真保裕一/奪取 (上)(下)

のんびりと正月休みを過ごしていたものの、来客があったり年賀状づくりに時間がかかったりと意外にゆっくり本を読んでいる時間がなかった。で、今年の1冊め。

真保裕一/奪取 (上495P)(下469P)/ 講談社文庫(081231-090104)】


『覇王の番人』の作者がどんなものを書いてたんだろう、と思って読んだけど、結果からいうと期待外れ。

ニセ札づくりに没頭する主人公とその仲間たちに生活感がまるでなくリアリティに欠けるのが最大の難点。簡単に名前(戸籍)を変え整形して顔も変え、仕事もさっさと辞める。すべては本物同然の紙幣五億円分をつくってヤクザと大銀行に仕返しをするため、というストーリーの前提からして必然性が薄いのだ。
偽造防止用に紙幣にほどこされた特殊加工や、その印刷工程はかなりのページ数をさいて説明されている。その割には(少しだが印刷の心得がある側からすると)こんなにイージーじゃないだろ?とあきれる部分も多かった。
印刷機によらず機械はオペの経験や職人的な微調整とメンテナンスがあって連続稼働できる。インクやペーパーのロットをそろえる等の資材調達・管理だって色をそろえるうえでは重要なはず。それをこの小説のように一夜漬けみたいな素人がまともに動かすことなどできるはずはなく、ましてや紙幣という精密印刷などできるわけがないのだ。
紙幣や印刷に関する知識は技術本や業界内での取材をもとにしたものと思われるが、それはあくまで素材のはず。汚い金にまみれた連中をニセ札で見返そうというのなら、もっと血の通った、魂のこもったニセ札づくりにして欲しかった(特にこの部分にこだわるのは、映画『ヒトラーの贋札』が頭にあるため。あの映画に比べると、腹立たしいほどガキ臭い)。

筆者はこの主人公の若者をヤクザや銀行を出し抜くピカレスクとして描いたつもりかもしれないが、人物像の描き込みが全然ないため、ちっとも魅力的でない。主人公は仲間たちとヤクザグループの、二つの小さな集団との関わりの中でしか生きていないから(もちろん世界はそんなに狭くない)、自分との接点も見出せないし何の共感もない。
「まぁ小説だから」とわりきって気楽にストーリーを追い、最後の信金での場面(多分、映画『スティング』が意識されてる)だけ、ちょっと面白かった、かな?

あとがき等によるとこの作品が書かれたのは94〜95年、筆者が三十代半ばの頃だ。多分、エンタメ系ミステリー・サスペンスが流行りだした頃で、「面白さ」だけを目指して書いたような勢い=軽薄さばかりが目につく。この小説は賞を二つも取っているというのも、なんだか疑問。『覇王の番人』を書いた今、真保氏は自分のこの作品をどう思ってるんだろう?
自分の趣味じゃないといってしまえばそれまでだし、刊行時にリアルタイムで読んでいれば違ったかもしれない。だけど、何でもありの犯罪小説なんて掃いて捨てるほどある。自分の感覚もすっかりそれに慣れてしまっていて食傷気味なんだけど、そんなものはハリウッドにまかせときゃいいのだ。
他にも色々あるけれど感想ではなく不満ばかりになっちゃうので、この辺でfin.



今日、書店に行って、ゆっくり新刊本を見てきた。文庫待ち、が多いかな。映画もそうだけど、この頃は宣伝ばかり目立って中身はたいしたことがない、てのが多いからな。装丁・表紙デザインは素晴らしいんだけど…て。展開が早くて大胆な仕掛けが多ければウケるし映画かドラマの原作にでもなれば、という出版側の思惑が先走ってる。

そんな中、買ってきた本、ちょっと良いぞ☆ 気分を変えて、読んでいこう。