上田早夕里/魚舟・獣舟

今月は「女性作家月間」になりそう。読みたかった作品を何冊か入手済み。どれも読み応えありそう!
で、二月の一冊目はコレ!


【上田早夕里/魚舟・獣舟〔うおぶね・けものぶね〕(323P)/光文社文庫(090130-0201)】

      


異形コレクション」に収められた短編五作と書き下ろし中編『小鳥の墓』の全六編からなるSF作品集。
(短編集なのでネタバレにならないよう、手短にまとめます)


海洋生物の変異、茸菌の新型感染病の恐怖、人口知性体、医療実験都市に現れる妖怪、高度な管理下に置かれた教育都市で育って殺人をくり返すようになる孤独な男。扱われるテーマはそれぞれだが、いずれの物語も人類の進化のなれの果てでもあるようで、それが怖い。
登場人物の回想が、きわめて個人的な心理描写でありながら的確な状況説明として機能している。科学技術が発達した未来なのではあるが、それが現代からストレートに発展をはたした世界ではなく、何かしらの荒廃を経た、混沌を抱えた不安定な社会らしいことがうかがわせられる。このあたりがとても巧いので知らず知らずに作品世界に引きこまれ、『魚舟・獣舟』『くさびらの道』では一気のクライマックスに《最適の幻覚》を見せつけられて全身総毛立つ。

哲学的な意味での人間と、生物としての人間の間にある深い溝―。(『小鳥の墓』)

未来の、進化したはずの人間の、ヒトという種の脆さ危うさが、各作品の鍵だ。


「バイオ系の話をするのはやめて」などとのたまうお茶目な女妖怪が登場する『真朱の街』には、こんな件りが出てくる。

人工器官で視覚や聴覚や触覚を拡大し、ヒトとしての形態を変容させつつあるおまえたちの外観は、もはや妖怪同様に生物として充分に異形だ。人間の心自体、昔から、妖怪に負けないぐらい凶暴なものだった。外見の差異が縮まった現在、我々とおまえたちの間には、すでに垣根は消失しているのではないかね?

たとえば「時計じかけのオレンジ」を連想させる『小鳥の墓』の主人公。連続殺人に身を染めたこの男の乾きよう… 何かが欠落しているというよりは、始めから無いかのようだ。高度に発達してはいるのに禍々しくしか見えない未来世界では、かつて人類が持っていた道徳観念や倫理観などはとっくに失われたか、必要ないものとされたのかもしれない。それが進化のなれの果てなのか。
なのに、ヒトから逸脱しかけたぎりぎりのところで、自分への激しい殺意を欲望する彼の寂寥は何だ?生きる能力と同時に、一個の生物として生き残る能力を問われる時代だったのなら… 誰かに殺害される以外に、この男に「人間としての死」はないのだ。


『くさびらの道』は感染症の猛威を前になすすべのない人類を描いたバイオ・ホラーだが、百年に一度の周期で野ネズミが大発生して恐慌状態をもたらす開高健の傑作『パニック』を彷彿とさせる。


そして『魚舟・獣舟』だ。
人と同じ血と遺伝子を持つ兄弟のような運命にある魚舟が、やがて成長し変異をとげ、獣舟として人間の住む地に上陸する…
わずか二十数ページ。主人公の回想と、幼なじみとの会話で「魚舟・獣舟」の正体が知らされる。ここでも筆者の手腕が鮮やかに発揮されて、状況説明による無駄な停滞がまったくなく、不穏な緊張感が持続される。
上陸後の獣舟の行方を暗示したラストに、しばらく胸のざわつきが止まらない。
荒々しい自然に生きる生物の環境適応能力は人間の比ではあるまい。その環境変化に関与し、生態系に影響を及ぼし続けた人類が、獣舟のすさまじい突然変異にさらされる。
異形の変異をとげる自然生物が恐ろしいのではない。われわれが進化と信じているものが、実は自身の存在さえ危ぶませる、人間性の退化を招いていることが怖いのだ。


上田早夕里さん、すごい!読み終えて、しばし呆然。妙に人間っぽい妖怪が好ましい『真朱の街』以外は、主人公たちがSF的状況にふさわしくない倦怠・徒労感をあらわして終わり、明るい未来像など提示していない。なのに暗い気分に浸るばかりでもないのは、各作品の完成度の高さと作家の揺るぎのない筆力を体験した喜びがあったからだ。
『火星ダークバラード』こんなに深かったっけ?(うろ覚えなんだが…) 
人間がやってしまいそうな過ちを描いて、SFというジャンルの壁なんか軽々と飛び超えてしまう文章力の素晴らしさに感激!もっと読みたいと思わせる一冊でした☆