ジョージ・オーウェル、開高 健 / 動物農場


偶然の成り行きだが、これで今年『すばらしき新世界』と『ユートピアだより』と『動物農場』と、ある流れの作品を読んだことになる。



【 ジョージ・オーウェル、開高 健 / 動物農場・付「G・オーウェルをめぐって」 / ちくま文庫 (276P) ・ 2013年 9月 (130926-0929) 】


ANIMAL FARM by George Orwell 1945

訳:開高 健



・内容
 飲んだくれの農場主を追い出して理想の共和国を築いた動物たちだが、豚の独裁者に篭絡され、やがては恐怖政治に取り込まれていく。自らもスペイン内戦に参加し、ファシズム共産主義にヨーロッパが席巻されるさまを身近に見聞した経験をもとに、全体主義を生み出す人間の病理を鋭く描き出した寓話小説の傑作。巻末に開高健の論考「談話・一九八四年・オーウェル」「オセアニア周遊紀行」「権力と作家」を併録する。


          


数年前に古本屋で遭遇したことがあったものの、けっこうな値が付けられていたために買い逃した開高健の『今日は昨日の明日』(筑摩書房1984年)。作家にしては珍しい、「動物農場」翻訳とジョージ・オーウェルについて語った文章からなる幻の本だったのだが、今回ちくま文庫で待望の復刊を果たした。
巨匠が英文学の名作を翻訳ということで、『ユートピアだより』の川端康雄氏の訳による『動物農場』(岩波文庫、2009年)を並べて読み比べてみたのだが…… 特に開高流であるはずがなく、まあ、ふつうに動物農場だった。ただし、「G.オーウェルをめぐって」と題して併録されている随想三篇は、まさしく、そしてさすがに開高健そのものの文章で、『1984年』も読み直そうか、『象を撃つ』と『カタロニア賛歌』も読まねばという気にさせられた。
ちくまと岩波のこの二冊、『動物農場』本篇はもちろんだが、それぞれに附された資料(開高版は開高健オーウェルに関するテキスト、川端版は本篇には収められなかった序文二本と訳者解説)も必読の内容となっている。

 そういう歴史と登場人物たちを読んだあとでこの作品を読みなおしてみると、作者の配慮の周到さに感心させられるのである。そしてブタやネコやロバが人間の言動をしつつもあくまでブタでありネコでありロバである行動にでることから生じるおかしみ、生彩あるイメージとユーモアに、しばらく和むこともできる。それがあまりに巧みで透明であるため、またしても人間は楽園を追放されたのだというきびしい知恵の悲しみを、それに浸されていながら、うっかり忘れてしまいそうになる。


これは作家1984年の仕事。80年代はじめ、『もっと遠く!』『オーパ』と精力的に釣り紀行を書いていた彼が、どうしてオーウェルについての一冊をつくったのか。
年が「1984年」になって筑摩書房の編集者の提案で、というようなことはチラリと書いてあったけれど、自ら翻訳まで手がける気になった心境までは書かれていなかった。(全部読んでいるわけではないが)これまでにいくつも読んできた彼の書評や文学エッセイの中に、オーウェルの名前は出てこなかったと思う。後にも先にも開高健が一人の作家だけを取りあげて一冊にしたのはこれだけである。
スペイン内戦に参加し(オーウェルは妻とともに人民戦線義勇軍に加わり、重傷を負って帰国した)、その経験をもとに『動物農場』を書き、またその後、喀血しながら『1984年』を書き上げて46歳の若さで死去した英国人作家に対する異例のはからい。自らの死の五年前、このとき開高健は何を考えていたのかを想像してしまう。



豚の宣伝係スクィーラーの詭弁ぶりが今の官房長官にそっくりだという意外、『動物農場』についての自分の感想はない。開高健が本書で指摘していることと、川端氏が岩波文庫に付した詳説を読んでしまえば、他に何もいうことはない。作家が同業者として見つめたオーウェルと、英文学者が研究した社会主義者でもあったオーウェル。いわば‘情と知’両面から、日本では「反共作家」としか紹介されない作家の実像を教えられる。
「完璧であることが唯一の欠点というしかない傑作」と開高は評し、「革命」と名がつくあらゆる事象がたどる命運を正確になぞっていると書いている。
しかし川端氏の解説には、『動物農場』が当時の国際情勢下で四社から出版を断られたエピソードが詳しく紹介されている。第二次大戦末期、英国内には頼りになる同盟国としてソビエトに対する好意的な感情が強く、寓話とはいえ、すぐにソビエト批判とわかる作品は受け入れられがたい状況であったという。オーウェル自身もそれを十分自覚して、自費出版も検討していた。つまり、オーウェルソ連の革命を頭に『動物農場』を書いたのであり、はっきりとナポレオンはスターリンでありスノーボールはトロッキーだったのである。
また、原題にあるサブタイトル「おとぎばなし(A Fairly Story)」についての解説も文学者ならではのとても興味深いものだった。

 今世紀の作家としてはオーウェルは稀有に背骨が太く、“痛切”のテーマと感情を訴える人だったと思われる。しかし、ユーモアや、澄明、簡潔などの心と言葉の作法はわきまえていたし、語って説かずの態度も保持していた。長篇、短篇、エッセイ、それぞれに味わいの変化がある。しかし、つねに『自由か、あらずんば死か』の覚悟をしたたかに下腹につめてペンをはこぶ気風と気迫が電流のように紙から伝わってくるのが、魅力だった。


動物農場』は独裁とファシズムを風刺したわかりやすい政治的寓話だが、わかりやすいがゆえに、白か黒か、右か左かを即断してはヒステリックに騒ぎ立てる日本人の全体主義的な心性には、自分たちとは無関係な「反共」作品以上のものに映らなかった。
(たとえば1980年のモスクワ五輪は米国、日本をはじめ西側諸国がこぞってボイコットした大会と一般的には思われているが、実際にはイギリスやフランス、イタリアなどは参加していた)
60年代にアウシュビッツを訪れ、アイヒマン裁判を傍聴し、プラハの春を見に行き、サルトルに会いに行き、ベトナムに従軍してまで何かを埋めようと世界を放浪した戦後焼け跡派の日本人作家にとって、オーウェルの作品と人生は衝撃だったのかもしれない(「オーウェル波」なんて語を使っている)。内へ内へと沈潜して自己との密話にふけるばかりの日本の私小説家たちに異を唱え続けた彼には、民主的社会主義思想に挺身し殉じたオーウェルは眩い羨望であり、また、いささか苦い自戒と後悔の念も想起させる作家であったのかもしれない。


動物農場』は英語教科書にも一部抜粋されて載っていたが、自分が原作をしっかり読んだのは学生時代、ピンク・フロイドの『アニマルズ』を聞きながらだった。