掌篇。

 獣医が肩に置いた手を振り払い、「世界最後の犬の一頭を殺すのはどんな気分だ?」 と私は怒鳴った。 「ひとつの種の絶滅に貢献するのはどんな気分だ?」


この五篇はそれぞれ独立して互いに無関係の作品だが、人為的にか不可避的にかは別にして「地上最後の」というのがキーワードとしてあったように思う。最後の生身の人間、最後のプラトニックラブ、最後のRV車、最後の古典文学…… ハードではなく人間の側のソフトが変化した未来社会。文明批判の大風呂敷を広げるのではなく、ユーモア混じりに語られる日常生活の中にちくりと刺す風刺の小針が忍ばせてある。さりげなくディストピアの一歩手前が書いてあったようにも感じられる。
炭酸飲料の2リットルボトルや巨大なRV車、シャーリー・テンプルみたいな少女、大学のネーム入りTシャツ。英国へのタイムトラベルものが印象強いコニー・ウィリスがアメリカの女性作家であることを思い出させる作品集でもあったのだが、この人の魅力はその語り口にあることも再認識した。コニー・ウィリス×大森望のコンビは何を読んでも面白いな。