酉島伝法 / 皆勤の徒


今年最もてこずった一冊。つくづく自分にはハードSF脳がないのを思い知った。



【 酉島伝法 / 皆勤の徒 / 創元日本SF叢書 (344P) ・ 2013年 8月 (130926-1008) 】



・内容
 百メートルの巨大な鉄柱が支える小さな甲板の上に、“会社”は建っていた。語り手はそこで日々、異様な有機生命体を素材に商品を手作りする。雇用主である社長は“人間”と呼ばれる不定形の大型生物だ。甲板上と、それを取り巻く泥土の海だけが語り手の世界であり、そして日々の勤めは平穏ではない― 第二回創元SF短編賞受賞の表題作にはじまる全四編。連作を経るうちに、驚くべき遠未来世界が読者の前に立ち現れる。現代SFの到達点にして、世界水準の傑作。


          


自分の場合、どんなに難解だったり苦手意識がある本でも、だいたい50ページ我慢できれば完走する自信はある。つまずいたり立ち止まったりしながら、おおよそ一週間ぐらいかけて一冊読めれば良しとするペースの読書生活を送っているわけだが、しかし本書、昨年の宮内悠介『盤上の夜』に続く創元SF短編賞受賞作は……
これが想像以上の難物だった。初日、十ページ。何が書いてあるのかさっぱりわからない。二日目もやっと十数ページ。三日目以降もせいぜい二十ページが限界。この調子だと一週間どころかまるまる一ヶ月かかりそうで困ってしまった。読むべきか、読まざるべきか。飛びこみで‘教科書シリーズ’とかやってしまったせいで、たださえ狂ってしまったこの秋の読書計画。早く読まれたがっている本はたくさんあるのに、これ一冊になお拘泥すべきか否か。



というわけで、これは感想ではなく、自分がいかに『皆勤の徒』に苦戦したかの体験記みたいなものになる。
二週間がかりでいちおう完読したとはいえ、大雑把なストーリーすらろくにわかってないのである。四篇それぞれに年代の違う未来記なのだが、いつ、どこで、という基本情報からして最後まで不明。登場人物さえ、多足で体節があって触角があって、「噂を肘にする」とか「肘なれない物音」とか耳がどこか変な所にあるらしく、われわれが知っているような「人物」なのかどうかも怪しいのである。
それに、造語と当て字のオンパレードの、日本語だけど日本語じゃないみたいな、オリジナルの固有名詞と漢字率の高いこの文体。霊重類、死願者、言媒殻、南無絡繰、百々似、非再生知性、瞑勃。これら単語の説明はなく、一行ごとに(あるいは一語ごとに)停止を余儀なくされる。巨大な?がずっと点滅しっぱなしで、それでも読んでいけば何かヒントがあるかも、おぼろげにも世界観が見えてくるかもという微かな希望は幻だった。

 惑星の仔に此の地を開け渡したいまも、社長はやはり待ち続けていたし、次の従業者も働き続けていた。外回りは羹土の地平から一掃されたが、出立した恒星間航行機の内部、多数の教区を統合した〈世界〉では、人々が大塵禍に脅かされて外回りへの兌換を、終わりなき回帰の蜷局を巻き始めていた。


だんだんぼやけてくる文字列を眺めながら、いったいこの著者の脳内辞書と言語変換装置はどうなっているのだろうと訝しんでみたくなる。しかし、この唯一無比の言語感覚がけして奇を衒った一朝一夕のものでないのは想像に難くない。ふだんから文字と言葉をこねくり回し、くっつけたり剥がしたり、押しつぶしたり歪めたりしては独自蒐集した創作単語の字典が、ここに収められた四篇にさきがけて完成されていたはずだ。
使い慣れた日常言語と氾濫する横文字を遮断して、画数の多い角張った漢字熟語を駆使して縦書きで未来世界を禍々しくデザインする。内容はともかく、と但し書きをつけねばならないのは心苦しいのだが、無謀とも思われるその気が遠くなりそうな試みにはどこか共感する部分もあったのである。
異様な集中力を維持して、異様な熱量を注入して異界の物語を紡ぐには、どこかで現実と常識から逃亡して自身を孤独な冥宮にさすらわせなければならない。その完全孤独な作業に耐えて達成された本作を支えているのは強靱なSF精神だということだけは自分にもわかった。



内容をまったく理解できないまま最後まで読んだのは、それでもそれなりの楽しさがあったからにちがいない。ひとことで言ってしまえば、よくもまあこんな変態的文章を書いたものだという感嘆に尽きるのだが。ストーリーも世界観もわからず(途中からはわかろうともせず)読むのが正しい態度かどうか知らないが、それもSFだからこそ、ということで。
ジミ・ヘンドリクスの数々の逸話の中で、彼はSFしか読まなかったという話が好きだ。ジミヘンが名作文学を読んでいたといったらウソっぽいが、SFだったら(たとえチープなスペースオペラだったとしても)なんとなく納得できる。ジミもきっとこういうのが好きだったのではないかと想像する。ひと昔前なら香ぐわしい薬物の力を借りてこういうアートが作られたのだろうが、恐ろしいのはこれが素面で書かれていることだ。
遠未来の異界、ここには「人間」の感情らしきものは書かれていないのだが、かといって必ずしも無機的というのでもない。その世界に生きてみなければわからないことだってあるだろう。著者はこの現実社会と空想の世界を往還してこの物語を書いたのだが、そこに読み手の存在は想定されていない。その姿勢も好ましい。
上手く説明できないし、しょせんは他人の想像力の爆発にすぎないのだから説明しようとも思わない。宇宙にまたたく無数の星の一つにすぎない。誰にもオススメできない一冊として胸にしまっておく。