深水黎一郎 / テンペスタ 天然がぶり寄り娘と正義の七日間


意図していたわけではないが、これも幻冬舎の本だった。
本書を買ったときに『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』というタイトルの本が目に留まって、それも幻冬舎だった。例によってちょっとだけ迷った。「天然がぶり寄り娘」か「いつまで女子問題」か。ジェーン・スーより深水黎一郎を選んだのは、そのときレジにいたのが妙齢の女子だったから、ではない。


【 深水黎一郎 / テンペスタ 天然がぶり寄り娘と正義の七日間 / 幻冬舎(313P)・2014年4月(141016−1018) 】


・内容
 東京の大学で美術の非常勤講師を務める賢一。30代も半ばを過ぎているのだが結婚の予定もなく、ギリギリの収入の中、一人ほそぼそと生活を送っていた。そんなある日、田舎に住む弟から一人娘を一週間預かって欲しいと連絡がくる。しぶしぶ引き受けることになった賢一を駅で待っていたのは、小学四年生の美少女・ミドリ。しょっぱなから毒舌全開、得体の知れないミドリに圧倒されながら、賢一とミドリの一週間の共同生活が幕を開ける…。


     


『人間の尊厳と八〇〇メートル』がとても良かった深水黎一郎さんがこんな作品も書く人とは知らなかった。どんな作品かというと、ウナギを食べたくなるのだ。
「国連安保理決議で今晩は鰻を食べようと決まった」とか、揉み手しながら「民の不平を抑えるために、ここはひとつ、ウ・ナ・ギで…」などとご託を並べて誰かにおごらせてみたい。いい匂いがする鰻屋の前で足を止めて、「うなぎを食べさせろー、オー! ウ・ナ・ギ!、ウ・ナ・ギ!」と拳を突き上げてシュプレヒコールしたくなる(ニホンウナギの保護は大事です)。人間の尊厳とかそんなのは完全にどこかに吹っ飛んだ、困った作品だったのである。
もちろん大人男子たるもの、本当にそんなことはやらない。やるわけにはいかない。やるわけがないのだが、ウナギパイでは代わりにならない。頭の中に飼っている鰻がそろそろ食べ頃で、たっぷり脂がのったその豊満ボディをくねらせながら発する「うなぎうなぎうなぎうなぎうなぎう…」という呪文かフェロモンみたいなのに完全に脳を支配されてしまった。

 「じゃあ、がぶり寄りって何なのさ?」
  賢一はまたもや弱った。これはさっきより、もっと難しい。
 「だからさ……がぶって寄るんだよ」
 「だからそれが何だって訊いているのよ!」


大学の非常勤講師が9才の姪っ子を預かることになる。たださえ子どもが苦手なインテリの賢一がその少女ミドリに一方的に振り回される嵐のような一週間の物語は、背景にある昨今の大学事情も含めて、奥泉光クワコーものとも少し感触が似ていた。
ふだん子どもと接点のない独身者にとって、(特に小学生年代の)子どもは怪物のようなものだろう。地域あいさつ運動というのがあるのを知ってはいても、どこかの小学生にいきなり「こんにちわ!」と元気良く声をかけられてビビったりする。児童を狙った犯罪が多い世相でもあるので、できるだけ関わりたくないものだと思ってもいる。
そういう主人公のところへ、小動物的ないかにも現代っ子が突然転がりこんでくるとどうなるか? 大人が天真爛漫なちびっ子の言動に翻弄されまくって、ことあるごとにぎくりとさせられる「パパはニュースキャスター」的筋書きはそう珍しいものではない。


親子ではない大人と子どものミスマッチによる喜劇的光景が続発して笑わせられっぱなしなのだが、予定調和的な陥穽にはまるのを危惧しながら読んでいく。推理作家協会賞を得た作家が天真爛漫な子どもネタを書くのは危険なような気もしていたのだが、そんな懸念は杞憂に終わった。
実際にこんな9才がいるかどうかはともかく、よくぞこれだけ小ネタを仕込んだものと感心するくらい、初日から最後まで冗舌のテンションは下がらない(うなぎネタはそのほんの一例にすぎない)。ミドリのテンションではなく、書いている作家のテンションが、である。
落としどころがしっかり心得られていて、こういう嵐に見舞われるのも悪くはないかも…と思わされるのは、定型を楽しみながら少しだけ外そうとした著者の目論見どおりか。ちょうど二週続けて来襲した台風一過の青空のようなエンディングだった。

 「お、お前は一体、どういう耳をしてるんだ!」
  途中で声が裏返った。
 「き、聞きまちがいにも程がある! がぶり寄りじゃない。ガブリエル。大天使ガブリエル!」


ミドリに生活ペースを乱されてくたくたになりながら、賢一が本業の美学と言語活動の原点を再発見するくだりが、ゆるゆるになりそうな流れを引き締めている。特に美術書を手に古今の名画をめった斬りするミドリと、解説を加えつつその批評眼の鋭さに新鮮さを感じる賢一のやりとりに長々とページを割いた五日目が本作のハイライトでもあった。
ギャグの部分はほとんどが二人の会話の中のかんちがいや小学生の独特な造語感覚を元にしたもの。著者の言葉へのこだわりの顕れでもある。
成分は控えめながらミステリ要素が最後にほんのり加えられて、ドタバタのまま終わらないのも良かった。深水さんは肩書きとしてはミステリ作家に分類されているけれども、本質的にはユーモアやペーソスに味がある、人間観察の眼が確かな作家だと思う。『言霊たちの夜』という言葉にまつわるお笑い作品もあるので、それもリストに加えておく。