立松和平 / 毒 風聞・田中正造


立松和平 / 毒 風聞・田中正造 / 東京書籍(313P)・1997年(140824−827) 】


・内容
 足尾銅山鉱毒によって破壊された谷中村。その被害に真正面に対峙した田中正造渡良瀬川に棲むナマズやカエル等、小動物の目を通して重層的に描く〈闇〉の日本。立松文学の新たな出発を告知する名作。


     


今年初めに城山三郎『辛酸 田中正造足尾鉱毒事件』(角川文庫)を読んだときに、一緒に読もうと計画していた本。品切か絶版なのか河出文庫版も入手できず、古本屋も回ってみたのだが見つけられないのであきらめていた。(このごろは書店で立松和平の名前を見かけなくなっている) ところが近くの図書館にあったという…
『辛酸』は1960年代に発表された実録小説で、谷中村救済に東奔西走する田中正造の姿を克明に再現する城山三郎らしいドキュメントタッチの作品。まだ水俣病も公式認定されていない「公害」の概念が社会になかった時代、一つの村が足尾銅山鉱毒被害と渡良瀬川の氾濫放置により水没した(させられた)公害事件をあらためて世に知らしめた重要な作品だった。
さて、その三十年後に同じ題材に取り組んだ立松和平はどのように仕立てているか。

主人があくまで銅山の操業停止そのものを執拗に叫び続けたことには理由がある。鉱毒の染みた麦や野菜や、鉱毒を体内で濃縮させた魚や鳥を食べた人たちは、目が見えなくなっていたのだ。土のように黒く、紙を丸めたように皺だらけで小さく縮んでいて、目が爛れた赤ん坊が、女たちから生まれてきた。そんな子どもは生きていくことができないと、生まれ落ちるや水に沈められたのだった。そのような子が生まれる村から嫁はとれないと噂が立つのが恐ろしかったので、村人は苦しみに耐えて一切口をつぐんでいた。主人はそのことだけはどんな善意の支持者にも語ったことはない。泥のように沈黙しているしかないのである。


これが意表をついて、章ごとに渡良瀬川に棲む生き物、飢饉に苦しむ農民や日露戦争に出征していく若者、それに正造の頭髪にとりついた生き物と語り手が変わるユニークな作品だった。正造の人物像と谷中村の窮状を描きつつ、住民とともに村の変遷を見つづけてきた生き物が今の世を嘆き社会を風刺する。事実に基づいているとはいえ城山作品とは180度ちがう凝った設定で、ナマズとカエルの会話で始まる冒頭こそあっけにとられたものの、文章の向こうに著者の肉声が思い出されてきて、その世界にのめりこんだのだった。  
随所に挿入されている民話が効果的で、それらの伝承がまたその土地の風土を形づくってきたことを知らされる。一つの共同体が消滅するということは、ただその土地から人と家がなくなるだけではなく、代々伝わってきた文化をも消失してしまう。土に染みこみ川に漂い風に舞っていた魂をも葬り去ってしまう。同じ場所に住みつづけてきた者たちの記憶の中だけに宿した風景は、一度絶たれてしまえばもう取り返しようがない。しかし、そこにあった微かなぬくもりの痕跡を立松の筆は残そうとする。


曾祖父が足尾で働いていたという立松和平は宇都宮に住んだ二十代の頃から足尾問題に注目し、はげ山になった足尾山に植林活動をしながら、いつかこれを作品化するのをライフワークとしていたという。
足尾鉱毒事件は1907年(明治40)に住民の抗議を無視した谷中村の「強制破壊」によって強引に幕が引かれたのだが、年表上のたった四文字で片づけることのできない辛酸惨苦をまざまざと思い知らされる。生活の糧だった渡良瀬川の水が毒で汚染される。人体を蝕まれた農民はさらに作物不況とたびかさなる洪水被害に苦しめられる。始めから終わりまで村の光景は水また水で、降りしきる雨と暴れる川と堤防の決壊と水没した田畑が執拗に描写され、登場人物たちは常に濡れねずみである。
ちょうど集中豪雨による浸水と土砂災害が各地で続いている時節でもあり、治山治水の重要性を考えずにいられない。また、‘凍土壁’などというもので福島原発の地下水の流れを‘コントロール’できると思っているらしい甘さをも思わないでいられない。
恐ろしいのは、鉱毒の人体への影響を、管理者たる国と県が無視し見殺しにしたということである。そして予想していたことだが、ここに書かれているある部分は、土地の名称だけ変えればそのまま水俣にも現在の福島にもぴったり当てはまるのである。

 流れがどちらを向いているのか、ときおり石亀にもわからなくなりそうだった。見かけはただの泥水だったが、触れている肌がちりちりと痛む。これを飲んだら大変なことになるのはわかりきっていたが、そう考える余裕のあるのは石亀くらいのものであったろう。水中で生きなければならない魚も虫も亀も、皆殺しになってしまうはずである。ここで生きられるのは、呼吸もせず餌も食べない石亀くらいのものだ。死に満ちた世界だとわかっていたので、石亀はまわりを見ないようにして泳ぎつづけた。


ストーリーとしては悲劇的結末へと進んでいくのだが、話し手のユーモラスな語りもあってけして暗いばかりではない。どれだけ痛めつけられても先祖から受け継いできた土地を守ろうとする農民の姿は胸を打つ。
最後の強制執行の場面は本当に腹立たしい。決定をくだし号令を発したのは役人だが、家屋破壊を実行したのは日当いくらでかり集められた人夫たちだ。この連中にも必ず天罰が下ってほしいと願ってしまうのだが、しかし自分とて「仕事だから」「ルールだから」という言い訳を当たり前のこととして、何かの手先に成り下がって日々生きているかもしれないのである。
時の政府には伊藤博文大隈重信板垣退助榎本武揚ら近代史に名だたる大人物が顔を並べていた。近代国家建設に彼らが果たした歴史的功績がすべて損なわれるのではないとしても、自分のなかでは彼らの顔にけっして小さくはない汚点をつけなければならない。富国強兵の時代だったとしても、日露戦争勝利の表層だけでこの時代を評価してしまうのも「何かの手先」の仕業だろうと思う。
個人的には衆院議員を辞して天皇直訴を決意した正造が、その訴状の文面をある名文家に頼むくだりが楽しく嬉しかった。


立松和平は2010年2月に他界。未完の絶筆となったのが『白い河 風聞・田中正造』(東京書籍)という作品。こちらも読みたい。