高杉晋吾 / 袴田事件・冤罪の構造


今年三月、1966(昭和41)年の事件発生以来実に四十八年ぶりに(!)袴田巌さんが解放された。新聞報道には目を通していたが、袴田さんは地元・浜松の人であり、何か一冊読んでおかねばと思っていた。

     

高杉晋吾さんのこの本、タイトルが変わっていたので気づかなかったのだが、原著は『地獄のゴングが鳴った―無実のボクサー袴田巌』(三一書房、1981年)。袴田事件の冤罪の可能性を初めて指摘したノンフィクションの名著だったのである! 本書は袴田さんの釈放を受け、加筆のうえ新版として復刊した。



【 高杉晋吾 / 袴田事件・冤罪の構造 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った / 合同出版(344P)・2014年7月(141013−1016) 】


・内容
 袴田事件が、克明な立証によって、冤罪であることを初めて指摘した原点の書、待望の復刊! 江川紹子氏推薦!


袴田事件】 1966年6月30日未明、静岡市(旧静岡県清水市)のみそ製造会社の専務宅から出火し、焼け跡から一家四人が他殺体で発見された。静岡県警は社員寮の部屋で血痕が付着したパジャマが見つかったとして、従業員だった袴田巌氏を強盗殺人容疑で逮捕。袴田氏は無罪を主張したが、静岡地裁は68年、死刑を言い渡し、80年に最高裁で死刑が確定した。世界で最長記録の48年間もの長い勾留が続いたが、第二次再審請求で、静岡地裁は2014年3月27日死刑と拘置の執行を停止する決定を出した。


     


1966年6月30日というのはビートルズ来日公演の初日である。今でもそのときの熱狂ぶりを伝える白黒映像を目にすることがあるが、さすがに古さを感じさせる。同じ日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社の専務一家四人が惨殺・放火されるという事件が起こった。容疑者として捕らえられた男性従業員は当時三十歳の元プロボクサーだった。無実であるにもかかわらず自白を強要され逮捕、死刑を宣告されたのはジョン・レノンが射殺された年だった。世紀が変わってもなお囚われの身だった彼は、今年三月、静岡地裁の再審開始決定により四十八年ぶりに釈放された。この間の三十三年は死刑執行の恐怖との戦いだった。七十八歳になっていた彼は心身を病んでいた。裁判長はこう語ったのだった―「これ以上の拘置は耐え難いほど正義に反する」。では、正義に反していたのは誰なのか。

 ダウンを奪う武器はクロスカウンターであった。
 彼の試合はKO勝ちというのはほとんどない。しかし早い回のうちに相手をダウンさせている試合は多いのである。KOパンチがないのではなく、彼の計算から、相手を簡単にKOしないのだ。
 それが彼の試合パターンであった。それは彼の自己防衛の知恵でもあった。


警察、検察、裁判所、新聞テレビ。それに(例によって)鑑定結果を擁護する大学教授。公正であるべき機関が結託して、一人の市民を追い詰めていった。ボクサーくずれ。嘘つき。離婚歴あり。貧乏。あらゆる負のレッテルを貼りつけて毎日平均十二時間の取り調べを強行。だが、そうして公表されたシナリオは稚拙きわまりないものだった。
犯行着衣とされたズボンにはA型の血が付いていたが、その下に履いていたパンツに付いていた血はB型だった。上下に留め金のある裏木戸をわざわざ下側だけ開けて(なぜか上側は外さず)わずか30センチの隙間をくぐり抜けたことになっていた。これら素人目にも怪しげな物証と自供はミステリの大家すら思いつきようのない驚天のトリックだったが、実はシナリオを書いた者にも謎解きはできていなかった。修羅場から発見したとされるいくつかの物証は互いに矛盾し否定しあい、侵入・脱出方法は荒唐無稽なアクロバットだった。
社会秩序の安定のために働いているように見せかけて、実は平然と法治社会を紊乱していたのは彼らだった。堕落した彼らは、四十八年もの間、容疑者と彼の家族を苦しめたのみならず、同じように被害者遺族をも愚弄していたのだ(袴田さん釈放の翌日、たまたま事件に巻きこまれなかった遺族の長女が亡くなった)。


どんな手を使ってでも、という警・検察組織の強権的態度に、自分が感じたのは職務怠慢、ただそれだけだ。始めからまともな捜査をする気などなく、手っ取り早く犯人をでっち上げてしまえば、あとはどうとでもなる。一貫しているのは自らの落ち度が露見したとしてもその非を絶対に認めようとはしない恥知らずな不まじめさだけである。
当時この事件に関わった警官、検察官、裁判官、記者の多くはすでに退職したか、第一線を退いているだろう。明らかな不正を知りながら担当者はころころと変わって誰一人まともに責任を負おうとはしないのは、この国のあらゆる場面でいつでも見かける非常識な常識的態度である。
裁判官すら信用できないのなら、どうすればよいのか。世論に訴えるしかない。義憤に駆られて高杉氏はペンをとった。初めから破綻している非論理に論理で応ずるのは馬鹿馬鹿しい苦業でもあったにちがいない。死刑囚に残された時間を思えば実証実験をするのももどかしく、一刻も早く世に問いたい焦りもあっただろう。しかし、必ずや袴田巌を救出する、その気概は紙上にあふれんばかりに表出し、獄中の囚われ人に不屈を呼びかける声は行間に熱くこだまして、本書は確信に満ちた言葉の拳となった。

 私は声を大にして訴えたい。袴田事件は今回、即時抗告をした時点で新たな戦いが始まったのだ、と。
 私は八十一歳であるが、三十三年前に書いたこの著作と、新しい見解を武器に再び新たな戦いに挑むと宣言する。私は、検察が即時抗告をした意味を、本書を読んでいるあなたの権力批判を圧殺し、古い秩序を維持するための構造であると捉える。


この本があって本当に良かった。この事件が冤罪らしいことはずいぶん前から言われていたのだが、薄ぼんやりとした暗い霧を一気に吹き飛ばして、すなわち警察による証拠ねつ造をずばり立証してみせて、袴田さんの無実を初めて公然と訴えたのがこの本だったのだから。
本書が読み物としても秀逸なのは、問題とされた争点を一つずつ論破しながら、袴田巌がどんなボクサーだったかをサイドストーリーとして組み込んでいる点だ。「どんなボクサーだったか」は「どんな人物か」と相似する。ボクサーを蔑んで初めからフェアプレーの精神を欠いた刑事や新聞記者たちには思いもよらなかっただろうが、そこには絶対の真実があった。
いわば警・検察が書いた袴田巌偽物語と対峙するために、高杉晋吾はボクサー・袴田巌の真実の物語をたずさえてリングに上がったのだ。そして渾心のクロスカウンターを撃ちこんだ。結果は誰の目にも明らかだったにもかかわらず、しかし判定が下されるまでにはなお三十余年もの時を要したのだった。一冊の本が不条理の檻から死刑囚を救うきっかけとなったのだった。
あらためて書物の力をまざまざと感じる。読んだあとから言うのも変だが、「読まずに死ねるか」な一冊であり、本年ベストの一冊である。


袴田さん釈放を機に死刑制度再考の機運も高まるものと思っていたが、そうでもなさそうなのは残念。秘密保護法によって、冤罪再発の可能性が再び高まることを思うと、「地獄のゴング」はわれわれの鈍感な民主主義意識への警鐘ともいえるだろう。