菅 淳一 / 横浜グラフィティ


山崎洋子『天使はブルースを歌う』(毎日新聞社、1999年)は、戦後横浜に多数生まれた混血児にスポットを当てたノンフィクション。
1945年八月末、厚木に降り立ったマッカーサーがまっすぐ向かったのは横浜だった。ホテル・ニューグランドが彼の宿舎となり、横浜税関GHQ総司令部が置かれた。関内、本牧に米軍が進駐すると個人住宅や土地建物は接収され、米軍施設が急ピッチで建設されていった。日本政府は米兵向けの‘特殊娯楽施設’をつくり、‘接待婦’として働く日本人女性を集めた。

          

横浜を舞台にした小説を書いていた作家・山崎洋子は、知人から「ブルースが足りない」と指摘されショックを受けた。「メリーさん」や「ゴールデンカップス」をきっかけに、終戦直後の横浜に多くのGIベイビーが産まれていたことを知る。ライブハウス「ストーミーマンデイ」に足を運び、エディ藩、ルイズルイス加部ら、カップスの元メンバーとも知り合った彼女は、根岸の外国人墓地に埋葬されているという混血嬰児のことを歌った歌詞をエディのために書くことになる……



【 菅 淳一 / 横浜グラフィティ / 幻冬舎(224P)・2014年8月(141010−1013) 】


・内容
 不良ってのは、不揃いの“良”って意味だ!最先端のカルチャーが半径5km圏内に集結していた1960年代の横浜。光と影が激しく点滅する街を、轟音とともに走りぬける車の一団があった。その名も“ナポレオン党”。リーダーがトヨタS800を駆って走り出すと、あっという間に30、40台が後ろにつらなり、あうんのカーレースが始まる。永遠に刻まれる、若者たちの鮮烈で繊細なひと夏のグラフィティ。


          


『1967クロスカウンター』の菅淳一さんの新刊なのでノンフィクションだと思っていたら、小説だった。六十年代後半の横浜本牧に実在した「ナポレオン党」という若者グループを題材にした青春小説である。
恥ずかしながら、ナポレオン党について噂には聞いたことはあったが、暴走族の一派ぐらいにしか思っていなかった。クルマ遊びもするがそれだけではなく、六十年代横浜の‘粋’を象徴するファッションリーダー的な集団だったようだ。リーダーのクルマはというと何となくハコスカあたりを連想してしまうのだが、実はヨタハチで、つまりそういうことなのである(どういうことか説明すると長くなるので省略)。ベースの街・本牧を本拠地として、地元では兄貴として幅を利かせていたらしい。本作は、彼らを通してなぜ60'S横浜が特別だったのかを教えてくれる作品でもあった。
“恋とクルマとロックンロール”は「アメリカン・グラフィティ」のキャッチだが、本作はまさにその横浜版という感じである。

 「何やろうか。ベンチャーズでもやろうか」
 「ハハハ、うそつけ。この前のバターフィールドはカッコよかったよ」
 「じゃあ、今日はバターフィールドやんねぇ」


1967(昭和42)年、ティーンエイジの男の子と女の子が主人公。二人とも物心ついたときから常にベースを身近に意識して育った世代だ。横浜大空襲とその後の米軍進駐の激動期を懸命に生き抜いた彼らの親のアメリカへの複雑な感情とは裏腹に、子どもたちはその開放的な文化に吸い寄せられていく。
「フェンスの向こうのアメリカ」とは、横浜や沖縄以外の日本人の見方で、そこに住んでいた子どもにとっては異文化でも何でもない、当たり前の風景だった。横文字の看板や見たことのない食べ物の匂い。ラムネではなくコカコーラ。ラジオやテレビで流れているのとはまったく違う種類の音楽。それらに始めは恐々と、次第に惹かれていく思春期の好奇心が瑞々しく、読んでいて懐かしくもあるのは、多かれ少なかれ、これより後の日本人誰しもの共通体験でもあるからだろう。その先陣が横浜だった。
文明は環境条件に特定されるが、文化は境界線を越えて伝搬し、新しい文化を生む。外の人間は学習して模倣するしかないが、横浜の彼らはライブ体験だった。ナポレオン党やゴールデンカップスはそのアプレゲールだったのだ。


考えてみれば、ハードボイルドやミステリにエキゾチックな舞台としてはよく使われるが、この時代の‘ヨコハマ’そのものを描いた作品は案外少ないような気がする(花村萬月とか。自分が読んでいないだけかもしれない)。横浜だけに伝わる知る人ぞ知る伝説は無数にありそうなのだが…(上記『天使はブルースを歌う』には、絶世の美少年だったルイズルイス加部を想い続けた鈴木いづみの作品が紹介されている)。やはり部外者がうかつには書けない横浜人のプライドみたいなものがあるのかもしれない。
ナポレオン党がただの不良グループではなかったように、ゴールデンカップスがただのGSではなかったように、東京=日本のメディア文脈に同調しない強烈なアイデンティティがあって、それはきっと文章にするのがとても難しいのだ。前年に来日したビートルズ・ブームのまっただ中にR&Bを演奏するバンドは「何だコレ?」と思われたのにちがいなく、その黒っぽいビートやグルーヴ感を伝える日本語語彙すら当時はなかったのだから。
初めての音楽体験が最も強い感動としてその人の中にはずっと残る。この作品の主人公もゴールデンカップで黒く塗られていくのだが、いわゆる「ワル」ではなく、健全な少年として描かれているのが好ましく、彼の感動がストレートにこちらに伝わってきた。

 エイジは彼らの踏むステップを初めて見て、それから再び見たとき、なぜか、そこから醸し出される切なさ、歓喜、愛の渇望、同時に絶望、それらが一緒くたになってあたり一面に咲き乱れていくような感覚を持った。それはこの本牧で踊っていても、その空間は遥か彼方のアメリカを感じさせていたからだった。


先に1969年のフォークゲリラの本を読んだが、この当時、日本にはベトナム戦争反対運動があった。そういう社会的気運の中で横浜の人たちはどんな気持ちでいたのだろうか。
ナポレオン党やカップスは派手な騒ぎをしたかったのではないし、ただ享楽的に生きていたわけでもない。ベトナムに出征していく米兵の姿を日本で一番近くで見ていたのは彼らで、脱走兵もいたことが本書にも記されている。
八十年代のことだが、自分も学生時代に二年ほど横浜に住んでいた。当時の散歩ルートはもっぱら野毛〜寿町〜石川町のタワレコまでで、トンネルの向こうまで足を運んだのは数度。忘れかけていたその後悔を本書は思い出させてくれた。横浜ブルース大学ブルースギター学科生にとって最上の先生は、関内セブンスアヴェニューの最前席で何回も見た憂歌団だった。部屋ではいつもFENを聞いていて、「I Got You, Babe」も入ったウルフマン・ジャックのカセットテープは今も大切に持っている。
みなとみらい博以来、訪れていないので、あらためてゆっくり横浜を歩きたくなった。自分が住んでいた頃には、馬車道で白装束のメリーさんをよく見かけたし、まだ‘リアル横浜’の名残があちこちにあったと記憶しているが、今でも残っているだろうか?