佐藤亜紀/ミノタウロス

若くして父親を継いで広大な農地の地主になった主人公が、革命〜内戦で土地を失い、略奪・強姦・殺人を厭わない「けだもの」になっていく…


佐藤亜紀/ミノタウロス(277P)/講談社・2007年(090218-0220)】


       


ミハイロフカ(架空の地)に広大な作地を持って死ぬまで農業に勤しんだ父。望んだわけでもない結婚をして長男を溺愛する貴族気取りの母。過保護に育って兵士になる兄を軽蔑し、百姓の倅として将来は若旦那になることを自覚している次男である主人公ヴァーシャ。
それなりに教養を身につけつつも問題を起こしてキエフの学校を追われて戻ってきたヴァーシャは、友人サヴァの兄グラバクの怒りをかう。革命後の混乱がミハイロフカにも迫りつつあった…

 どうやらそれで納得したらしい―いくら知能が高くても、ぼくは本質的にけだものだということに。哀れな作男を血も涙もなく鞭打って働かせ、女は気が向くと端から押し倒すけだものの息子だということに。お袋も、大事な兄は例外としての話だが、同意した。ぼくも、残念ながら概ねにおいては、同意せざるを得ない。ぼくはけだものだし、それ以上のものになろうと思ったことは一度もない。


前半のヴァーシャが起こした事件は早熟ゆえの衝動的なものだったのに、自分を「けだもの」と自覚するのが唐突で解せなかったのだが…。自分の血に対する嫌悪も、どん百姓として生きることへの絶望も匂わされてはいなかったし。
それでも前半は農場の共同経営者シチェルパートフの存在感があって落ち着いて読ませる。『天使』『雲雀』でもそうだったが、若い主人公のお目付役、大旦那といった役どころの人物が、それぞれの時代の象徴的存在でもあって貫禄を見せつけてくれる。

そのシチェルパートフも死んで村を離れたヴァーシャは、赤軍白軍入り乱れた内戦の混乱に乗じた追い剥ぎへとひたすら堕ちていく。

実態は、オーストリア軍撤退以来相も変わらぬ、戦争が畑の旦那衆の群雄割拠だ。分断された赤軍の部隊も例に漏れなかった。と言うか、そもそも地元のごろつきどもがたまたま赤軍をやっていたに過ぎなかったのだ。

そもそも、このウクライナの内戦は連合国の干渉もあって、治安などなかったのに想像は難くない。あえてそんな舞台で悪行を繰り返す人物を「けだもの(=半人半獣のミノタウロス)」に見立てるのは、作者の筆をもってしても、無理があったんじゃないか… あえて架空の地を設定しているのも、イデオロギーにまったく触れないところも、必ずしも成功しているとは言えない気がした。戦争状態下での犯罪行為に言及してしまえばきりがないし、そんなことは佐藤さんも百も承知で、あえて書いたのだとは思うのだが、。

兄は首を括って死に、ぼくはドニエプル河畔の身も知らない土地に放り出されて、裏切ることと殺すこと以外何一つ覚えないまま死んで行く。ミハイロフカを出た頃とはあらかた入れ替わっているに違いない自分の血に、ぼくは何の愛着も感じない。床にぶちまけられた血は、武骨な靴紛いの底を汚物のように汚し、零れたオイルかガソリンのように洗い流され、干涸らびる。死体に至ってはそこらに放り出されて腐るだけだ。もちろん、今さら天国には行けないし、そんなものがあるともぼくは思ってもいない。


これまでに読んだ三冊がウィーンの貴族文化を漂わせた緻密な構成と流麗な文体のものだったので、この『ミノタウロス』への変化には、こちらの頭が追いていかなかった感じもある。
スラブ文化を感じられる部分も少なく(作中に主人公が「スラブの大儀」を否定する記述はあるが)、ウルリヒ絡みでワーグナーばかりが出てきてしまう辺りも、ちょっと苦しい。


(にわかファンだが)佐藤亜紀さんにエンタメ系の楽しみを期待してはいない。この作品が2007年だから、今年あたり新作は出ないかな?
とりあえず「佐藤亜紀シリーズ」はいったん終了。四冊まとめ読みして好きになれたし、良い読書体験になった!