レイ・ブラッドベリ / 刺青の男


「刺青の男」といえば…… (DJ小林克也風に)我が心の友、ザ・ローリング・ストーンズ1981年リリースの名盤 “TATTOO YOU”! ‘スタート・ミー・アップ’から‘友を待つ’までの全11曲、45分はiPod不要、今でも脳内ジュークボックスでフル再生可能である。お仕事中にときどき口が半開きになってぼおっとしてるのは頭の中でこれが鳴ってるからなんです。

LPレコードは2枚、CDは3枚持っている自分にとっての棺桶盤だが、おまけにTシャツまで持っているという…。高校時代に買ったこのシャツは自分が持っている衣類でいちばん古いもので、もはやヴィンテージと言っていいと思う。しかも現役にして必殺の‘勝負服’なのである(何の勝負やら。負けっぱなしの噂もあるし)。 大事にしてきたから目立った傷みもまだない。手に入れた次の日、制服の下にこれを着て登校したときの嬉しさはありありと思い出せるし、今でもこれを着るとストーンズの一員になったような、「刺青の男」になったような気分になれる。三十年近く前のシャツを今でも平気で着られるなんて、、、、 成長してないんですかね? 永遠です、突撃ロック!


          


何十年も着つづけてすっかり自分の体型にフィットし、多量の汗と涙と、それにちょっとばかしの血や鼻水も吸いとって肌にはりつくシャツは、ほとんど刺青みたいなものといえないだろうか。自分のストーンズTシャツもいつか何かを語り出す日が来るかもしれない。まあ、連敗記録更新中にはないだろうけど。
未読だったブラッドベリ先生の「刺青の男」が新装版として登場。こちらの原題は「イラストレイテッド・マン」。



【 レイ・ブラッドベリ / 刺青の男 [新装版] / ハヤカワ文庫SF (434P) ・ 2013年 4月(130417-0420) 】

The Illustrated Man by Ray Bradbury 1951
訳:小笠原豊樹



・内容
 暑い昼下がりにもかかわらず、その男はシャツのボタンを胸元から手首まできっちりとかけていた。彼は、全身に彫った18の刺青を隠していたのだ。夜になり、月光を浴びると刺青の絵は動きだして、18の物語を紡ぎはじめた…。流星群のごとく宇宙空間に投げ出された男たちを描く「万華鏡」、ロケットにとりつかれた父親を息子の目から綴る「ロケット・マン」など、刺青が映しだす18篇を収録した、幻想と詩情に満ちた短篇集。


          


月明かりの下、謎めく男の肌に彫られた刺青が妖しくうごめいて物語を語り始めるという魅惑的な序章に導かれて始まる18の作品集。ブラッドベリ流シェラザードみたいなのを想像していたのだが、中身はまあふつうに何でもありの初期短篇集だった。
とはいえ、1951年のブラッドベリである。『火星年代記』(1950)と『華氏四五一度』(1953)のあいだの、いきなり若きSF王となったブラッドベリなのである。「霧笛」や「荒野」のような名品はないが、汲めども尽きぬイマジネーションの奔流を片っ端から書きとめたという風情の一冊だった。
刺青の男はプロローグとエピローグにしか現れないのだが、この男は誰なんだと考えてみれば、それはもうブラッドベリ自身でしかありえないということになる。いや、この語り手だから、刺青を幻視する男の方がそうか。

 声高な会話に、「耳」が目ざめた。何千年もかすかな風の音、落ちる枯れ葉の音、雪どけの下からのびる若草の音を聞くだけだった。「耳」が、今や自分で自分に油をさし、ぴんと立ち、虫の羽音よりもかすかな侵入者たちの心臓の鼓動の音を、激しいドラムの響きにまで拡大した。


50年代初めという時代を感じさせるのが「亡命者たち」。『華氏四五一度』の思想統制と梵書の未来社会がいちはやく取りあげていて、それを火星につなげてしまう。しかも登場人物はエドガー・アラン・ポーやチャールズ・ディケンズ(の亡霊?)! 遊び心に満ちた意外でユニークな作品だ。
‘火星シリーズ’ともいえそうな『火星年代記』に収まりきらなかったアウトテイクみたいな作品が多い。本書全体からはその火星もののイメージと宇宙時代の終末観がそこはかとなく漂う。
宇宙船操縦士独特の孤独‘地球病’を描く「万華鏡」「ロケットマン」「日付のない夜と朝」。異星での信仰心をテーマにした「その男」と「火の玉」。世界が終わるらしい日の「今夜限り世界が」「街道」。地球を侵攻しに来た火星人が逆に歓待されて、地球の文明病に犯されて死んでいくというアイロニカルな「コンクリート・ミキサー」。
科学理論にとらわれずに、ちょっとしたひらめきを一息に物語に仕立ててしまったような作品が並ぶ。



‘総天然色’時代のアメリカらしい玉手箱のような作品集だけれど、他のより‘マジック’は薄めかな…と感じながら読んでいた。ところが、最後の三篇に目はくぎづけにされた。
まず、「町」。書き出しからして何やらちがう。「町は二万年待った」― 二万年? 二万年も何を……?という不穏なお話は楽しくて、なかなか恐ろしい。人肌に刻まれた呪いの物語として、最もふさわしい読みごたえがあった。
最後から二番目の「ゼロ・アワー」はいかにもアメリカ的な日常の光景が描かれる。広い庭で遊ぶ子どもたちを二階の窓から優しく見つめる母親。やがて、無邪気な子どもの感受性や想像力が親たちを恐怖のどん底に突き落とす。親が知らない子どもたちだけのネットワークがあるというアンファン・テリブルのホラー風味が異色の作品だった。

 月が出ていた。ロケットは白い巨体を金屑置き場に横たえていた。白い月光と、青い星の光。ポドーニは惚れぼれとロケットを見つめた。撫でたり、さすったり、頬を押しつけたりしたいくらいだ。心のたけを打ち明けたいような気持ち。
 ポドーニはロケットを凝視しながら言った。 「お前はわたしのものだ。お前が動けなくても、火を噴かなくても、そこに横たわったまま錆びついてしまっても、やっぱりわたしのものだ」


そして、ラストの「ロケット」は小躍りしたくなるような一品だった。でもこれはSFじゃないですよね? ほろりとさせるふつうにしみじみと‘いい話’で、どっちかというと『たんぽぽのお酒』系というか。でも、やっぱりブラッドベリとしかいいようがないお話で、その詩情豊かな語りには「いやはや!」とため息をつくしかないのだった。
宇宙旅行に憧れていた一家にやっと一人分の切符を買えるだけの貯金ができた。誰が行くか、くじ引きで決めようという話になる。でも、妻も子どもたちもみんなが遠慮してその話は立ち消えになる。そこで金屑置場で働く父親は一計を案じる……  それでいいじゃないかという話で、これまでさんざん火星だ金星だといってきたのに最後にそれはないんじゃないのと思うのだが、終わりよければすべて良し。ブラッドベリって、実際に宇宙を飛ぶことよりも、自宅の庭から眺める夜空を行き交うロケットや流星により強くロマンを感じていたんだなと思う。「ロケット」、名作リストに追加決定。

「新装版」なので表紙カバーが新しく変わってはいるが、解説は1976年の旧版のままなのが残念。昨年亡くなった巨匠について新しい解説を附してほしかった。