コニー・ウィリス / オールクリア1


『ブラックアウト』(灯火管制)の続篇が刊行された。「オールクリアー(警報解除)」かと表紙タイトルを見ると『オールクリア「1」』、今回は二分冊なのを知らなかった。これで終わると意気込んでいただけに、拍子抜け。完結編は六月の予定とのこと。


先に読んだ『フランス組曲』とほぼ同時期の、ダンケルク撤退直後のイギリス。180度ちがう歴史、180度ちがう小説。



【 コニー・ウィリス / オールクリア1 / 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ (493P) ・ 2013年 4月(130420-0425) 】


ALL CLEAR by Connie Willis 2010
訳:大森望



・内容
 2060年から第二次大戦下のイギリスでの現地調査に送りだされた、オックスフォード大学の史学生三人 ―アメリカ人記者に扮してドーヴァーをめざしたマイク、ロンドンのデパートの売り子となったポリー、郊外にある領主館でメイドをしていたアイリーンことメロピーは、それぞれが未来に帰還するための降下点が使えなくなっていた。このままでは、過去に足止めされてしまう。ロンドンで再会した三人は、別の降下点を使うべく、同時代にいるはずの史学生ジェラルドを捜し出そうとするが……前篇『ブラックアウト』とともにヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞を受賞したウィリスの大作。


          


第二次大戦下の英国へ‘現地調査’に赴いたオックスフォードの史学生三人が1940年のロンドンに閉じこめられてしまう。それぞれが降時してきたネット(タイムトラベル用のゲート)が開かず、元の2060年に戻れなくなってしまったのだ。異常があれば救出に来るはずの回収チームはいつまで待っても現れない。連日ルフトバッフェ(ドイツ空軍)の空爆に晒されているロンドンから三人は無事に帰還できるのか……? 
同時代の英国に来ているはずの他の学生を探したり、回収チームへの伝言をあちこちに残したりと三人はあらゆる方策を講じるのだが報われず、むしろそのせいで新たなトラブルが増大していく、という大筋。
でも、それが首尾良くいかないことは簡単に想像がつく。だって、このあとにもう一冊分の物語が残っているのだから。これはオールクリア「1」、彼らが帰ってしまったらそこで終わりで『オールクリア2』はないはずじゃないか!(…泣笑)

 非常階段に着くと、アイリーンは「ほらほら」と興奮した口調でいって、一冊のペーパーバックをとりだした。「『カレー行き列車の殺人』! 『オリエント急行の殺人』のアメリカ版よ」
 「それ、三行広告が出てくるっていってたやつ?」
 「違うって。そっちはアガサ・クリスティじゃなくてドロシー・セイヤーズ。とにかく、たぶんそれだと思う。もしかしたら、『殺人は広告する』かもしれないけど。とにかく、図書コーナーにはどっちも置いてなかった。でも― 」ともう一冊のペーパーバックをとりだし、「じゃーん。『ABC殺人事件』がありました」


自分たちの行動が戦争の行方に影響を与える齟齬を生んでしまったのではないかと三人が不安がったり、「ネットのずれ」が大きくなっていて回収チームが来ないのではないかと心配しているのだが、それが少々煩わしく、「そうでしょうとも」と読み流すしかない。もちろん本人たちにとっては命がかかっていて、もしかしたら彼らの生死以前に歴史の流れそのものに関わる重大問題(連合軍がドイツに敗れるとか)であるのかもしれないのだが。
三人が取り残された理由がこの物語の重要な鍵なのは理解できるのだが、読む側からすると、そこにはあまり興味が持てない。本来存在しないはずの時代にいる航時者が時代人と一緒に歴史的事象を体験するところにタイムトラベル物の楽しさがあるのに、その意に反して主人公が元の時代に帰ることばかり気にしている小説的な「齟齬」が少々引っかかる。
もしネットが開いたら、三人は悪童アルフとビニーやサー・ゴドフリーたちをほっぽりだしてそそくさと去ってしまうつもりなのかと。



主人公たちともども袋小路に迷いこんでしまったような展開だったが、そこはコニー・ウィリスのこと、魅力的な史実のトリビアが巧みにあちこちに散りばめてあって退屈させない。
マイクはエニグマ暗号を解読する諜報機関ウルトラにいたアラン・チューリングと出会い頭にぶつかり、アガサ・クリスティ・マニアのアイリーンはまだ‘女王’ではなく大戦中もロンドン市内の病院で調剤師として働いていた作家ご本人と遭遇する。ウルトラは数学者ばかりでなくクロスワードパズルやチェスの名人なども技術者として徴用していたという。1940年のクリスマスの夜には全英国民がラジオから流れる‘英国王のスピーチ’に耳を傾けていた。
随所に挿入される磁力あるエピソードが否応なく1940年のロンドンへの興味をかきたてる。『ブラックアウト』から通してみればこの大作の中盤にあたって物語上の大きな進展はない本作を支えているのは、そうした史実の面白さだと言いたくなるほどだ。

 瓦礫の山と化した自宅の下から掘り出されて、レスキュー隊員から、ご主人はいっしょでしたかと訊ねられた老女が、憤懣やるかたない口調で、「いいえ。あの臆病者ときたら、前線に行ってるのよ!」と答えたという。
 それを読んだときは思わず笑ってしまったけれど、いまではまんざら冗談ともいいきれない気がする。いまは英国全土が前線であり、夜ごと地下鉄駅にすわって、木っ端みじんに吹き飛ばされるのを待っているロンドン市民こそが本物の英雄だ。


三人の運命(ストーリーの結末)とは別に、うっすらと見えてくるサイドストーリー、というか隠された伏線がある。それは細やかに愛情をこめて再現される、防空壕や地下鉄駅に集って大空襲を耐えたロンドン市民の日常生活である。もともとポリーはそれを観察するためにこの時代のロンドンにやって来たのだが、現時点での彼女は本来の目的を忘れかけているように見える。
夜半の空襲、いつ飛来するかわからないV2ロケット弾、相次ぐ大火災、食糧難。セント・ポール大聖堂までも焼夷弾に見舞われたというのに、銃後のロンドンっ子はクリスマスにはプレゼントを贈りあい、ひっきりなしに鳴る警報のたびに自宅と避難所の往復を繰りかえす日々に耐え続けた(そういえば『ある小さなスズメの記録』のクレア・キップスさんも市民防空隊の一員だった)。窓ガラスが割れ一部が焼けた百貨店は商品をかき集めて営業を続け、地下鉄はどんなに空襲が激しくても運行を止めなかった。「こんなことならいっそ降伏してしまった方がずっと楽なのに」というマイクの感慨が本当に身に沁みるのは完結篇でのことかもしれないが、日常生活を放棄しなかったロンドン市民がヒトラーを打ち負かしたのだという以上のストーリーはないはずである。宰相チャーチルが語りかけたように、この逆境こそが「英国にとって最も輝かしい時代」であったことが六月刊行の『オールクリア 2』で証明されそうなひしひしとした予感がある。
今度こそ、もやもやが晴れてすべてが明瞭になるはず。