レイ・ブラッドベリ / 黒いカーニバル

【 レイ・ブラッドベリ / 黒いカーニバル [新装版] / ハヤカワ文庫SF (407P) ・ 2013年 9月 (131006-1010) 】


訳:伊藤典夫


・内容
 ブラッドベリの幻の作品集として名高い処女短篇集『黒いカーニバル』から精選した作品にウィアード・テールズなどのパルプ雑誌に発表された作品を加えた初期傑作選。深夜のカーニバルで、団長が乗った観覧車がくるくる逆まわりするたびに奇怪なことが起こる「黒い観覧車」、かつての想い人である少女を失った湖を男が婚約者とともに再び訪れる「みずうみ」など、叙情SFの名手が贈る恐怖と幻想にあふれた24篇の物語。


          


『皆勤の徒』に四苦八苦、急性文字中毒症(あるいは睡魔)で朦朧としてくると気分転換に使ったこの本。まるで絵本みたいで目覚まし効果抜群、なんて読みやすいんだろう!と毎回感激した。途方もない異界からおなじみの異世界へ、というわけだ。
今回のブラッドベリ新装版は処女短篇集『Dark Carnival』(1947)の日本再編集版。パルプ誌に掲載された作家最初期の掌篇ばかり二十四本を集めた作品集。まだ二十代の、『火星年代記』以前の無名だったブラッドベリ。「ウィアード・テールズ」というのは現在でいえばB級の怪奇小説雑誌だったらしく、ここに収められているのもSFというよりは幻想怪奇的な作品が多い。ほんの数ページの習作みたいなものもあるし、ほとんどがショート・ショート風の「世にも怪奇な物語」めく短篇だ。いわゆる名作、傑作と呼ばれる類の作品はないかもしれないが、いかにもブラッドベリらしい抒情と跳躍を楽しめる。

 彼女は犬なのだ。それは、二つの異なる体を結びつけるテレパシーではない。それは、肉体という一つの環境からの完全な離脱なのだ。彼女は犬になり、男になり、老婆になり、鳥になり、石蹴り遊びをする子供になり、朝のベッドにいる恋人たちになり、汗を流しながら穴を掘る労働者になり、ピンクの夢のような思考をする、まだ生まれていない赤子になる。
 今日はどこへ行こう? 彼女は心を決め、そこへむかった!


巻頭を飾る表題作「黒い観覧車」は、逆回転するごとに一歳ずつ若返る魔法を観覧車にかける。続く「詩」は‘完全すぎる詩’を書いてしまった詩人がもたらす悲劇。さらに「旅人」「墓石」「青い壜」と好篇が続いて一気読み。中後期の短篇の中には時に筆の鈍りを感じさせるものもあるが、ここにいる若きブラッドベリの筆勢にはいささかの迷いもなく、明快さが心地よい。
雑誌掲載が前提だったので紙数や締切の制約があったためか、モチーフは違えど各話の総体的な印象は似ている。シンプルにひねりは一回だけ、古き佳きアメリカののどかで陽気なムードを最後に魔法の杖の一振りで暗転させる。そのイメージの冴え具合は後に発表されるいくつもの名篇たちと変わりはないのだった。



特に気に入ったのは「刺青の男」。同名の作品集があるので、おや?と思ったのだが、こちらも原題は同じ「The Illustrated Man」と名づけられている。短篇集の方は男の肌に怪しくうごめく刺青が物語を語り出すという幻想的な仕掛けが表題になっていたのだが、本作は文字どおりにサーカスの舞台で初めて披露される刺青の絵が恐ろしい現実を予告するという内容。
見せ物小屋の男の背に刻みこまれた刺青が現実とイメージ世界の媒介を果たすというモチーフはブラッドベリお得意の手法で、どんなものでもあちらとこちらをつなぐ回路にしてしまう。がんじがらめの現実に辟易としている身には、この身近なトリップ感がたまらない。見慣れた世界、見飽きた現実からするりと連れ出してくれるブラッドベリの魔術に惑わされる喜びをこの作品でも大いに味わったのだった。

 「これがおまえのいう、かわいい無邪気な子供だよ、しつけのいいチビのファシストどもだ。この子がもう一度ここにいるのを見たら、そのときのことは考えておくんだな。行こう、ジム。さあ坊主ども、元のところへもどれ!」
 「ぼくら、なんにもしないよ」 子供たちがいった。
 「いったい何という世の中だ?」 アンダーヒル氏は宇宙に問いかけた。


ブラッドベリの下積み期、修業時代の作品集ではあるのだが、作家志望の青年が修業していたのは小説作法だけではない。魔法のかけ方、使い方なのである。その意味ではこれはホグワーツ日本分校のテキストともなりうる一冊である。
火星年代記』に入っていてもおかしくはなさそうな‘火星もの’もいくつか収められているけれど、不思議とSF色は薄い。将来SFの巨人として知られるようになる彼だが、その原点にあるのは日常生活をいつもとは違った目線でとらえる想像力だ。片足はつねに地球、故郷イリノイ州の小さな町に置かれたままだった。それは必ずしも科学的ではないが、逆に非科学的だからこそ初めて語れる物語を創る能力を非凡さなものに成長させたのである。そして、やがてもう片方の足の置き場所としてSFの宇宙を見つけるのである。
翻訳は浜松出身のSFマニア、「原書集め5000冊」の伊藤典夫さん。ときに子どもの生態を愛らしくも残酷な小鬼のごとく描くのはブラッドベリの特長の一つだが、特に子どもの描写を生き生きとした日本語に置きかえているのが出色。全体的に寓話っぽい語り口に統一されていて怪談風に傾けていないところはさすが。これは出版社に頼らず自力でアメリカの古本を買い集めて知られざるブラッドベリを探した日本のSF者の情熱の成果でもある。