加藤直樹 / 九月、東京の路上で


加藤直樹 / 九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響 / ころから(216P)・2014年3月(141021−1024) 】


・内容
 関東大震災の直後に響き渡る叫び声、ふたたびの五輪を前に繰り返されるヘイトスピーチ。1923年9月、ジェノサイドの街・東京を描き現代に残響する忌まわしい声に抗う― 路上から生まれた歴史ノンフィクション!


     


関東大震災直後、朝鮮人虐殺の事実が「あった」「なかった」という議論がある。本書を読む前にいくつかの書評を見ていたし、ブログをもとにした著者の執筆動機や経緯も知ってはいたが、なるべく先入観を封じてニュートラルな心持ちで読むよう気をつけた。心情的にはもちろん虐殺なんて「あってほしくない」。
震災時に「朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマ」を初めて聞いたのは小学生の頃だったと思う。それがデマだったということより、井戸に毒を入れられる恐怖感の方が子ども心には強く残った。
自分の知るかぎり、井戸水(浄水場や水道)が意図的に汚染された事件は過去にない。してみれば、九十年も前の誰かが流した「井戸に毒」の嘘が長いあいだ自分の中で韓国・朝鮮人を傷つけていたのは、自分にとってまぎれもない事実である。


横浜本牧が発端とされるそのデマは内容を変えながらまたたく間に関東一円に広がった。地震発生翌日には東京東部、二日後には埼玉、千葉まで伝わっていたという。たださえ恐慌状態にあった被災民は青年団在郷軍人会などを中心に自警団を組織して‘不逞鮮人来襲’に備えていた。やがて彼らは目についた朝鮮人を片端から捕らえて暴行、殺害してしまう。
そんな惨劇が特定の一地域だけでなく、東京各地、さらには震災被害の比較的小さかった千葉や埼玉、群馬でも同時多発的に起こっていたという。
本書は当時の証言や調査記録からの引用をもとに、大地震の発生から流言蜚語の拡散とともに野火のように広がっていく暴力の連鎖を追っていく。朝鮮人ばかりでなく多数の中国人、また朝鮮人とまちがわれた日本人も殺されていたという、にわかには信じがたい、信じたくない記述が並んでいて、読んでいて胸が悪くなる。しかし筆致は淡々として、リアリティはページを繰るごとに増していった。

 小山駅前では、下車する避難民のなかから朝鮮人を探し出して制裁を加えようと、3000人の群衆が集まった。このとき一人の女性が、朝鮮人に暴行を加えようとする群衆の前に手を広げて立ちはだかり、「こういうことはいけません」「あなた、井戸に毒を入れたところを見たのですか」と訴えたという逸話が残っている。


疑問に感じる点がないわけではない。
明かりといえば焚き火か提灯ぐらいしかなかったであろう深夜の河原で、被災者の大群の中からどうして朝鮮人を識別できたのか。異常心理状態だったとしても一般人が(警察や軍に引き渡しもせず)自らの手で、衆人環視のその場で、殺人行為を行えるものだろうか。下手人よりはるかに多くいたはずの目撃者たちは、その後も口を閉ざしたまま生きていたのか。
そして、やはりもっとも不思議に思われるのは、無関係のいくつもの場所で同じような殺傷行為が無名の民間人によって行われていたということである。権力の強制命令や狂信的思想の誘導によって引き起こされるものという自分の「虐殺」イメージとはかけ離れていて、それだけにこのすべてが事実であったとするなら、余計に恐ろしく感じられるのだ。そこには正義に根ざした自制心や自浄能力といったものが機能しない群集心理と暴力衝動しかない。日本人が熱狂に流されやすい民族だとしても、これほど単純に動物的な集団に変わってしまうものなのか。


本書では韓国併合や三一運動など、当時の日朝関係には詳しくは触れていない。事件の根底にあるはずの、当時の日本人の朝鮮人に対する一般的感情も多くは語られない。そうした社会的背景をあえて省き、九十年前にあったとされる無数の事件の断片から見えてくるのは何か。
1923年を現在につなげようとする著者の意図は充分に伝わってきた。大正時代の世相を知らないので、もし自分がその場にいたらどうしていただろうと自分に引きつけて想像するしかないのだが、そのとき、思想や政治信条などは言い逃れのための理屈にすぎないのかもしれない。我知らず潜在意識に刷りこまれているものが、実はいちばん怖いのかもしれない。
「ころから」という赤羽の小さな出版社の本。目を背けたくなるような惨劇が書かれているとはいえ、二色印刷で読みやすいよう心配りされていて、つくりに好感の持てる本となっている。

最近、NHKの番組を始めとして、オリンピック開催に向けた‘復興都市・東京キャンペーン’みたいな風潮が強まっていると感じる。熱狂の操作。そこから消されている歴史的事実があることを忘れないようにしたい。