K・コルドン/ベルリン1933

『魚神』みたいな作品を読んでしまうと、次に何を読むか迷う。頭を冷やして幻想から離れられるもの。リアリティのあるもの。ナチス・ドイツつながりからも、この『ベルリン1933』はそんな気分にぴったりだった。


【クラウス・コルドン/ベルリン1933(545P)/理論社・2001年(090310-0313)】
訳:坂寄進一

チューリッヒ児童文学賞、オランダ児童文学賞など数多くの賞に輝く、ドイツYA文学の巨星コルドンの大河小説。 転換期三部作(『ベルリン1919』『同1945』)の第二部。

       


ゲープハルト家の三男ハンスは14歳で小型モーターをつくる工場で働き始めた。不況が長引く中で仕事があるだけでもましだった。先の大戦で片腕を失った元共産党員の父親は工場の守衛をしているが稼ぎは僅かだ。母親も失業中なので、ハンスの給料が家族の生活を支える大きな収入源だ。結婚して別のアパートに住む兄のヘレも党員で失業中だが、もうじき子供が生まれる。(当時のドイツ共産党日本共産党ほどマイノリティではなかった)
「赤の一家」の息子として目をつけられたハンスはナチ突撃隊のメンバーに狙われるようになる。町に失業者が増え続け体制への不満も大きくなる中、ナチが勢いを増し選挙のたびに票を伸ばしていた。

ナチスが政権を握る1933年。ちょうど『総統の子ら』と同時代の同年代の少年が主人公。ただし、こちらは共産党を支持する貧しい労働者の視点で当時のベルリンの様子が伝えられる。どん底の不況とナチスの台頭に家族の絆が揺らぎながらも抵抗し続ける一家の物語。


まったく当たり前のことなのだが、父親、母親、兄、姉、弟との家族のつながりが良い。貧しくても威厳のある強い父と夫を支え子供たちを暖かく見守る母親。兄は弟の良き手本であろうとし、子供たちはその日の出来事を親兄弟と語り合い、勇気づけられる。
ソ連流のプロレタリアート独裁に反対して党を除名された父は、ナチとの政治闘争に関わる長男ヘレにも職場で突撃隊の暴力を受けた次男のハンスにも、身の安全のために服従しろとは絶対に言わない。長女マルタが突撃隊の男と結婚することに動揺し落胆しはするが、断固として二度と彼女を部屋に迎え入れようとはしない。
昨日まで家族として暮らしていた者が、昔からの幼なじみだったり隣近所で互いに助け合っていた者たちが、次々にナチになっていく。ある日突然敵対関係になり、密告や嫌がらせが日常化して街に憎しみが渦巻いていく。つつましい生活をどうにか守りながらも誰もがどうしようもない時代のうねりに巻き込まれていく中、この父親の毅然とした態度が物語の太い柱だ。

父親はよくこういう教条主義をばかにしている。「一方ではレーニンが神で、もう一方ではヒトラーが神なんだ。あいつらは政治を宗教にしてしまってる。そこが良くない」


政治的な議論と街頭闘争の緊迫した場面が多くページ数も多いのだが、YA(ヤングアダルト)向けということで若い人が読めるよう平易な文章で書かれていて読みやすかった。現在から考えると、なぜナチスが政権に就けたのか?という疑問(これこそが本書のテーマだろう)にわかりやすく当時の状況が書かれている。
このシリーズ作品はドイツでベストセラーになったとのことだが、過去の誤ちを後世に伝える作業の一つ一つを受け入れる土壌をドイツ社会は育んできたのだろう。ナチス以前も含めた過去からの歴史の上に今があるとするドイツと、いったん過去を断絶してリセットしたかのような日本。いつもこういう本を読むと思うんだが、日本にこういう本が出てこないのは何でだ?

個人的にはどうしても先に読んだ『総統の子ら』と対比してしまうのだが、ヒトラーの首相就任後の数年間は復興ドイツの輝かしい時代であったというのは、『総統〜』がいかにもドイツ民族至上主義に基づいたエリート視点の小説であって、何故そうなったのか、そしてどうなったかについてほとんど言及されていないことに気づかされる。
ベルリンで幅をきかせていた突撃隊やヒトラー・ユーゲントは、ほとんど街のごろつき同然の連中だった。ナチの警察権が強まると彼らは警察補助員として大手を振って活動できたが、反ユダヤ・反共は名目で実際は私利私欲に走ってやりたい放題だったのだ。
(もし、小説家が『卵の側』に立つのだったら…)

「失業した男が百万人!百万人の子どもに未来がない。ドイツの家族を救え!アドルフ・ヒトラーに一票を!」
いままで見てきたナチ党のポスターはきまって大きな長靴かげんこつで誰かを踏みつぶしたり、殴ったりしている図柄ばかりだった。やられているのはたいていみすぼらしい共産党員か社会党員で、たまにシルクハットの紳士、それも黒髪で鉤鼻、もみあげにカールをかけているユダヤ人だ。けれども、そういう好戦的なポスターよりも、こういう誘いかけるようなポスターの方が危険かもしれない。


ドイツの厳しい冬を暖房もないアパートで暮らし、肉を食べられるのも月に数度。娯楽は乏しく子供であっても政治的立場を問われ、ヒトラーを支持しない者は突撃隊に襲われる。工場の操業停止や従業員の解雇等、最近のニュースでよく耳にすることが、ここにも書かれていた。
そんな社会情勢の中でハンスが絶望的にも自堕落にもならずにたくましくなっていくのは、家族の支えがあるからだ。

ハンスは同じ工場で働くミーツェと恋仲になる。彼女との初めてのデートは無声映画戦艦ポチョムキン』だった… 二人は親密さを増していくが、ミーツェは自分にユダヤ人の血が流れていることを告白する…… あぁ、やっぱり。。。そんな予感がした。この先読むのが辛いなと思ったが、物語はヒトラーの首相就任でナチ一色に染まっていくベルリンで二人で示したささやかな抵抗の、ちょっとした冒険の夜で終わる。
この先にはもっと暗い、もっと苛酷な運命が待っているのはわかっているが、それは『ベルリン1945』で明らかになるようだ。

 ハンスはだまっていた。ミーツェがユダヤ人だろうと、ユダヤの混血だろうと、キリスト教徒だろうと、イスラム教徒だろうと、仏教徒だろうと、ハンスにはどうでもよかった。ミーツェはミーツェであるだけでいい。コイル工場のミーツェ。たくさんの秘密の間仕切りのある自分でつくった布袋をもって散歩するミーツェ。時代遅れのお下げ髪をぶら下げ、ハンスを見つめるミーツェ。その大きな茶色の瞳を見ると、湖を泳いでいるような気分になる。


ナチス共産党のスローガン、選挙ポスターや新聞記事の引用も多く当時の街の様子が生々しく再現されていて、『総統の子ら』に感じた一面的な目線の危うさにバランスを取ることができた格好の一冊。
ペーパーバック風なソフトカバーの本のつくりも手に取りやすくて良い。シリーズの他の二冊も読みたい。ただ、ちょっと高いのだ、\2500…