岩城けい / さようなら、オレンジ

岩城けい / さようなら、オレンジ / 筑摩書房 (176P) ・ 2013年 8月 (131011-1014) 】



・内容
 オーストラリアの田舎町に流れてきたアフリカ難民サリマは、夫に逃げられ、精肉作業場で働きつつ二人の息子を育てている。母語の読み書きすらままならない彼女は、職業訓練学校で英語を学びはじめる。そこには、自分の夢をなかばあきらめ夫について渡豪した日本人女性「ハリネズミ」との出会いが待っていた。第29回太宰治賞受賞作。


          


オーストラリアの小さな町を舞台に、アフリカからやって来た「サリマ」という女性について語る三人称パートと、同じ町に暮らす日本人女性「わたし」が恩師に宛てて書いた近況報告が交互に現れる。
はじめ、オーストラリアとアフリカ人という組み合わせにどういう話なのか半信半疑で読み始めたのだが、すぐに不安は解消された。いかにも筑摩の文芸書という感じの文体と語り口。本文そのものは短いものの、一つの章を読み終えるとしばらく本を置いて、いま読んだ場面を、聞こえてきた声を、頭の中でもう一度再生してみるのだった。

サリマがオーストラリアにやって来た理由には触れられない。スーダンだかソマリアだかの戦禍を逃れて祖国を捨てて来たらしいことがほのめかされるだけで、直接体験は避けられている。主人公の由来が語られないのはどうしたことかと思ったのだが、彼女にはそれを語るだけの言語力がないのだった。

 あたしはこの言葉で彼に与え、彼のために闘う。そして数日後には、この子たちのためと唱え続けて頑張った自分を死なせて次の日を生きる。それだけは唯一どこへいっても変わらない、おひさまを見るために。その生まれかわりが痛みをともなうものかどうか、何もわからず恐怖で震えだしそうだ。そんな自分をやり過ごして、背後の影に語りかける。氷のイタンジを溶かす火のようなオレンジ色を必ず手にいれよう、と。


スーパーで働き始めた彼女と日本人女性が知り合ったのは町の英語学校だった。母語が通用しない国で生きていくことを選んだアフリカ人とアジア人。英語を母語としないために差別されていると感じていた二人は次第に心を通わせあうようになっていく。
とはいえ、日本人の「ハリネズミ」の方は(黒い直毛の、外見も態度も平板なその女性をサリマはそう名づける)高学歴で日常生活に支障がないだけの英語力はある。大学の研究職にある夫についてオーストラリアに渡ったハリネズミは、育児のかたわら第二言語での創作にも意欲を燃やしていたのだった。
サリマに比べればハリネズミは経済的にもはるかに恵まれた環境にいて、同じよそ者とはいえ、ほとんど文盲に近いサリマに対して(無意識の)優越感がある。その見えない溝が埋められていく。サリマの日常生活の出来事を、「わたし」が恩師への手紙の中でフォローしていくという調子で全体の物語は進行していく。



慣れない外国で生活するうえで直面する言葉の壁。見た目や人種民族の差別以外に言語の階級差別があることが、非英語圏のマイノリティであることを二人はそれぞれに痛感させられる。日本で日本語だけを使って生きている者には気づくことのできない、話す、聞く、読む、書く、の「言葉」についての考察は、オーストラリア在住の著者ならではの実感なのだろう。
第一言語の日本語と第二言語の英語。著者を映す「わたし」はハンデを克服して英語で小説を書こうとしているのだが思うようにはかどらず、その悩みを相談できるのは恩師のジョーンズ先生だけだった。
この物語のもう一つの核心は、女性のマイノリティ性である。夫の仕事の都合に振り回され、不慣れな土地で育児に忙殺されながら、それでも自分のやりたいことをあきらめきれない「わたし」。内戦で家族を失い、シングルマザーとなって異国で生きていかざるをえないサリマ。女性であるがゆえに強いられる犠牲についてもまた、著者の実体験にもとづいたものだろう。

 でも、先生、私はあれほど読む人に迫る強烈な文章を読んだことがありません。技術に頼らず、こんなに大きな声が出せるのかと目が覚める思いでした。なんだか、胸がざわめき、いても立ってもいられない気分にさせるのです。この人はひょっとしたらすごい人かもしれないと痺れたようになって、思わず彼女の顔を振り返ったのですが、そこにあったのは見慣れた友人の顔でした。


しかし、重いテーマを扱っていながら、「わたしとサリマ」の物語は小さな名場面の連続だ。大らかなイタリア婦人も加わって、アジアとアフリカと欧州のちょっとした文化的縮図のようになるのは出来すぎのような気もするが、言葉とマイノリティの問題が友情と信頼の物語へと変わっていく。
自分が特に好きなのは、ある発表をすることになったサリマのためにハリネズミが図書館で集めた資料をまとめる場面。コピーの束を手際よく分類して、整理した書類のポイントをマーカーで囲んでいく。すばしっこいハリネズミの手指の動きに目を丸くするサリマ。ここはハリネズミが日本人代表に変わる瞬間でもあった。
恩師への手紙は文字に記されたもののはずだが、実際には話し言葉が使われていて、その語り口は平静を装った告白のようでもある。大声で主張しているのではないから耳をそばだてないでいられない。書簡の平板な文章の中に火を噴くような感情が隠されているのを感じて、何度もため息をつかされたのだった。
最後に「わたし」と「サリマ」の関係が打ち明けられるのだが、個人的にはこれはなくても良かったと思う。懸命に生きる二人の息づかいまで伝わってきたのだから、それで十分だろう。

今年のノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローさんは「短篇の女王」と呼ばれるが、彼女は職業作家に専念できず主婦業をこなしながら創作をしていたという。長篇を書くゆとりがなく、短篇ばかり書いていたがゆえの「女王」の称号。本作の「わたし」もこのニュースに励まされたのではないか。本年ベストの一冊。