F.ブレイディ / 天才ボビー・フィッシャーの生涯


【 フランク・ブレイディ / 完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯 / 文藝春秋 (528P) ・ 2013年 2月(130504-0510) 】


END GAME Bobby Fischer's Remarkable Rise and Fall by Frank Brady 2011
訳:佐藤耕士



・内容
 クイーンを捨て駒サクリファイス)とする大胆華麗な「世紀の一局」を13歳で達成。チェス対決が知の代理戦争だった冷戦下、ソ連を破りアメリカ人初の世界チャンピオンとなった天才ボビー・フィッシャー。二十世紀における最高の知性のひとりと讃えられた彼はその後、20年にもわたり表舞台から姿を消す。激しい奇行、ホームレス寸前の日々。アメリカの神童は、なぜ狂気の淵へと転落したのか。少年時代からフィッシャーと親交を結んだ著者が、KGBやFBIのファイルを発掘して著した空前絶後の評伝。


          


チェスの達人、ボビー・フィッシャー(1943−2008)の破滅的人生。輝かしい栄光の日々は64年の生涯の前半、29歳で世界チャンピオンになった絶頂期に閉じられた。三年後、防衛戦を棄権して世界王者の称号を放棄。その後、表舞台から姿を消した彼が再びチェス・プレーヤーとして公の場に現れたのはわずかに一度きりだった。
では、残りの三十余年を彼はどう過ごしていたのか。少年期からチェス一色の生活を送って頂点を極めた彼は、晩年までほとんど何もしていなかったのである。元チェス王者としての公的活動も、それに付随する諸々の活動も拒んで放浪生活を送ったのだった。一時の栄光に溺れ、酒やギャンブルに浸っていたわけではない。むしろ自分が得た栄誉と名声を傷つけるような発言を繰りかえし、チェス界からも見放されていったのだった。

 「向こうがその手を指すとしたら……こっちは向こうのビショップをブロックできる」 フィッシャーはかろうじて聞こえる程度の小声でそういうと、いきなり声をあげて叫んだ。「だからその手は指せない」
 おかげで客の何人かが、フィッシャーをじっとにらみつけるほどだった。
 時間を忘れるその瞬間、私は天才の目の前にいることを知って、静かに涙を流し始めた。


フィッシャーの実人生がそうであったように、本書は天才プレーヤーとしての前半と、チェスを離れて人目を避ける隠遁生活に入った後半の二部に分けられる。
短気で落ち着きがなく、学校生活になじめない少年がチェスというボードゲームを知ったのは七歳のときだった。地元ブルックリンのチェスクラブに通い始めると、またたく間に頭角を表し、最年少の全米ジュニアチャンピオンに。グランド・マスターと呼ばれる最高位の大人のプレーヤーをも翻弄し、「天才」の呼び名をほしいままにして全米チャンピオンの座に昇りつめる。
天才を自負し、自分こそが世界チャンピオンだと豪語する彼の自尊心が初めて傷ついたのはソ連のプレーヤーたちとの対戦だった。ロシア語を覚えてしまうほどソヴィエトの名人たちの棋譜を研究してきたフィッシャーは、純粋にソ連人との対戦を熱望していたのだが、事はそう簡単に運ばれなかった。



マックス・エーヴェ、ホセ・カパブランカ、アレクサンドル・アリョーヒンらチェス名人の名前くらいは聞いたことがあるが、実際にはなじみのないチェスの世界。
二十世紀のチェス界を牛耳っていた二大勢力は、ソヴィエトを中心とする東欧共産圏と、もう一つがユダヤ人勢力だった。1972年にフィッシャーがボリス・スパスキーを破るまで世界タイトルはソ連のプレーヤーが四十年以上も独占していた。ソ連はチェスを国策として支援していて、冷戦下にアメリカ人に敗れることを(たとえチェスの一局でも!)国益を損なうこととして何よりも嫌っていた。
十代で全米王者になったフィッシャーがタイトルに挑戦できたのは29歳のときだった。「小さな冷戦」として注目を集めたように、フィッシャーとソ連選手の対局には常に当時の東西対立の政情が重ねられた。キューバ危機、ロケット競争、モスクワ五輪ボイコット。もしもそのような時代環境でなければフィッシャーはもっと早く世界チャンピオンになり、防衛を重ねて偉大なチェス選手としての生涯をまっとうできたのかもしれない。だが、そうはならなかった。
少年の脳に刻まれた小さな傷は成長とともに大きくなっていったのか、フィッシャーのソ連への嫌悪感はやがて敵対感情に変わっていった。

 「世界一チェスの上手な方ですね。私は世界一チェスの下手な人間です」
 キッシンジャーはフィッシャーに、アイスランドへ行って、ロシア人を彼らのゲームで叩きのめすべきだと告げた。
 「アメリカ合衆国はきみの活躍を願っているし、私もきみの活躍を願っています」
 この十分程度の電話のあと、フィッシャーは「なにがあろうと」世界選手権をしに行く、アメリカ合衆国の利益は自分の個人的利益よりも大きい、といった。このときまさにフィッシャーは、自分をただのチェスプレイヤーではなく、祖国を守る冷戦の戦士とみなしていたのだ。


不可解なのは彼自身がユダヤアメリカ人なのに、引退後の彼が反共・反ソではなく反ユダヤ、反米主義を広言してはばからなかったことだ。ホロコーストなんてなかったと言い放ち、2001年の9.11テロを称賛してアメリカがなくなるのを見たいなどと不謹慎な発言をして批難を浴びたのだが、しかし実際に彼は具体的にどこかの政治組織に関わったり思想運動をしたわけではなかった。
盤上で発揮された天才も、番外の欠陥も同じ脳の働きによるものなのだろうか。抜群の記憶力と分析能力、集中力。自分の権利への異常なまでの執着。被害妄想。教養の欠如。フィッシャーには多動性障がいがあって、ある意味で‘サヴァン’だったというコメントも紹介されているのだが、真実はわからない。
これはアメリカ人ならではの物語だとも感じた。長い歴史に育まれたヨーロッパの芸術文化をアメリカの環境で模倣することの齟齬がフィッシャーという突然変異的天才の人格に表れたのではないか(第一回チャイコフスキーコンクールで優勝したピアニストがニューヨークで凱旋パレードしたように、芸術そのもの以外の要素がアメリカの文化にはいつでも含まれている)。
三者には悲劇的に映る彼の人生だが、おそらく彼自身は自分が失ったもの、自分に欠けているものに最後まで気づいていなかった。それは幸福なことだったのか不幸なことなのか、判然としないのだが、しかし、こういう人間もいるのだと強引にでも納得するしかない。