山本兼一/利休にたずねよ

『鬼蜘蛛日誌』のあと、すごくつまらない本を買ってしまい(途中で読むのやめた)、「お口直し」じゃない、「お目直し」に日本語のちゃんとした本が読みたくて物色中、目に留まったのがこれ。
読んだことのない作家だったが、すごく、しみじみと良かった!

で、知らなかったのだが、この作品、15日に発表になる直木賞の候補作だった。
他の作品は読んでないし、賞そのものにも興味はないが、やはり自分が読んだ作品(もちろん、楽しんで読めた作品)が受賞したら、それはそれで嬉しいだろう。「オレの目に狂いはなかった」と思うだろう。オレって目利き!と思うだろう。


山本兼一/利休にたずねよ (418P)/PHP研究所 (090110-0113)】


     


名実ともに天下一の茶人として秀吉に仕えながら、彼の勘気にふれ、切腹した千利休
なぜ秀吉に服従することを拒んだのか。それほどまでに利休の美意識を支えたものはなんだったのか。
切腹の日から徐々に月日をさかのぼりつつ、妻・宗恩や弟子たちの目線を交えて秀吉と利休の確執のエピソードが重ねられていく。

秀吉に目をつけられても、生涯守り通した緑釉の香合の秘密。誰にも明かしたことのない、ある女への想いが、彼の侘び茶にほとばしる生命を吹き込んだ…

「おまえの茶は、侘び、寂びとは正反対。見た目ばかりは、枯れかじけた風をよそおっているが、内には、熱いなにかが滾っておる。そんな気がしてならぬのだ」
 秀吉は、ゆっくりと餅を食べた。しばらく沈黙してから、またつづけた。
「おまえの茶は、艶めいて華やかで、なにか…、そう、狂おしい恋でも秘めているような。どうじゃ。わしの目は誤魔化せまい。おまえは、その歳になってもなお、どこぞのおなごに恋い焦がれ、狂い死にしそうなほどに想いをつのらせているのであろう。そうでなければ、命を縮めるほどの茶の湯はできまい」
 いわれて利休は押し黙った。秀吉の目が、じっと利休を見すえている。


派手好みではあるが、意外にも茶道の良き理解者であり、ときに利休も舌を巻く侘び寂びへの目利きでもあった秀吉が、利休の茶に驚嘆しつつも、次第に彼が疎ましくなっていく過程がよく描かれている。
「美」を意のままに操る利休への尊敬、畏怖、そして妬み。利休の達した境地に憧れて数奇者を気取っても、この男には見抜かれているという焦燥、天下人である自分が利休の茶室では丸裸にされてしまうという錯覚が、次第に憎悪に変わっていく。
秀吉と利休の関係は、つねに一方的だった。己の審美眼に絶対の自信を持つ利休に対して、その命さえ、自分の掌にあることを見せつけるしかないほどに、秀吉の利休へのこだわりはエスカレートしていく。

「美しさは、けっして誤魔化しがききませぬ。道具にせよ、点前にせよ、茶人は、つねに命がけで絶妙の境地を求めております。茶杓の節の位置が一分ちがえば気に染まず、点前のときに置いた蓋置の場所が、畳ひと目ちがえば内心身悶えいたします。それこそ、茶の湯の底なし沼、美しさの蟻地獄。ひとたび捕らわれれば、命をも縮めてしまいます」


なぜ、こやつの茶が他の茶人と一線を画すのか?それほどまでに美に固執するのはなぜか?
秀吉の疑問が、堺の魚問屋のせがれが茶人・千宗易(のちに利休)として生まれ変わった、ある地点にまで時をたぐらせる。

千利休を題材にした小説は多くが、その死をクライマックスとして結末に配していると思う。
が、この小説は冒頭に彼の最期の日を置き、彼の美への執着をたどって、もう一つのクライマックス ―利休の茶の湯がなぜ、ただ枯れた風情ではなく生命あふれたもなのか― へと向かう趣向になっている。

その、もう一つのクライマックスが… ちょっと薄いかな。この作品中で最も時代小説的=創作的な要素の強い部分で、ここをきっかけにして利休の茶が異界に通じるものになっていくはずなのに(そういう期待で読んだのだが)、やけにあっさりとした印象。
(この部分が強調されすぎると、時代小説>歴史小説となって、趣きも違ってくるような気もするが)
緑釉の香合の秘密が絶妙にからめられて、晩年の茶の静謐の凄みが存分に語られていただけに、逆に若き日の利休が味わったであろう激しい悔恨、無念が、もっと描かれていても良かったのでは…?


作家にとって千利休は物語の格好のモチーフであろうが、すでに書き尽くされたストーリーでもある。いかにオリジナリティを出せるかが最大のテーマとなるが、『利休にたずねよ』では、死から、その死を運命づけた過去の事件まで逆行することで、利休の美意識と人生に新しい色を加えていると思う。
安易に秀吉の俗と利休の風雅の対比に単純化することなく、互いに天下一と認めながらも相容れない(完璧に調和しているものより、どこか欠けたところがある方が風情があるという)「美」の世界を、落ち着いた文章で読ませる。

言葉で表現するのは難しいであろう侘び数奇の世界がわかりやすく書かれていて、とても良かった。面白かった。
時代は違えど、私も(いろいろな意味で)「目利き」でありたい、と思う。